2017年6月4日日曜日
四方に地平線が見える――モンゴル鳥観の旅(4)
(昨日のに追記)
3台のランドクルーザーが空港に出迎えてくれた。ドライバーの名前も、事前にngsさんのメールで知らされている。ガイドのマヤラさんの話では、モンゴル人の名前は長いのだそうだ。私の乗る車のドライバーはエンフボルドさん。これは省略形かもしれない。ngsさんは「ボルド」と呼ぼうとメールにあったが、果たしてそれで通じるかどうかは、わからない。3台の車は空港を出てホテルに向かう。舗装された道は傷んでガタガタ。車は右へ左へ凸凹を避けながら走る。対向車がないからいいようなもの、でも私たちは外の水平線の方に目が行って気にならない。煙を吐き出す煙突がある。これがのちに、街のランドマークになった。発電所だ。その建物の横には大きな池であろうか、もうもうと蒸気を噴き上げている。発電の排水だよか。道路の端には直径60センチばかりのステンレス波トタンの金属パイプが剥き出しで通っている。交差点に来るとそれは地下に潜り、また現れる。発電所の使用済みのお湯が各家へ配給されているのかとガイドに訊くと、これは上水道だという。でも、冬の寒さでは凍るのではないか。ガイドは冬は発電所のお湯もあるから凍る心配はないと説明してくれたが、果たしてどのようなメカニズムになっているのか、気になった。
★ 第四日目(5/27)
今朝の探鳥は6時から。とっくに陽が上っている。(たぶん)今日一日の行程が長いので、疲れが出ないようにとngsさんが配慮したのではないかと私は考えていた。ところが外に出てみると、とっくに皆さんはそろっている。それどころか、もうひと廻りしてきて、たくさんの鳥がいたと話しているではないか。上空に、ずいぶんたくさんのツバメが飛び交っている。アマツバメだ。ngsさんは「背が黒いか、白い斑があるか見てください」と声をかける。白いところがあるのはアマツバメ、それがないのはヨーロッパアマツバメだそうだ。図鑑をもたない私は、ふ~んと聞いて双眼鏡に目に当てる。
道路を渡ると、公園になる。高さが5メートルから10メートルのヤナギやズミ風の中低木が生えている。街路樹を含め、全部の木の幹の下1メートルほどにペンキを塗っている。なんだこれは。防寒対策か。聞くと防虫対策だそうだ。冬の菰巻と同じねと誰かが言う。そうか。一年の半分ほどが冬というモンゴルでは菰を巻き春になるとそれを焼き捨てるという手間暇をかけていられないのか。灌木の下に小鳥がうろちょろしている。双眼鏡でみる。スコープではとらえきれないほど右へ左へ移動する。ふと気づいたのだが、スコープを持っていないのは、(たぶん)最高齢のosdさんと私だけ。あとの方々はさかさかと構えてスコープを覗く。「ムシクイは苦手」とskmさんが傍らの人に話している。skmさんはモンゴルの鳥に詳しい。何度も来ているというか、ngsさんのバイ・プレーヤーのような位置を静かに保って、私たちにあれこれと教えてくれる。そういう人でも得手不得手があるんだと思うと、門前の小僧もなぜかホッとする。
このナールムダル公園は平和公園という意味だそうだ。中国の援助で作られたのであろうか、入口はギリシャ遺跡にあるような仰々しい門造りをしており、林地から一段下がった南側のヘルレン川まで300メートルほどの舗装路の両側には十二支の塑像がずらりとおかれている。その途中に漢字の彫り込んだ石碑があるので、中国の援助かと思ったのだ。朝早いというのにたくさんの人が散歩をしている。土曜日だね今日は、と誰かが言う。 舗装路の両側は草地だ。雨が降ると水が溜まって湿地になるようなところに、ヒバリやセキレイ、カワラバト、ヒタキの仲間がいる。カワラヒワがいる。モンゴルでは珍しいのだそうだ。ガイドのガナーさんは一眼レフを構えて撮影に懸命だ。初日からのやりとりを聞いていると、彼はngsさんにいろいろと教わって、今は小鳥のことに気が向いているようだ。おっ、いま飛んだのはカッコウではないか。おおっ、向こう線に止まったよ、とそちらを振り向く。鳴いていたカッコウが土手際の電線に止まって、また、ひとしきりなく。上空をワシタカらしきものが舞う。クロハゲワシやアカアシチョウゲンボウがいる。寒い。身体が冷えてくる。手袋がないと指先が凍えそうだ。私は雨着を出して着こむ。
