2017年6月19日月曜日

皮膚感覚を通して声の感情を理解している――規範はどう築かれるか(5)


 金井良太『脳に刻まれたモラルの起源――人はなぜ善を求めるのか』(岩波書店、2013年)を読みすすめる。前回までにMRI画像の解析を通じて《「政治的と相関する脳構造」の特徴》を見極め、脳科学の「観察」から「政治的傾向」をとらえることができると、いくつかの留保をつけて英米の「実験」を紹介した。「留保」というのは、(1)遺伝的に受け継がれていると分かるのは「政治的傾向にかかわる気質」の三、四割。(2)それも情勢によって変わる。(3)年を追って変化する。つまり、脳科学で決めつけられるわけではないと、いわばその後の「学習」と「状況」によって変容することを忘れるなと指摘しているわけである。

 そうして今回のテーマに踏み込む。規範の「原基」ともいえる「モラル・ファウンデーション」の心裡の「信頼」とか「共感」のベースにどのような生理学的なメカニズムが働いているのか、そこを解き明かそうとする脳科学の現在を紹介している。率直に言って、この領域に来ると、「実験」や「研究」がどのような限定を設けて行われているのか、とうてい私には見極めることができない。当然その結果についても、評価することなどできない。そうか、そこまで考究していっているのかと受けとめるしかない。でも、概略を紹介しておこう。


 「信頼と共感の脳科学」と金井は呼んでいるが、人の利他行動、社会貢献への振る舞いという「向社会的行動の根柢にある二つの心理的要素」を「信頼と共感」と規定する。そしてそれを測る目安として「信頼を高めるホルモン――オキシトシン」を取り出す。

《オキシトシンが血中に増えると、脳に影響を与えて、恋人同士の愛を高め、母と子どもの絆を強める。オキシトシンの受容体は、脳や身体全体に分布しているが、特に脳では情動や報酬と関連した領域で集中して発現している。恐怖や感情を感じる偏桃体、報酬や快感と関わる側坐核に集中的に。もともと女性に特有のホルモン、通常は脳下垂体から分泌されるが、鼻腔から人工的にスプレーで摂取しても、影響を及ぼす》

 これは「吸い込むだけで他者を信頼するようになってしま」ったり、「大脳辺縁系と結合して、ストレスや不安を軽減する効果もある。偏桃体の反応が弱まる」という。これに関して金井は、「オキシトシンのダークサイド」を指摘して注意を促している。

《「信頼」だけでいいのか(オキシトシンが増えればいいのかというと、そうではあるまい)。オレオレ詐欺もある。オキシトシンの効果は、差別感情を引き起こす。身近なものへの信頼感は、外部への差別感と表裏一体である。/また、(家族愛といった)内集団へのバイアスは遺伝子の生存に有利に働いてきた。しかし度を超すと、外側の人たちを排斥する差別的行動となる。自民族中心主義を引き起こす。》

 この「指摘」は金井の人間観を表していて、信ずるに足ると思わせる。「身近なものへの信頼感は、外部への差別感と表裏一体」という視点がないままに、「ヘイトスピーチ」をなじっても表層を撫でるだけになる。「ヘイトスピーチ」を通じて(彼または彼女は)何を満たそうとしているのか。その欠落した「信頼感」の方へ、その欠落を引き起こしている「社会的問題」へ視線を向けない限り、「ヘイトスピーチ」を克服することはできないと言える。

 オキシトシンについて金井は「身体的接触でオキシトシンが増幅する」と身体的接触の効用を説いている。欧米と日本との身体接触の違いなども気にかけていて、「以心伝心」とか「空気を読む」といった日本風のコミュニケーションでは埋められない生理的メカニズムに目を向ける。「ひきこもり」や「インターネット・コミュニケーション」では「基本感情が弱くなってしまうかもしれない」と懸念を表明する。他方で、「バーチャルな接触の開発」=「テレノイド」「ハグビー」といった身体接触に近い感覚をつくりだせる研究も大阪大学で行われていると紹介する。

 また、もうひとつ。「信頼の遺伝子の10%~20%は遺伝的要素で決まっている」とアメリカとスウェーデンの研究に触れ、「オキシトシンやコレチゾールなどのストレスホルモンの受容体遺伝子の微妙な違い」が現象形態における差異に現れているとみる。

