2017年6月1日木曜日

わが身の始原と向き合う――モンゴル鳥観の旅(1)


 モンゴルの旅から帰ってきた。今度は8日間。昨年の6日間よりも2日多い鳥観の旅。去年は南ゴビへ行ったが、今年はモンゴルの東の端、チョイバルサンに3泊して北の方へも足を延ばした。いずれの地も景観の大きな違いがあって、モンゴルの大地の雄大さに圧倒され、そこに佇む人間の卑小さを感じさせられた。その卑小さが、大自然の中に生きるものとして、他の生き物たちと同じであることを思わせ、ああ、自然と一体になるってこういうことだったのかと、わが身の始原と向き合うような新たな発見を重ねてきた。


 8日間とは言え、出発便は成田午後2時半、帰りはウランバートル発午前8時ころとあって、鳥観の正味の滞在は中6日、それほど長い旅ではない。だがその期間が、ほどよく感じられる。こちらの体力、気力との相関だから、歳をとるということは、その頃合いを推し量りながら旅を続けることにほかならない。突き進む興味関心の疲れを調整し、睡眠と食事と同行の人たちとの会話で回復を図りながら、この日程を健康に持ち応える。その間に垣間見えるモンゴルという土地の習俗と暮らし方のわが日常との差異に「世界」の広がりを感じ、知らない世界への興味が掻き立てられ、面白い。

 5月24日正午に成田空港集合とあったが、45分も前に着いた。すでに参加予定の方々は到着して、お昼をとっている方もいる。総員8名。計画段階では10名参加であったが、fjkさんご夫妻が5月初めに参加を断念した。ご主人にドクターストップがかかったのだ。もう80歳になるfjkさんご夫妻は、日頃たいへん精力的に探鳥会やツアーに参加し、歳を感じさせない。モンゴルにもぜひ行きたいと意欲的であったが、医師は「国内ならば構わないが、医療設備の整っていない国外はやめた方がよい」と診断した。それでよかったと思ったのは、現地に行ってからのこと。今回のメインになる地方の中心都市・チョイバルサン市は医療設備が古く、緊急対応が十分にできないとドライバーもガイドも口をそろえて言う。じっさい私たちの旅の間にドライバーの義弟が交通事故に遭い、手術をするために580kmほど離れたウランバートルへ行くのに(すでに飛行機の便はなく)車を出す必要があり、ドライバーも車も代わってしまうということがあった。10時間ほどかかるらしい。

 今回主宰のngsさんは計画段階から詳細な「案内」メールを送ってくれ、その目配りと手配の行き届きぶりは並大抵ではなかった。今年の初めには、参加者の「自己紹介」まで作成していた。私は《門前の小僧、カミサンの「くっつきの・を」。鳥観に関してはとても皆さんの傍にいられるような資格はないのですが……》と自己紹介していた。だがこれまで何度か鳥観の旅に同行させてもらったこともあって、6人の方々とはそれなりに顔見知り。初めての方も2人いた。その一人、fjkさん夫妻がキャンセルしてのちは最高齢者となったnkhさんは、まるで弁慶の七つ道具のように荷物を帯同している。もちろん航空機に預ける荷物は20kg、機内に持ち込む手荷物は5kgと制限がある。だが聞くと、手荷物だけでも10kgを超える。nkhさんは「いや、超過料金を払えばいいんでしょ」と端然としている。だいぶ旅慣れた様子に見えた。多すぎると咎められた(機内持ち込みの)手荷物は「撮影機材など壊れたら困るものばかり……」と説明したら、「今回だけですよ」と係員が目をつぶってくれたと嬉しそうであった。

 モンゴル航空の飛行機は定刻より早くに動き始めた。nkhさんは、「離陸というのは車輪が地面を離れたことをいう」から動き始めが早くても定刻通りなんですよと、すべてご承知の様子。220人乗りはほぼ満席。ひとつひとつの席にTVモニターが付き、映画がみられる。飛び上がった機が釜山の上空にいると言われて、勘違に気づいた。私はてっきりウラジオストックの上空を回り込んで飛んでいると思っていた。だが韓国を抜け、(たぶん)北朝鮮の領空を避けて大連の上空に入り、ウランバートルに向かっている。なぜそうするのかはわからないが、大気の流れと関係しているのか、北朝鮮上空を通過するわけにはいかない国際情勢が影響しているのか。そうそう、この機の定員を訪ねたとき、CAが日本語がわからないことがわかった。問うたときすぐ隣にいた若い女の方がモンゴル語で通訳をしてくれて、220人乗りと分かったのだ。昨年この空路に乗ったときは、日本語ですべてが事足りると思ったことを思い出した。この空路が日本語のわかる乗務員では間に合わないほどに繁盛しているのか。ま、悪いことではない。