ヘルレン川の水量は多い。西から東へ流れている。ガイドのマヤラさんは、この川がウランバートルを流れていたトーラ川と合流してバイカル湖へそそぐと説明した。ではどう流れているのか。帰国してからgoogle-mapでみると、ヘルレン川は東へ流れてモンゴルの国境を越え、旧満州の中国東北部のフルン湖に流れ込んでいる。トーラ川とヘルレン川の水源はともに、ウランバートルの北側からロシアへ連なるヘンティ山地にあるらしいと推測できる。ノモンハン事件のハルハ川はさらにその東に位置して流れている。マヤラさんも、このチョイバルサンの地理に関してはそれほど詳しくないようだ。水鳥もいる。朝探でずいぶんニューバードを増やしたのではないか。
宿のレストランの朝食は8時にはじまるのを、頼みこんで7時半に朝食。たっぷりのミルクを混ぜたミルクティが、豆乳のような味がしておいしかった。これをモンゴルでは「スーティ・ツァイ」というらしい。だがそれを知ったとき、ネパールやチベットではミルクたっぷりの濃いティを「チャイ」といっていたことを思い出した。チベット仏教と一緒にモンゴルに伝わったのだろうか。食パンとバター、ジャムがある。だが、チャーハンと漬物のがおいしい。食事を済ませて8時半、出発。今日は、当初予定の80km先のホヨルメルヒート池へ行くのを取りやめ、160km北のドロート池へいくことにしている。といわれても地図もなく、まったく見当がつかない。どうもロシアとの国境の近くまで行くらしいと、どなたかが話している。
3号車はnkhさんと私たち夫婦。彼には昨日空港から助手席に座ってもらったが、荷物が多いので後ろの席に座らせてとカミサンに話したそうだ。カミサンが助手席に座る。鳥を観たらストップをかけて車を止めてもらうと話したが、そんな大役はいやだなあとやんわりと断っている。実際は、1、2号車がどんどん先へ行ってしまうので、間がう~んと離れてしまう。前の車両が止まったときに初めて、こちらも車を止めて窓を開け、外をのぞく。街中の発電所の近くを通り抜け、線路を渡るとすぐに、左折して舗装路を離れ、草原に上を走る。ルートがあるらしく、草地の上に轍がついている。一車線のところもあるが、たいていは二車線、ときには四車線までできている。要するにどこを走ってもいいのだが、同じところを走るうちに深く掘れ、凸凹がひどくなるから脇へ逸れる。するとそこに新しい轍ができるというわけ。ときどき、里程のように石の標式が置かれているようにみえたが、降りて確認したわけではないから、そんなものがあるのかどうか、わからない。道はときどき大きく分岐して西へ東へ分かれるところもあるが、北への一本道のようにずいずいとすすむ。車体はときどき大きく揺れたりするが、運転手の気遣いがいいのか、速度を落とし、負担を和らげてくれる。それでも、心地よい揺れにふと気づくとうとうとと居眠りをしていて、ときにドシンと車体が上下して目が覚め、慌てて体が倒れないようにする。
小鳥はしかし、ずいぶん草地にいるらしく、車の先を横切る。脇を飛び去る。一つひとつ同定していたら、とても120km先に行き着けない。というわけで、ワシタカのような大物を見かけたときは、先頭車両が止まって、降りたりするが、後は車窓からの観察になる。放牧された牛が行く手を遮る。群れに仔牛が多い。ときには仔牛同士が角つきあわせて力比べをしてじゃれ合っている。仔馬を連れた馬の群れも、なんだろうこれはと、こちらに顔を向けて関心を示す。ラクダの群れにもであった。これは放牧しているのか野良ラクダなのかわからない。双瘤ラクダのこぶは、若いうちはほそっりとして小さく先端がとがっている。だが歳をとると、大きくふさふさとした毛におおわれ、威厳も備わる。いちばんこぶが立派なラクダが、群れの中央にいて車との間に入り、警戒するようなまなざしを向けていた。ラクダの群れにリーダーっているのだろうか。羊の群れは山羊と一緒だったりする。でもよく考えてみると、人がそばにいない。ときどき、バイクに乗った人が馬や牛の群れを追っている。いまや牧童はバイクボーイだ。後部座席に子どもを乗せて走っているイクメン・ボーイもいた。
