2017年6月28日水曜日

変わった日本に変わった規範を――規範はどうかたちづくられるか(8)


 東洋経済オンラインを読んでいたら、《外国人が日本に来て感じる「美徳と違和感」》という記事が目に留まった。

《先日、知り合いのギリシャ人6人を連れて、東京観光をしました。日本が初めての彼らは、電車の中がとても静かだったことに驚いていました。ギリシャでは、電車に乗っているときでも電話で話すのが当たり前です。》

 と、ギリシャの人びとの振る舞い方と日本のそれとを比較して綴っている。その他にも、電車の停車駅や時刻の車内案内が丁寧に繰り返される日本の交通といつ来るのかわからないギリシャの鉄道、時間を守ろうと緊張する日本人、家族よりも公的仕事を優先する日本人、母親の料理の方がおいしいと新妻に告げるギリシャの亭主、踏切で電車にぶつかった人にお前が注意していないからだと非難する(踏切遮断機を降ろし忘れた)ギリシャの踏切手と事例をあげ、表題のような記事になった。

2017年6月27日火曜日

「いじめ」は進化に不可欠――規範はどうかたちづくられるか(7)


 昨日、大槻久『協力と罰の生物学』が「いじめの快感」に触れた「実験」について、このブログに記した。それに対して「大槻がどういう実験をしたのか。本書を読めばわかるとは思うが、そこを記さないでは、あなたが何に信を置いて『いじめの快感』と思ったのかがわからない。」とメールをいただいた。たしかに、そこまでの、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』を読むのと比べたら、ずいぶん大雑把な紹介になっている。大槻はこの著書に「ヒトはけっこう罰が好き?」という1章を設け、「罰」にかかわるこれまでの考察を紹介している。

2017年6月26日月曜日

いじめは快感である――規範はどうかたちづくられるか(6)


 大槻久『協力と罰の生物学』(岩波書店、2014年)は、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)がとりあげてきた共感と利他性を、もう一歩生物学的なレベルに移して観察し、進化の現段階を解き明かそうとしている。

2017年6月24日土曜日

やはり耄碌


 昨日、後期高齢者になる人向けの「自動車運転免許証・更新時講習」に義務付けられた「認知症検査」を受けてきた。自動車学校の教習がはじまる前の早朝の1時間半。15人ほどが来ている。この人たちが上の階にある「検査室」へ移動するのを見て、これが同じ年代の人たちかとわが目を疑った。階段を上がるのが、なんともおぼつかない。いや、おぼつかないから車に乗っているのか。そう思うと、頑張ってくださいねと声をかけたくなる。逆に言うと、私は、全然これに引っかかるとは思ってもいなかった。

2017年6月22日木曜日

窓を通して世界をみる――規矩準縄を打ち破る衝動


 今月の「ささらほうさら」の講師はnkjさん。お題は「My photo」。この方が写真やカメラや被写体とどう向き合って来たか、40枚ほどの写真をみせながら来歴を語った。それは彼自身の身の輪郭を描き出す振舞いであるとともに、彼が「世界」をどうみてとってきたかを浮かび上がらせる話しであった。なかなか興味深い響きを湛えていた。

 仕事をしているときにも、札所巡りをしたり五百羅漢などの石仏を観に行ったりして、ときどきカメラにおさめてはいたそうだ。だが、「写真を撮ることに夢中になり羅漢はろくに観察しなかった(ことに)気づいた……写真を目的にしないときはカメラを持参してはいけない」と自らに禁じ、以後、目的的にものごとを観ることに心を傾けたという。まだ、デジカメが流行りはじめる前の話である。

2017年6月21日水曜日

ダイヤモンド晴れの鳴虫山


 いま(6/21)弱い雨が落ちている。TVの「予報」は「大雨、40mm/h」と警戒を呼び掛ける。じつは今日、山の会の「日和見山歩・鳴虫山」の予定であった。「当てにならない週間予報」は先週、「曇り、降水確率40%、降水量0mm」であった。CLのonさんと「実施はする。しばらく様子をみよう」と話していた。ところがその後「曇り一時雨、降水確率は変わらないが、降水量15時1mm」と悪くなる。onさんは「下山ルートが雨に濡れると滑りやすく危険」とみて、20日(火)実施でどうかと相談があった。皆さんに問い合わせて、了解をとったのは前々日の日曜日。月曜日のTVでは、「火曜日はダイヤモンドの晴。あとは梅雨空がつづく。洗濯などはお見逃しなく」と今日以降の大雨に注意を呼び掛け始めていた。

