2017年6月6日火曜日
忘却の彼方へ溶けだす――モンゴル鳥観の旅(7)
昨日、チョイバルサン空港の待ち時間に「鳥合わせ」をする段になって、私は「チェックリスト」を宿に置き忘れてきていることがわかった。「夢まぼろしの至福のとき」に酔って、身の始末がどうでもよくなっているのかもしれない。あぶないあぶない。
★ 第7日目(5/30)
朝の探鳥を皆さんは6時からとしたが、skmさんとわが師匠は5時半からにしようと打ち合わせている。むろん門前の小僧は付き従う。シウリザクラの花が散りはじめて、少しみすぼらしい。ヤツガシラの鳴き声は相変わらず。姿を見ても、ムクドリほども注目しない。川に沿って南へ広がる林地の端の方まで行ってみる。昇る朝日に木々の陰が長く伸び、木の葉の緑を明るく照らして、夜明けの美しいコントラストを演出している。何種かのカラスが飛び交う。カササギが草地に降りては木へと舞い上がる。アジサシが川の流れに沿って行き来する。ルリガラをみる。私には尾の短いエナガのように見える。
観るというのは直観である。分析的に見るのは「解釈」だ。直感を磨かなければ鳥を観ることは適わない。ngsさんが、尾に白い筋があるか、背と腹の色を見分けろ、羽根を広げたときの末端の模様がどうなっているかというのは、「解釈」を直感にまで高めている人の、門前の小僧への啓蒙に過ぎない。「解釈」に頼っている間は、それは観ることができないのだと、つくづく思う。門前の小僧は、門内に入って修行に励むか、門前に立ち尽くして門内の修行僧のさわやかな雰囲気の近くに身を置いていることを、ただただ(分を心得て)愉しむか、そういう地点に立っていると思うようになった。
朝探の本隊が向こうの林にみえる。彼らも何かを見つけてはスコープを構え、双眼鏡を目に当てる。最初この林に来たときのように欲張っていない。もう十分堪能しているが、好奇心は失っていないという、余裕の風情が醸し出されている。ゆっくり歩いてホテルの裏側へ足を運ぶ。おっ、キバシガラスじゃないか、と誰かが声をあげ、ホテルの屋根へ双眼鏡を向ける。たしかに嘴は黄色い。「足の色をみて」とngsさん(だと思う人)が、口にする。幼鳥だよこれは、と誰かがいう。そういえば、何だか心細そうにそわそわとしている。離れたところにスコープを構えた人が「脚は赤くない」という。のぞかせてもらう。たしかに足は灰色っぽい。陽の光の当たり具合によって色はいかようにも見える。あれこれ言いながら評定をしていると、屋根の端っこにベニハシガラスが何羽かやってきて降り立つ。と、件の「キハシガラス」が甘えた声をあげながら、そちらへ寄っていくではないか。なんだ、ベニハシガラスの幼鳥だったのだと、皆さん大笑いする。面白い。群れの他の幼鳥は屋根から飛び降りて何かを啄ばんでいる。だがその幼鳥は、屋根から飛び降りるのを躊躇っている。生長の遅速がこんな形で、群れの中に生まれているのだ。放っておかれたのだね。
さらにすすんで、ホテル裏側のフェンスを抜け、疎林の草地に入る。アカゲラがいる。背中が白い。カメラに収める。写真を見てngsさんが「オオアカゲラ」だとしたが、今私のメモをみると、この日のチェックリストに載っていない。はてなんであったろう。オオアカゲラにしては背中の白いのが気になるとngsさんが話して、ペンディングされたのであったか。
朝食を済ませ、8時半に出発。今日は木の橋を渡らず、ホテルと市内へ向かう広い道を隔てる川の左岸に沿ってニセフ池とみどり池に向かう。skmさんはこの周辺の地理を承知している。ニセフ池にいた水鳥、アカツクシガモやシマアジなどは、私たちが近づくとどこかへ姿を消してしまった。アジサシのカップルが池の中州にいて動かない。卵でも抱いているのかと思ったが、二羽とも立ったまま。
その南にあるみどり池には水路が邪魔をして近づけない。車で大きく回り込んでそちらへいくと、たくさんの鳥がいる。逆光なので見分けるのに難儀している。順光になるようにさらに池の南側へ回り込む。今度はよく見える。鳥は中州のようになった島へ身を寄せる。シギチドリが水辺に屯している。一羽のオオハクチョウが中州の巣に座っている。卵を抱いているのかもしれない。もう一羽はゆっくりこちらの方へ来ている。しばらくすると巣にいたオオハクチョウがこちらへ来て、もう一羽と連れ立って巣の方へと戻っていく。どなたかが、「あなたもちゃんとイクメンしなさいって、連れ戻しに来たんだよ」と解説しながら笑っている。シマアジ、セイタカシギ、あっ、アカアシシギ。カンムリカイツブリもいるよと声が上がる。アネハヅルがいる。こちらでは、ハジロクロハラアジサシかハシグロクロハラアジサシかとやり取りをしているが、私にはなにがなんだかわからない。目の前を飛び交うアジサシの腹が黒いのと白いのが混雑していて、互いに違いを意識しているのか、どう見分けているのかと不思議な思いがしていた。目で見ているのではなく、匂いとか飛ぶ風の切り方とか旋回屈曲の仕方の体感という人間にはわからない感覚器官が働いているのかもしれない。
クロハゲワシやベニハシガラスが空を舞う。山肌の窪地に牛の死骸があった。それを狙っているのかもしれない。もう一度ここを通るから、そのときみてみようと先へバスを進める。ホテル裏の、昔、鉱産物を運んでいたという廃線となった3メートルほどの高さの線路に上り、その向こうの湿地をのぞく。高いところからみると、視覚が変わって面白い。セグロサバクヒタキとハシグロサバクヒタキが、すぐ近くの枝とか線路の上とかに止まって、ほらっ、よく見てっ、と言わんばかりにポーズをとっている。