どこまでも水平線がつづくなか、ところどころにゲルがあったり家屋がある。人の姿も見えていたりするから、そこが放牧の根拠地になっているのであろう。と、井戸がある。人もいる。昔風の跳ね上げ式。長い竿の先端にバケツをつけ、くみ上げた水を容器に移している。nhkさんが「地下10メートルまでに水脈があるんだね」とつぶやく。おや、この方は理系の人なんだなと思う。高い山があるわけでもない。年間降水量が300mmほどといわれるこの平原で水脈を探り当てるのは容易ではあるまい。古来からの知恵がどのように蓄積され受け継がれてきたのか、興味を惹かれる。
2時間ほど走った途中に、大きな村というか集落があった。何軒もの家が建っている。車が止まる。通行許可でも貰うのかと思ったが、違った。先頭車両のドライバーの親戚がいるので挨拶するのだそうだ。近くに来て知らぬふりはできない、と。何だか昔の田舎の雰囲気だなと思う。そこからさらに3時間、車に乗り飽きたころ、ようやくにして目的地に着いた。出発して5時間余かかっている。今日のランチはパックに入った「お弁当」だ。細切れの野菜と牛肉のミンチをナンで挟んでいる。だれかが「大きなギョウザだ」といった。下にキャベツの塩もみサラダがびっしりと敷かれている。味噌汁もあり、コーヒーや紅茶も用意してくれて、マヤラさんの心配りがうれしい。
ちょっとした湖がある。奥行き100メートル、長さ500メートルほど。これがドロート池か。池の周りは250メートルほどの幅に湿地がつづき、谷地坊主のように凸凹とした草付きの盛り上がりがその全面を覆っている。水が多いときには水面が広がるのであろう。そこからさらに150メートルほどのところに車を止め、スコープを立てる。草付きの中に鳥が行き来している。オグロシギだという。ヒナを育てている小鳥がいる。警戒音を鳴らして私たちを牽制している。あるいは縄張りを争っているのか、けたたましく鳴きながら追い駆けっこをして、飛び交っている。ゆっくりと湿地に近づく。谷地坊主の凸凹に足を乗せて、池へと近づく。アカツクシガモ、ツクシガモ、シマアジ、オオバン、コガモ、アオサギ、タゲリ、ムナグロ、コチドリ、オオチドリ……とスコープを覗きながら声が上がる。大きなオオハクチョウやソデグロヅル、派手なアカツクシガモはすぐに見分けられるが、私の双眼鏡ではよく識別できない。じつは遠くて小さいからではなく、その鳥のイメージが私の中にないからだと私にはわかる。この壁を抜け出さない限り私はいつまでも門前の小僧だと思うが、口には出さない。皆さんの視力の良さに感服しながら、キンクロハジロとかホオジロガモというのを探す。
上空にも出現している。アカアシチョウゲンボウが出た。セイカーハヤブサとngsさんは言う。ワキスジハヤブサと和名があるそうだが、聞くとつい最近まではセイカーハヤブサと言っていたらしい。でも見ただけではチョウゲンボウとハヤブサの区別もつかない。小僧は、いつまでも門前に立ちすくんだままのようだ。ハイイロチュウヒが飛ぶ。
ずいぶん長時間ここにいた。ニューバードもたくさん出たに違いない。でも5時間の行程を戻ると午後8時を過ぎると思っていたら、近道を通ると、マヤラさんが言う。なんだそういうショートカットする道があるのかと思った。だが、どうも同じ道を引き返しているようだ。途中一回ドライバーの休憩をとるために休んだほかは、おおむねぐいぐいと帰途に就いた。私は車内でnkhさんからいろいろと聞いて、面白いと思った。勝手な要約になるが、列挙しておきたい。
(1)彼は仕事でモンゴルばかりか東南アジアにも派遣されたことがあるという。モンゴルにきていたとき、ちょうど日本vsトルコのゲームが行われていた。どちらが勝つかモンゴル人たちが賭けをしたのだが、日本が勝つとかけた人は一人もいなかったそうだ。nkhさんと同行していた日本人のJICA職員は「やりきれない」と慨嘆していた、と。つまりモンゴル人の反日感情はすごく強い。そういえばガイドのマヤラさんも、夜、星をみるのに公園の林の向こうに行きたいと何人かが申し出たとき、ここは(ウランバートルと違って)危ないからと制止した。無知の能天気と前回記したが、なぜ反日感情が強いのか、そこに踏み込んで両者(チョバルサンと満州国)の歩んできた「関係」をみてとらない限り、この街の星空を見ることはできまい、と思う。