2017年6月19日月曜日

皮膚感覚を通して声の感情を理解している――規範はどう築かれるか(5)


 金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。前回までにMRI画像の解析を通じて《「政治的と相関する脳構造」の特徴》を見極め、脳科学の「観察」から「政治的傾向」をとらえることができると、いくつかの留保をつけて英米の「実験」を紹介した。「留保」というのは、(1)遺伝的に受け継がれていると分かるのは「政治的傾向にかかわる気質」の三、四割。(2)それも情勢によって変わる。(3)年を追って変化する。つまり、脳科学で決めつけられるわけではないと、いわばその後の「学習」と「状況」によって変容することを忘れるなと指摘しているわけである。

 そうして今回のテーマに踏み込む。規範の「原基」ともいえる「モラル・ファウンデーション」の心裡の「信頼」とか「共感」のベースにどのような生理学的なメカニズムが働いているのか、そこを解き明かそうとする脳科学の現在を紹介している。率直に言って、この領域に来ると、「実験」や「研究」がどのような限定を設けて行われているのか、とうてい私には見極めることができない。当然その結果についても、評価することなどできない。そうか、そこまで考究していっているのかと受けとめるしかない。でも、概略を紹介しておこう。

2017年6月18日日曜日

「留保」を乗り越え私たちの内面に迫る脳科学――規範はどう築かれるか(4)


 (6/15の承前)さらに、金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。

 まず米国バージニア大の社会心理学者・ジョナサン・ハイトが提唱した、「モラルファンデーション」(根源的な倫理観の要素=倫理観を記述する概念の根幹にある五つの道徳感情)とは、次の項目である。この五項目がMRI画像などの解析を通して「観測」できるという。

①傷つけないこと、harm reduction(H)
②公平性、fairness(F)
③内集団への忠誠、in-group(I)
④権威への敬意、authority(A)
⑤神聖さ・純粋さ、purity(P)

2017年6月17日土曜日

「洗脳」は自律的に行われる

 広瀬友紀『ちいさい言語学者の冒険――子どもに学ぶことばの秘密』(岩波書店、2017年)を読んでいて、三つのことを思い出した。もう40年ちかく前になるか。私の子どものことばづかいのこと。

(1)「エレベスト」という。「エベレストだよ」と訂正するが、なかなか治らなかった。
(2)「あ」に濁点をつけた文字「あ”」と書いている。「これ、なんてよむの?」と聞くと、「あ」の発声のかたちで喉の奥から「あ”~っ」と濁った声を出した。
(3)「かべさんがね……」と話す。「かべさんて、だれ?」と尋ねて、私の友人のことだと分かる。「どうして? おかべさんだよ」というと子どもは、「だって、お箸とかお茶碗っていうでしょ」と応えて、面白いことをいうと思った。

2017年6月16日金曜日

まず隗より始めよう


 文科省の再調査結果の発表を聞いて、笑ってしまった。まるで漫画である。何ヶ月もかけて国会でやりとりしてきたことが、全部白紙に戻る。嘘と誤魔化しとお惚けばかりで、国会審議という場を空費してきたことを考えると、内閣総辞職でもまだ足りないくらい。それくらい馬鹿にした話だ。誰を馬鹿にしたかって? う~ん、主権者・国民、民主政治のシステム、立法府や行政府などの統治機関全体をコケにしている。コケというのは虚仮だ。安倍政府は自らをコケにした。

2017年6月15日木曜日

英米モデルに日本は当てはまるか――規範はどう築かれるか(3)


 金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。金井は(1)道徳と倫理の違いを規定し、道徳を個人の内面に発する規範意識と位置づける。そして、(2)道徳の発露にはベースになる感情があり、それを「徳倫理学」では五つの「倫理基準」(モラル・ファウンデーション)とすると限定する。それらを前提に五つのモラル・ファウンデーションがMRI画像などにどう表れるかを「VBD解析を用いて探索」して、「脳に刻まれたモラルの起源」に迫ろうというのである。このシリーズの(1)と(2)は、上記の二点を俎上に上げ、この二点がもつ問題点を指摘した。今回は、いよいよ「モラル・ファウンデーション」がどのように「政治的傾向」に発露してくるか。本題に突入する。