こうしてずいぶん今日もたくさんの鳥を観て、午前中の探鳥を終え、ウランバートルのレストランへ行く。市街の道路は渋滞している。運転手はさかさかと走路を変える。ぶつからないかとはらはらする。だがモンゴルも、車社会になっているのだろうか、クラクションをうるさく鳴らす様子はない。横断する人も車の列に割り込んで、右へ左へと上手に歩く。何かアトラクションでもあるのだろうか、出店用のテントが幾張りも張られ、せわしく人が働いている。活気がある。これから何かに向かって進もうとしている若い街だ。
お昼を食べたのちに「鳥合わせ」をする。14時50分。キジバトとかシラコバトが「初見」の鳥に上がる。55種、「初見」は10種。「累計」は142種、現地ガイドのガナーさんの師匠の兄さんが案内したときは137種だったから、「やったね」とngsさんがガナーさんに握手を求める。恥ずかしそうに照れながら彼は親指を立てる。
昼食後、まず中心街にあるNOMIN DEPARTへ行く。ここは定番の場所らしい。去年南ゴビを訪ねたときも(別のガイドであったが)ここに案内してくれた。6階に土産物などを売っている。1階にスーパーマーケットがある。その両方を歩いて、マヤラさんが通訳をしてくれる。岩塩や蜂蜜やサーチという木の実のジュースをおすすめの土産として紹介してくれる。すべてカードで決済できるのが便利だ。
6時からの民族舞踊観覧を5名が希望していた。「Tumen Ekh ——National Song&Dance Encemble」。馬頭琴や胡弓、モンゴルの蛇皮線、獣の角をくりぬいた笛、大がかりな装置の木琴、フルートなどの器楽演奏にホーミーというモンゴル独特の発声法による歌などなど、70分ほどを飽きさせずに演じてみせる。なかには「ボディアート」と呼ぶ中国雑技団の個人曲芸もどきもあって、ちょっと興をそがれたが、おおむね草原の民が風とともに暮らしながらはるか遠くへ声を届かせる民俗の香りを漂わせていた。その中に今風な音楽を取り入れ、若い人たちの恋歌や踊りをコミカルにとりまぜて、モンゴルに暮らす人々の誇らしさを表しているようであった。
外でに出たところで、ガイドのマヤラさんが子どもを抱いて迎えてくれた。一週間ぶりに母親と出逢う3歳の末娘。女の子というのに、散切り頭のように頭髪が短い。モンゴルでは3歳の誕生日に男の子も女の子も丸坊主にするのだそうだ。そういえば翌日帰国する飛行機にも、丸坊主にした女の子が母親と一緒に乗ってきていた。母親は日本人だったから、モンゴル人と結婚しているのかもしれない。マヤラさんのご亭主が娘の面倒をみていたようだ。久々の母親に甘える娘をにこやかにみている。30歳代のモンゴルのイクメンというところか。
民俗舞踊をみなかった人たちは近くの公園などで探鳥していたようだ。近くのテニスのクラブハウスにあるレストランでモンゴル最後の夕食を摂る。tnkさんがワインを注文している。「飲めるの?」「そう、日本酒だけど、ふだんは飲むよ。でも、旅は何があるかわからないから(控えていた)」と呑み助の女性同士が言葉を交わしている。そういえば昨日は、ngsさんが珍しくビールを注文して口をつけていたっけ。探鳥の旅もここまで来たという安堵感がみられて、こちらもうれしくなる。
★ 第8日目(5/31)
最終日は、ひたすら帰るだけ。朝5時15分にバッゲージダウン、5時半に出発。ジンギスカーン空港に向かう。マヤラさんも出入り口まで。その先は搭乗客しか入れない。握手をして別れ、預ける荷物をチェックインカウンターで渡してから、朝食の弁当を食べる。ペットボトルを持ち込めないから、その前に処分しなくてはならない。そのためのゴミ箱も空港は用意している。nkh弁慶さんは、重い荷物も、ノーチェックだったと笑っている。良かったね。
搭乗した機は、162人乗りの古い中型機。座席にモニターもついておらず、帰りに見ようと思っていた映画が見られないとカミサンはお冠だ。三分の二ほどの乗車率だろうか。だが母と幼い子が別々の座席になっているなど、結構適当にシートを割り当てていると思われた。むろん、CAが調整はしたが、この母子が先述した丸坊主の(たぶん)三歳児であった。私の座席は窓側に代わってもらい、下界の様子を見ながら5時間ほどを過ごした。モンゴルから内モンゴルへ抜けるよりも、中国東北部の遼寧省に入った辺りの景観の違いに目を見張るものがあった。大地が緑に覆われている。水の流れが見事に人工的に管理されている。それを見ているうちに、港が見え、仰々しい突堤が海へ張り出し、黄海に入ったと実感させる。そのあたりから雲が立ち込め、下界は見えなくなってしまった。気づくと海を越えている。ときどき海も見える。どのあたりだろうと思っていると、「あと20分ほどで着陸します」とアナウンスがある。ええっ、日本海から成田までそんなに近いのか。気がつくと利根川らしい。おや、そちらは渡良瀬川だと思う間もなく、機は高度を下げ、成田に降りてしまった。あっけないことよ。
手続きを済ませ、荷物受け取りをして挨拶をしながら、皆さんと別れた。少しじっとりとする成田の空気が、何だか懐かしいように思える。武蔵野線を降りて歩いてはじめて、汗を掻く。汗もかかず過ごしたモンゴルの快適な旅は、こうしてまた忘却の彼方へ溶けだしてしまうのであった。(終わり)
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