2017年5月23日火曜日
クラウドベース資本主義
ケイタイぐらい使わないと困るなあと思い始めたのは、公衆電話が街角から消えはじめたころ。もう15年ほど前になる。それがいつしか、今のうちにスマホにも慣れていないと、これから先何かと不便なことが多くなるよと言われるようになった。そうしてやっとスマホを手に入れ、せいぜいGPSと地図を使って、山歩きの迷子防止に利用している。ところが私がそうしている間にも、世界はもうすっかりスマホ全盛になり、社会的な交換経済の末端が変わりはじめているという。
アルン・スンドララジャン『シェアリングエコノミー』(門脇弘典訳、日経BP、2016年)を読んだ。インターネットの発達と普及によって、持っているが常時使ってはいないものを他の人が利用できるようにしようという「事業」が欧米では盛んに広がっているらしい。たとえば日本では、2020年のオリンピックに際して宿泊所が足りなくなるから「民泊」をできるようにしようと「法制度の改正」が慌ただしいが、そんなものではないようだ。エアービーアンドビーというのは、エアーベッドを持ち出して「B&B」のサービスを提供しようという若い人の発想から広がり、アメリカばかりかヨーロッパなど世界中に広がっているという。世界各地のサービスの提供者とairbnbというプラットフォームになるネットワークと利用者が情報を交換し、利用を申し込み、わが住まいを安く提供する。この事業に投資される資本が24億ドルにのぼっているというのも驚きである。じっさいに本書の中で図示されるairbnbのニューヨークにおける展開状況をみると、ホテルの集中するマンハッタン地区以外での広がりがすごい。あるいはウーバーというネットによるタクシーの配車サービスが世界の450都市に広がり、個人所有の車まで利用できるようにしているところもでてきている(ちなみにウーバーへの投資は86億ドルに達しているというから、ものすごい広がり方だね)。「P2P」という個人対個人の「物の貸し借り」もネットワークを駆使して地区ごとに有料で融通し合っているとか、農産物を生産農家がネットの掲出し、買い手が注文して週に2回「集まり」をもって、地区の「集まり」の世話役とネットの管理者にそれぞれ8%の支払いをし、その他は生産農家の所得とするということまで、はじまっている。個人事業主になる人が増えたということではあるのだが、ただの市民が、自分の使っていない間のものをレンタルに回したりする。小遣い稼ぎにもなるし、そもそも箪笥の肥やしにしておいたり、駐車場の場塞ぎにしておくよりは、はるかに社会的に役立つ。それがまた、暮らしのかたちを変え、新しい人と人とのネットワークをかたちづくり、コミュニティが広がる。
ネットワークというグローバリズムと、貸し借りという地域限定のローカリズムが「場」を得て、ものをシェアするという暮らし方である。スンドララジャンはいろんな形態のシェアリングエコノミーを取り上げ、それがクラウドベース資本主義になっていくと論陣を張る。クラウドというのは「雲」かと思っていたらそうではない。「大衆」ということらしい。つまり、これまでの規模を競う資本主義と異なり、大衆が自ら事業主として「シェア」できるものを提供し、あるいは需要者として利用していくことで、市民の関係も変われば、所有の関係も変わると、壮大な、世界的展開の事例などを紹介し、その抱えている問題点を一つひとつ俎上に上げて論じている。
もちろん投資のかたちも変わる。これまでのように、個人が所有して使うのは週に1度とか、長期休暇をもらったときの、年に2回ほど。そういった「所有」を、使っていないときにシェアすることによって、社会的に有用な資産にしていこうという発想は、面白い。しかもスンドララジャンはお金儲けというよりも、社会的に有用なサービスの提供という発想がコミュニティの形成には有効に働くと力説している。その通りだと思う。
だが同時に、そのようなコミュニティにするには、もう一つふたつ越えなければならない「民度」のハードルがある。つい先日どこかのTV番組で観たのだが、中国で広まっている自転車のシェアの実態。乗り捨てにする、自前の鍵をかけて個人所有にしてしまう、川に投げ捨てる、改造して壊してしまう。どのような管理体制にしているかわからないが、シェアをして使うにはあまりにも粗末な扱い方に、驚かされた。日本の「民泊」にしてからが、マンションの貸した部屋でどんちゃん騒ぎをして近所迷惑であるとか、ゴミ出しの仕方が悪いとか、苦情が頻出しているという。文化的な質もそうだが、社会的な格差が広がり、貧困層がどこにもって行きようもない鬱屈を抱えて日々を送っている状況をまずどうにかしないと、単にシステムの構築と管理監督と取り締まりの強化だけでは、コミュニティの「かんけい」はつくりだせない。その点では日本も、先行き不安な見透しにあるのではないかと、私は懸念している。
スンドララジャンのいう、社会的に有用なサービスを、貸す方も借りる方も気持ちよく利用できないと、やっぱり大手ブランドのサービスには敵わないということになる。もちろん敵わなくていいのだが、安かろう悪かろうでは、社会的な有用性さえ疑われてしまう。小遣い稼ぎでは、やはり、やってはいけないのが「サービス提供」なのではないか。まだまだ時間がかかるかなと思った。
さて明日から一週間ほど、モンゴルへ行ってくる。昨年に続き二度目のモンゴル。今年は東北部、あのノモンハン事変のあったハルハ川の近くの町、チョイバルサンの周辺を主として見て回る。鳥観の達者たち7人と行を共にする。さてどんな旅になるか。
そういうわけで、今度お会いするのは、月が替わってからになりましょう。ではでは、お元気で。
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