2017年6月14日水曜日

快適ツツジの小楢山


 昨日(6/13)の山歩きは二つの教訓を残した。
(1)一週前の天気予報はあてにならないこと、
(2)山梨は関東ではないこと。 

 この山行は当初、6/7に予定されていた。ところがモンゴルから帰ってきた翌日(6/1)の「週間予報」をみると雨になっている。結局6/4に「延期」を決め、皆さんに知らせた。6/6金曜日の天気が良かったが、当初参加予定の方々の2人が都合が悪いというので、12日(月)か13日(火)を予定し、今少し様子をみることにした。そのときの「10日間予報」は、12日は「曇り、降水確率80%、降水量0mm」、13日は「晴れ」。ところが6/6の「週間予報」の12日は「曇り、12時雨、降水確率40%、降水量5mm」、13日「晴れ」とはっきりした。迷わず13日に決め、皆さんにお知らせした。

2017年6月12日月曜日

世界はまだしばらく戦いに明け暮れる――規範はどう築かれるか(2)


 金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。

 金井は「徳倫理学」と名づけている。《人間の内面にある「徳」を重要視する。理性のような知性を徳の至高のものと考え、節制などいくつもの道徳的な徳について議論している》と。

2017年6月11日日曜日

内面の道徳・社会的倫理?


 金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読む。

《最近の脳科学や進化心理学の研究によれば、モラルは、人類が進化的に獲得したものであり、むしろ生得的な認知能力に由来するという。脳自身が望ましいと思う社会は何かを明らかにした》

 とキャッチコピーは説いている。モラルは生まれたのちに教育を受けて身につけるものではなく、生まれ落ちたときに(身に備わっている)認知能力によって(たぶんある程度)規定されているというのであろう。

 20年前だと、何だか胡散臭そうな臭いをかんじたものだが、脳のスキャン技術が格段に高度化し、感情や知的作用が脳部位の何処でどう働いているかを知ることができるようになった。人の振る舞いや情動と脳地図の関係も綿密になってきた。いわばその最高点を解説しているとみてよさそうだ。モラル(道徳やはては倫理)のベースとなる感情・感覚を脳や遺伝子という生物学的な観点から見直したと言えるのかな。

2017年6月10日土曜日

神と語り合うウィトゲンシュタイン


 ご近所にある図書館が6月1日から来年の3月末まで閉館になっている。何でも耐震工事をするからとのこと。そのため、図書の返還や予約図書の受け取りを別のところへ移さねばならなくなった。次に近いところといえば、浦和駅そばの中央図書館。そういうわけで、このところ二日に一回くらい、浦和駅まで足を運んでいる

2017年6月8日木曜日

ひと仕事終えて


 「モンゴルの旅」をやっと終わりにした。6日に終わったのではなかったか? とお思いでしょうが、じつは、旅を一緒にしたグループの申し合わせで、私が「旅行記」を取りまとめることに決まっていました。私は「私的感懐」しか書けません。公式の旅の記録にはなりませんよと断っておりましたから、だらだらと行程順を追い、ときどきに思い浮かんだことごとを、書き留めてきました。

2017年6月6日火曜日

忘却の彼方へ溶けだす――モンゴル鳥観の旅(7)


 昨日、チョイバルサン空港の待ち時間に「鳥合わせ」をする段になって、私は「チェックリスト」を宿に置き忘れてきていることがわかった。「夢まぼろしの至福のとき」に酔って、身の始末がどうでもよくなっているのかもしれない。あぶないあぶない。

 ★ 第7日目(5/30)

 朝の探鳥を皆さんは6時からとしたが、skmさんとわが師匠は5時半からにしようと打ち合わせている。むろん門前の小僧は付き従う。シウリザクラの花が散りはじめて、少しみすぼらしい。ヤツガシラの鳴き声は相変わらず。姿を見ても、ムクドリほども注目しない。川に沿って南へ広がる林地の端の方まで行ってみる。昇る朝日に木々の陰が長く伸び、木の葉の緑を明るく照らして、夜明けの美しいコントラストを演出している。何種かのカラスが飛び交う。カササギが草地に降りては木へと舞い上がる。アジサシが川の流れに沿って行き来する。ルリガラをみる。私には尾の短いエナガのように見える。