 8時半、チンギスカン空港に着陸。荷物を受け取ってガイドのバラヤさんと合流、ホテルに向かう。暑い陽ざしが照りつける。「明日は31度になります」と日本語のできるガイドは「予報」を告げる。良かった。去年の南ゴビは寒いイメージを持ち帰った。だからことしは冬用の下着を用意していた。ところが出発の前日にウランバートルの天気予報をみると、最高気温が30℃、最低気温が12℃ほど、またチョイバルサンのそれは、35℃/12℃ほどとあった。そんなに暑くなるならと夏用の下着も何枚か用意した。ところが翌早朝のウランバートルは、長袖に雨着を着てないと震えるほど。薄い手袋をしていても指先がしびれるほどに冷え込んだ。おそらく5℃ほどに下がっていたと思う。チョイバルサンもそうであった。最高気温35℃どころか、20℃を超えない。最低気温はいつも一桁であったろう。予報が当たらないということを言いたいわけではない。モンゴルも日本同様に、日ごとの寒暖差が大きい気候変動の影響下にあると感じたのだ。

 昨年モンゴルに来たときには、ウランバートル市内に宿をとったのだが、ずいぶん夜遅くなって夕食を摂り、翌日暗いうちに南ゴビへ向かう飛行機に乗った。ところが今回は明るいうちにモンゴリカホテルに着いた。空港からの舗装路を外れると民家のあいだを縫って進み、大きな川にかかる木の橋を渡る。橋の入口には2本の高いポールが立てられ、マイクロバスがかろうじて通り抜けられる程度の幅しかない。運転手はそろそろと入り込む。私の座る窓側では5センチほどしか隙間がない。長方形の木の板を互い違いに張った橋のところどころは、割れたり折れたりして凸凹している。ガタリガタリと音を立てながらすすむ。出口でまた、2本のポールのあいだを抜ける。車の通る土の道はあちこちがへこみ、車体が右へ左へゆらりゆらりと揺れる。運転手はできるだけ揺れを穏やかにするようにゆっくりとハンドルを切りながら進む。いつしか林の中を通っている。ズミのような白い花がたくさん咲いている。でもズミにしては花びらが大きいし、幹も太いし、まっすぐだ。なんだろう。あとでシモツケだとガイドが教えてくれたが、シモツケの花が密集するように咲いているわけではない。ズミのように一つひとつが独立している。むしろ、コリンゴやコナシに近いと見える。

 マイクロバスに乗っている人は、あ、アジサシ! ベニハシガラスよ、コクマルガラスだよ、ミヤマ! カササギだ、と鳥ばかりみて声を上げる。放牧なのであろう、馬や牛の何頭かが夕日を受けて草を食んでいる。林の脇には金柵で囲われた敷地がある。何か小さな木の養生をしているのか。林の中ほどにホテルはあった。一部五階の三階建て、新しくはないがよく手入れされている。9時半、部屋に荷を置くとすぐに夕食になった。

 8人が一つテーブルに着く。スープ、サラダ、ステーキ300gほど、デザートをウェイトレスが給仕する洋食風サービス。ビールやワインを頼んでモンゴルの第一夜がはじまる。ガイド・バラヤさんの紹介、3人の子の母親。学者一家に生まれたと、後で聞いた。モンゴルの大学で日本語を学び通訳をするうちに、ngsさんのガイドをするようになり、鳥観のガイドに詳しくなったようだ。現地の鳥ガイドはガナーさん、この人の兄がngsさんたちをガイドしていたそうだ。細面の若い人、英語は話せないが一所懸命に鳥を探し、図鑑を手に同定をしている。バヤラさんが通訳をするよりも、図鑑のページを指さして、くちばしの色や羽の模様のあるなしを何か言っている。それがngsさんによく伝わるように見える。

「子どものころから馬に乗ってたの?」とバヤラさんに尋ねる。モンゴルの子どもが馬を達者に乗りこなして、牛や羊、馬の放牧を手伝っているイメージが濃いから、つい、そう聞きたくなる。彼女は都会育ちのせいで、大学生のときガイドに必要だと乗り始めたそうだ。二度落馬しているとも。馬は必ずしもモンゴルの必須の乗り物ではなさそうだ。(つづく)

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