2017年6月15日木曜日
英米モデルに日本は当てはまるか――規範はどう築かれるか(3)
金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。金井は(1)道徳と倫理の違いを規定し、道徳を個人の内面に発する規範意識と位置づける。そして、(2)道徳の発露にはベースになる感情があり、それを「徳倫理学」では五つの「倫理基準」(モラル・ファウンデーション)とすると限定する。それらを前提に五つのモラル・ファウンデーションがMRI画像などにどう表れるかを「VBD解析を用いて探索」して、「脳に刻まれたモラルの起源」に迫ろうというのである。このシリーズの(1)と(2)は、上記の二点を俎上に上げ、この二点がもつ問題点を指摘した。今回は、いよいよ「モラル・ファウンデーション」がどのように「政治的傾向」に発露してくるか。本題に突入する。
金井(の脳科学と道徳との相関の研究紹介)はまず、「政治的信条」の「二つの軸」を定め、その根柢に見られる「心理的傾向」を既定する。その上で「政治的傾向の四つのタイプ」に分けるアメリカの研究を紹介し、それと、前回とりあげた「モラル・ファウンデーション」の五つの基準(①傷つけないこと、harm reduction(H)。②公平性、fairness(F)。③内集団への忠誠、in-group(I)。④権威への敬意、authority(A)。⑤神聖さ・純粋さ、purity(P))との相関を関連付ける。そうしておいて、「政治的と相関する脳構造」のイギリスにおけるVNM解析を紹介して、「解析の精度をあげれば、MRI画像から政治信条が推測できる」と見立てる。
そうして、「政治的傾向はどこまで生得的に決まっているか」と本題に踏み込む。「三つ子の魂百まで」と言われるが、「政治的傾向」は遺伝子レベルで決まるのかと立論して、三つの研究結果をあげている。
①2001年のアメリカのオルソンたちの双子の研究では、《資本主義、中絶、教育、死刑制度、集団的宗教などの政治的トピックについての意見に遺伝性があることを発見した》
②その因子分析の結果。《資本主義を好ましいと考えている人は、クロスワード・パズルやチェス、読書も同時に好ましいと思っている傾向があった。もしかしたら、資本主義を肯定する性格の人は、知的な作業を重んじる傾向があるのかもしれない。》
③2005年アルフォードの研究でも《政治的信条の遺伝性が証明されている。》
と。
へえ、と思う。トピカルに読んでいる限りでは、面白い。上記の「二つの軸」とかその「心理的特徴」とか「政治的傾向の四つのタイプ」などは、MRI画像でチェックできる項目から逆算して設定されたのかどうかわからないが、ちょっとした週刊誌の「星占い」を読んでいるような気分になる。私のような素人の眼からすると、「政治の脳科学」とか「政治心理学」の知見による結果と聞くだけで、信じたいと思ってしまうからだ(それらも実は、子細に踏み込んで考えてみると面白そうだが、今ここでは取り上げない)。金井もそうしたことが気になったのであろう、次の二つの「注意」を喚起している。
(a)《ただし、注意してもらいたいのは、遺伝性があるということが即、すべてが遺伝子で決まるということではないということだ。……だいたい半分には満たない程度の遺伝性が見つかったということ。すなわち、六、七割は環境で決まり、残りが生まれながらの性格で決まるということだ》
(b)《「二十歳でリベラルでなかったら情熱が足りない、四十歳で保守でないなら頭が足りない」と謂われることがあるが、歳をとるにつれて人間は保守的になる傾向がある。人間の脳の皮質部分は、歳をとるにしたがって薄くなっていくが、偏桃体の大きさはあまり変わらない。……偏桃体の占める割合は、歳をとるにつれて相対的に大きくなる……》
なぜじぶんが反骨で、世の大勢に順応することを良しとせず、どちらかというと少数派に味方したくなるのか、私自身、つかみきれない「私」をいつも感じている。だから、(a)のいうように、三、四割程度は遺伝で決まっているといわれると、そうか遺伝か、と納得してしまう。そうとなると、それがなぜ遺伝子に組み込まれるようになったのかは、社会的動物の「進化生物学」の論題ということになる。じぶんの輪郭を描きとってみても、解析できないこと。せいぜい風呂敷を広げてみても、文化人類学の研究成果から読み取るしかない。ひと昔前なら「心理主義」として排斥された論展開であるが、今なら「脳科学主義」とレッテルを張って排除することにはならないのであろう。