(2)退職したとき、自分の仕事が本当に狭い世界であることを身にしみて感じた。それに比して、鳥や写真など、こんなにも自由で豊かな世界があるんだと気づいて、解き放たれたような感動を味わった。それでサークルに加わり(師匠について)、写真を撮っている。私のは芸術写真じゃなく、記録写真。それでは教えることはないよと(師匠に)いわれたりしている、という。nkhさんの仕事の世界をとらえる視線に共感するところが多い。またリタイア後に、新しい世界に意欲的に向かう気力に敬服する。門前の小僧と位置づけて、それ以上踏み込まない私の怯懦を叱られているように思った。
(3)モンゴルの魅力を、この見渡す限りの何もない空間だという人がいる、とnkhさんはいう。自分の思う物語をそこに織り込めるからというのだそうだ。そうか、鳥を観る、民俗に触れるという目的的な「異文化」への志向ではなく、この空間に身を置いて想像の世界に遊ぶというときの根っこにある「モンゴルへの親密感」はすごいと思う。それはどこか、人類史が歩んできた始原の何かに触れる刺激をモンゴルのこの風景はもっている。そういう確信があるに違いない。彼の話を聞いたとき、ふと、司馬遼太郎が想いうかんだ。そういえば司馬は戦前の外語学校でモンゴル語を学んだのではなかったか。私は彼が満州国の戦車隊に配属されて後に栃木の連隊で(本土決戦に向けて)訓練を受けていたときの、日本への絶望を記した文章を読んだ覚えがある。それは、合理的な考え方を端から排除して精神主義に傾いていく醜悪さと同時に、臣民を狐狸兎と同じようにみなし轢き殺して進めばよいと公言する将校たちの倒錯への絶望であった。
結局4時間ほど走ってランドマークの発電所の煙突を目にし、すぐに街に入った。今夜は外のレストランで食事をすることになっている。モンゴルのレストランでは、グラスワインを50ccとか100ccという単位で販売している。ここでもワインを頼んだ人がいたが、どうみても100ccはない。そういうと、ウェイトレスは透明な計量カップをもってきてついだってグラスからそちらへ移す。どうだちゃんとあるだろうとみせようと思ったに違いない。ところが70ccほどしか入っていない。結局100ccにして供したのだが、それを口に含んだ二人の人は顔をしかめる。そして口をそろえていった。「こんなまずいワインは飲んだことがない。そういえば、彼女がもってきたワインは空けたばかりではなく、飲み残しのようだったじゃない?」という。ひとしきりそれで盛り上がった。
夕食の後で別室を借りて「取り合わせ」をした。今日観察したのは65種、「初見」は38種と予想通り多かった。「累計」は98種。あとちょっとで100種を超える。ngsさんは、2016年にモンゴル調査隊が6月の半月間に170何種かを観察している。もちろんチョイバルサンだけではなく、南ゴビなども含まれるからそれを競う必要はまったくないのだが、ngsさんはひとつの目標のように話して笑っている。ngsさんの、これまでのモンゴルで確認した鳥の数は138種だという。チョイバルサンは、もちろんはじめての訪問だそうだから含まない。とすると、同じ程度見ることができれば上々だが、果たしてどうなるか。そんなことも笑いながら話題になるようになった。
夜になって風が強くなった。夜中に大声が聞こえて目が覚める。何時ころかわからない。若い男が「オーッ。オーッ」と絶叫を何度も繰り返している。それで思い出した。昨日止まっていたテレルジの宿の外では夜中に若い男女や、若い人たちの話し声が遅くまでしていた。ホテルそばの公園は仕事を終えた若い人たちのたまり場にもなっていたようだ。騒がしかったが、そうだよなあ、若いころは私たちも夜遅くまで遊びほうけていたなあと眠りながら思っていた。朝の探鳥で歩いてみると、お酒の瓶や缶などのゴミが散乱していた。だが、チョイバルサンの若い人の叫び声は、夜遊びというよりも、たまりにたまった、持って行き場のない鬱屈を吐き出しているように聞こえる。モンゴルも一筋縄ではいかない苦しさを抱えているようにみえる。(つづく)
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