 オキシトシンがどうであるかわからない段階で私たちは、すでに経験則的に「生後1年半は母親が、つづく1年半は父親が育てる」と俚諺を手にしている。私はこれを、生後一年半は母親との身体的接触、その後三歳までは父親との社会的接触の導入部と受け止めていた。そして、三歳までに両親に大切に育まれてきた子は思春期になって(反抗期を迎えて)も「(社会的規範を)逸脱しない」と、児童相談所の専門家たちが口にするのを、何度も目撃している。金井は「留保」を含みつつ次のように、この研究を締めくくっている。

《(ラットの研究など)これら一連の行動は、遺伝子で決まるのではなく、生まれたばかりのときに接する環境で決まることに注意してほしい。人間でも幼児期の体験により、その人の将来の不安やストレスへの耐性が決まってしまうことは十分に考えられる。他人を信頼して行動するには、自らリスクをとる勇気と、他人の気持ちを感じとる共感力が必要だ。それらの能力や性格を育むために、親が子どもにたっぷり愛情をかけて育てることは、脳の発達という観点からも重要なのである》

 と。

 「共感」に関する金井の紹介は、もう少し子細を極める。「共感の種類」には、

①「感情的側面」……他者が感じていることを自分の感覚として感じる共感性。
②「認知的側面」……相手の立場から物事をみたらどう見えているかを分析して理解すること。これを「視点取得」という。

 とし、後者は感情移入していない、と両者の分節化をする。そして、さらにこう踏み込んむ。「共感力をはかるテストの四つの指標」を立て、こう分節化する。

1、共感的配慮……かわいそうだと思う気持ち
2、視点取得……他人の気持ちになって考えることができる。
3、空想……フィクションの人物に自分を重ねてみる
4、個人的苦悩……他者が苦しい状況にいることに対して自分がそれを経験したら恐ろしいと感じる傾向

 1、~4、が「共感度」の度合い(と次元)の差異に現れる段階を示していると思われるが、「2、のみが認知的共感、後の三つは感情的共感」と先の①と②の分類と符節をあわせる。むろん、この「共感に関する脳内機構」が見てとれると、「脳科学の観察」と関連付け「共感力はモラルファウンデーションと共通する部位が反応する」と指摘することも忘れていない。

 ちょっと岡目八目的になるが、その部分の要点だけを取り出してメモしておく。

1’、「共感的配慮」……楔前部の大きさと相関 ← 個人の尊厳を守る倫理観H,Fと相関。
2’、「視点取得」……「共感的配慮」と同様に前帯状回と楔前部に相関。(だが被験者への問いが、きちんと仕分けできているかどうかに疑問を提示も)= 心の理論と深い関係。∴ 他者の視点からものを感じたり考えたりすることが得意な人は、習慣的に他人の気持ちを想像できるようになるだろう。そして、そのような習慣を持つことが社会に公平を求める信条へとつながっていくのかもしれない。
3’、「空想」……右の背外側前頭前野と相関。
4’、「個人的苦悩」……脳の中の島皮質前部と体性感覚野と相関。島皮質前部はモラルファンデーションの「義務などへの拘束」と相関。《他人の苦しみから自分の苦しみを心配してしまうのは、不快な刺激などに対する敏感さからくるかもしれない》とみる。

 4’に関連して、概要、こう述べる。

《体性感覚野は身体の皮膚感覚のようなものを司っている。この部位を損傷した患者では、顔の表情が難しくなる。健常者でも、体性感覚野の機能を脳刺激によって一時的に弱らせると、発話を聞いたときに話者が誰であるか聞き分けることができるのに、その人の声色から感情を推測することができなくなる。つまり、自分の皮膚感覚を通して、声の感情というのを理解しているようなのである。また、他人が痛がっているのをみると、直接痛みを自分が感じているわけではないのに、体性感覚野は反応している。》

 面白い。「皮膚感覚を通して声の感情を理解している」というのは、私などの実感に近い。

 そうして「平等や公平性を社会に求めるリベラルな思想と、他者を思いやる共感力が共通の脳の基盤を持っていることを示唆している」と跳躍するのである。(つづく)

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