夢まぼろしの勘違い――モンゴル鳥観の旅(6)


 nkhさんは1300mm望遠のデジスコと400mm望遠を装着した一眼レフカメラをぶら下げて探鳥に足を運ぶ。これは傍目にも七つ道具をもった弁慶が歩いているような印象を受ける。鳥を観ると言っても、スコープや双眼鏡で鳥を観るのと、カメラで写真を撮るのとはまったく動き方が違ってくる。公園などで鳥の撮影をしているひとたちは、同じところに腰を据えると動かない。鳥が来てくれるのを待っていることが多い。ところが今回のモンゴルの旅は探鳥が主、したがってnkhさんはしんどいのではないかと思っていた。しかし実に彼は、行動的であった。彼自身最初の挨拶したときに、「どちらかというと皆さんと違った動きをすることになる。変わった人とみえるかもしれないが、そういうのがいてもいいのではないかと思っている」と話して、おや、面白い人だと思ったのだ。チョイバルサンに行って、同じランドクルーザーに乗って4日を過ごした。一眼レフを首から下げ、デジスコをもって車高の高いあの車から乗り降りするのは、たいへんな体力を必要とする。まして、鳥を観るために園地を歩き回ったり池に近づいたりする皆さんの動きに合わせるのは、並大抵のことではない。かれはその撮影を「記録」だという。写真にとって、後にそれを同定する。鳥の名前は知らないが、カメラに収め、SDカードに姿を収めておくことに主眼を置く、と。なにしろ今回の撮影枚数も4000枚を越えているのではなかったろうか。連写しているからとは言うが、あとでどのように整理するのか、教えてもらいたいものだ。風の強かった日、デジスコの対象画像は風でぶれる。400mm望遠をつけた一眼レフでさえ、ピントを合わせることが難しい。だが、彼撮ったカラフトワシは見事に翼を広げ、先端が反り返って、今まさに羽ばたいて浮揚しようとする瞬間をとどめていた。芸術写真だと私は思う。朝探はいつのまにか誰よりも早く動き始める。探鳥地でも、先頭の現地ガイドとngsさんに遅れることなく付き添う。さすが、新しい世界に開眼したような取り組み方だと舌を巻く。かたわらにいるだけで、いろいろ学ぶところがあった。旅の幸運というのは、こういう出逢いにもあるのだと、思った。

2017年6月5日月曜日

まるで夢まぼろしの至福のとき――モンゴル鳥観の旅(5)


 夜中の、鬱屈を吐き出すような叫び声を耳にした後、ガイドのマヤラさんから驚くような話を聞いた。「近頃、住まう家のない貧しい人が出るようになった」と低声で話しだし、こう続けた。「その人たちは寒い冬、マンホールの中にはいるの。そこに発電所の排水が流されるから、中は温かいんですね。それがときどき大量に熱くて、やけどをして死ぬ人も出ているんです」。モンゴルがソビエトの軛を解かれて「解放」されてからほぼ平成と同じほどの年数が経つ。それでも国土はいまだすべて国有、一人700平米の土地を保有することが認められている。にもかかわらず、自由主義的市場経済が流れ込み、ウランバートルの街並みが瀟洒になり、旅人の私たちが快適なホテルとおいしい料理に舌鼓を打っている半面で、マンホールに住まなければならないような人たちが増えているという。そこに私たちの始原の暮らしをみるような思いがして、帰ってきた今も、消えようとしない。

2017年6月4日日曜日

四方に地平線が見える――モンゴル鳥観の旅(4)


