2017年6月24日土曜日
やはり耄碌
昨日、後期高齢者になる人向けの「自動車運転免許証・更新時講習」に義務付けられた「認知症検査」を受けてきた。自動車学校の教習がはじまる前の早朝の1時間半。15人ほどが来ている。この人たちが上の階にある「検査室」へ移動するのを見て、これが同じ年代の人たちかとわが目を疑った。階段を上がるのが、なんともおぼつかない。いや、おぼつかないから車に乗っているのか。そう思うと、頑張ってくださいねと声をかけたくなる。逆に言うと、私は、全然これに引っかかるとは思ってもいなかった。
記憶力・判断力の検査だと趣旨を説明し、この結果によって、さらに医師の診断を受けたりするかどうかをお知らせするという。なぜ私がダイジョウブと思っているか。私は山の会を主宰している。月2回の山行を(そのうち1回は会のメンバーが交代でCLになって)する。そのときの山行記録を書く。あるいは、鳥観の旅に連れて行ってもらって、その旅の記録も書く。そのとき、あまりメモを取らない。時間順に記憶に残っている部分を想い起し、書きつけていく。移動した経路、利用した路線、宿泊した宿、その食事など、目にしたもの、耳にした話、印象に残る出来事など、一つひとつ思い出して書き記す。たぶん、想い起せないで捨て置かれていることもあるし、前後が入れ替わっていることも(何日もかけた旅だと)あった。だがこれが、トレーニングといえばトレーニング、朽ちていっているとしたら、それはそれで素直に受け入れるしかないとカンネンしている。でもまあ、それなりに「記録」になっているから、記憶力はそこそこと思っていたわけである。
まず、年月日、曜日、今の(推定)時刻を書く。これが第一段階。ついで、16枚の絵を見せて「憶えておいてください」という。ふ~ん、ま、大丈夫だろうとタカをくくる。続けて、一桁数字の乱数表を見せ、それから指示した数字を消していく作業を二個、ついで三個と行う。これもページ一杯の末尾までやり終える。
そうして次に、16枚の絵にあったモノを書きだせという。さかさかと書いて行ったが、12個を過ぎたところで、はたと止まった。はてなんであったか。あとの4個が浮かんでこない。そうか、覚えようという努力をしないと、記憶にとどまらないのか。わが身が耄碌をし始めていることに気づいて、愕然とした。その次の作業が16枚の絵の「ヒント」を手掛かりにして書きだせというもの。「文房具」とか「台所用品」とか「動物」という「ヒント」が書きだしてあり、それが何であったかを想い起す仕掛けになっている。こうして「ヒント」をもらうと16個の記憶が次々と思い浮かぶ。これは苦も無く書き終えたが、はたして、私のダイジョウブという「記憶」はなんであったか。時間順とか、行程順とか、地理的な動きや「関係の記憶」と、モノやコト、それ自体を何かと関係づけずに記憶する「モノ自体の記憶」とが別のことなのではないか。私の山行記録や旅の記録は、つねに「関係の記憶」であった。鳥の名前や植物の名前をきっちりと記憶することは苦手。苦手というよりも、そういうことに意味を感じないから覚えないという「バカの壁」をつくっている。鳥や植物を関係的にとらえることができるようになれば、(たぶん)名前も記憶に残るようになると居直っているように聞こえるかもしれない。たぶん居直っているのだろうけれども、だからといって、耄碌してないと誰も言ってはくれない。
この「モノ自体の記憶」の欠点は露わになった。一応それだけで、90点台の結果をもらって、次の更新時講習を待つことになった。やれやれ。
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