(b)のように言うと、歳をとっても反政府デモをしている人々はバカばかりとなる。私が若い(1960年代の)ころは、知的であることは左翼であることとほぼ同義であった。そのまんま歳をとった人たちが、今でも国会周辺のデモを呼びかけている。政治の世界では今でもそのような人たちのことを「サヨク」と呼んでいるようだが、果たしてそうか。じつは昔もそうであったが、左翼がリベラルとは限らなかった。頑迷に保守的な立場を主張して、開明的な保守勢力と渡り合うってことはよく見られた。「どちらが保守か革新かわからない」といわれたものだ。なぜそうなったか。左翼はつねに「反権力」であり、政権に着いたことがなかった。だから立論の具体的な根拠をつきつめると、「自分の現在の生活を守る」ことに行き着く。「保守」にならざるを得ない。政権についている保守勢力は、(海外からの強い要求などに対処するためにも)情勢の変化に対応して、事態を変えていかざるを得ない。新規な提案にもなる。そういうわけで、攻守処を入れ替えてというか、保革ところを入れ替えているようになった。(b)のように言うと、馬鹿と利口が政治闘争をしているようで、つまらない図柄を描いているとしか思えない。
そうではあるまい。4月の「ささらほうさら」の集まりでやりとりしていたとき、その場の行きがかりで「右翼って何?」と若い人に尋ねたことがあった。若い人は絶句して、それで終わった。そのときはそれが本題ではなかったから踏み込まなかったが、もし私が「右翼って何?」と訊ねられたら、「権力の暴走ということについて無頓着な人たち」と言ったであろう。もしその人たちが権力を行使する位置についていたならば、みずからの権力行使(の暴走)をチェックする権能を必ずどこかに設けているかどうかが判定基準になるであろう。
だがこういうと、あなたは1960年代に左翼が(みずからの)「権力の暴走」に無頓着であったことをどう考えるのかと問い返されるかもしれない。知的であることは左翼であることであった60年代は、左翼が政権の座に就いたことがないという日本特有の「場」が舞台であったからだ。世界のマルクス主義左翼において1960年代は、ソビエトの権力の(スターリン主義の)暴走が批判にさらされた時期であった。日本において「民主」ということはすなわち「反権力」を意味した。それは日中戦争や太平洋戦争(大東亜戦争)を通じて日本の国家権力が暴走した「反省」の結果であった。その限りで「左翼」は「権力のチェック勢力」という名分を身につけていた。その実態が「保守」的心情をベースにしていたことは、すでに述べた。だが世界はとっくに(マルクス主義を標榜する)「左翼」もいったん権力の座に就いたら「右翼」になることを示していた。だからこそ当時の日本では既成左翼に失望して、中国の「造反有理」を掲げた紅衛兵の文化大革命を、永続革命のひとつのかたちとして、心情的に支持する気分が広がってもいたのである。だが中国のそれもまた、「前衛」という「絶対権威」の揺らぎにおける権力闘争でしかなかったと、後に判明する。だから「文化大革命」も日本の左翼における文化大革命として読み替えられなければならなかったと言えるが、そういう趣旨の本はいまだ見かけたことがない。
さて、上記の「右翼」「左翼」の構図に、どのような心理的機制が働いていたかに、さかのぼって検討してみなければ、金井の「脳に刻まれたモラルの起源」に行き着けない。そう思うのだが、このところの国会における政府の暴走をみていると、文字通りの「右翼」的(つまり国家権力の自己チェック視線の欠如)を痛感する。TVのコメンテーターは(国会は)「もっとしっかり議論しなければならない」と見当違いのことをしゃべっていたが、そんなことではない。そもそも国会が「議論」する場になっていないどころか、あらゆることが政府の「既定路線」であり、国会というのは単なる通過儀礼に過ぎない。私たち国民からみていると、行政権力へのチェック機関どころか、無用の長物だ。選挙以外に(権力機関に対する)チェック機能はない。つまり政党partyが「国民の意思」を「代表」すらしていない。一昨年の「集団的自衛権」の閣議決定のように(「共謀罪」にしても)、アメリカの意思を日本の政治に体現させようという密かな意図に基づいて方向づけされているから、日本の議会も行政も、国家システムそのものが「通過儀礼」であるという図柄になっている。これは、左翼とか右翼とか言っている場合ではない。もちろん「保守」とか「リベラル」という分け方も意味を持たない。
つまり日本の「政治的信条」は「保守主義」と「リベラリズム」に分けて図式にできない。「伝統文化を尊重する/変化を推進する」と「社会における不平等を容認する/許さない」という二軸に分けることすら、できるかどうか、疑ってかからねばならない。おっと、紙数というか、時間が尽きた。あとはまた後日……。(つづく)
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