(昨日のに追記)
 3台のランドクルーザーが空港に出迎えてくれた。ドライバーの名前も、事前にngsさんのメールで知らされている。ガイドのマヤラさんの話では、モンゴル人の名前は長いのだそうだ。私の乗る車のドライバーはエンフボルドさん。これは省略形かもしれない。ngsさんは「ボルド」と呼ぼうとメールにあったが、果たしてそれで通じるかどうかは、わからない。3台の車は空港を出てホテルに向かう。舗装された道は傷んでガタガタ。車は右へ左へ凸凹を避けながら走る。対向車がないからいいようなもの、でも私たちは外の水平線の方に目が行って気にならない。煙を吐き出す煙突がある。これがのちに、街のランドマークになった。発電所だ。その建物の横には大きな池であろうか、もうもうと蒸気を噴き上げている。発電の排水だよか。道路の端には直径60センチばかりのステンレス波トタンの金属パイプが剥き出しで通っている。交差点に来るとそれは地下に潜り、また現れる。発電所の使用済みのお湯が各家へ配給されているのかとガイドに訊くと、これは上水道だという。でも、冬の寒さでは凍るのではないか。ガイドは冬は発電所のお湯もあるから凍る心配はないと説明してくれたが、果たしてどのようなメカニズムになっているのか、気になった。

2017年6月3日土曜日

無知だから平気なのか。無知なのに平気なのか――モンゴル鳥観の旅(3)


 テレルジのUB2ホテルはTVの電源が入らなかったりして、壊れかけた外見と中身が見合ってはいたが、モンゴル語の番組をみたいわけではないから、困りはしない。バスの湯もほどほどに出る。10時には床に就き、すぐに寝入った。

 ★ 第三日目(5/26)

 朝5時15分から探鳥がはじまる。嬉しかったのはクマゲラが凸凹の谷地坊主の陰にいて、ほんの3メートルほどのところで見かけたこと。私の前を歩いていた現地鳥ガイドのガナーさんが立ち止まり、指さしてくれたのでわかった。黒い顔がまずみえ、すぐに飛び立って20メートルほど先の木にとりついたので、皆さん見ることができた。カップリング中らしいオシドリもたびたび姿を見せる。シロハラゴジュウカラが木の幹に取り付いて上り下りしている。声ばかりを立てていたカッコウが姿を見せる。ムジセッカという小鳥もまったく人を怖がらず、しばらく小枝に姿を見せていた。どの鳥も子育て中なのか同じところに来ては去り、またやってくる。巣穴に出入りしているシロビタイジョウビタキは警戒音をたてて、観ている私たちを牽制する。オジロビタキがニシオジロビタキと違うと説明されても、どこがどう違うか、やはり私にはわからなかった。ngsさんはオジロビタキに、これは(東)だと冠称をつけて区別している。意外にも、ホテルすぐ脇の林の中に、驚くほどたくさんの小鳥が巣をつくり、群れていた。

風とともに生き、天とともにある――モンゴル鳥観の旅(2)


 前夜の夕食を済ませ、シャワーを浴びて床に就いたのは11時過ぎになっていた。ふだん9時に床に就く私としては異例の遅さだが、これが旅というものと思っているから、文句はない。しかもすぐに寝付いた。

 ★ 第二日目(5/25)

 朝5時に起きて、5時半からの朝探に出る。ホテルが林の中にある。目を覚ましたのも目覚ましというよりは、ポポポ、ポポポと鳴く鳥の声によった。カーテンを開けるとすでに明るい。日本と同じか。着替えて用意をしているとポポポの声が大きくなる。ふと外を見ると窓際にヤツガシラがいる。すぐに飛び去ったが、もうそれだけで、いざいかんという気持ちになる。

2017年6月2日金曜日

「江戸しぐさ」は現代の都市伝説――なぜ人は物語りを信じるか


 モンゴルへの行き来に読んだ本のことに触れる。原田実『江戸しぐさの正体――教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社、2014年)。なんでこんな本をもってきたろうと思いながら、機内で開いた。たぶん、私の関わるSeminarで「江戸・東京」を取り上げたときに、タイトルが気になって図書館に予約したものが、時期を外して届いたからであろう。

2017年6月1日木曜日

わが身の始原と向き合う――モンゴル鳥観の旅(1)


 モンゴルの旅から帰ってきた。今度は8日間。昨年の6日間よりも2日多い鳥観の旅。去年は南ゴビへ行ったが、今年はモンゴルの東の端、チョイバルサンに3泊して北の方へも足を延ばした。いずれの地も景観の大きな違いがあって、モンゴルの大地の雄大さに圧倒され、そこに佇む人間の卑小さを感じさせられた。その卑小さが、大自然の中に生きるものとして、他の生き物たちと同じであることを思わせ、ああ、自然と一体になるってこういうことだったのかと、わが身の始原と向き合うような新たな発見を重ねてきた。