2017年6月6日火曜日

夢まぼろしの勘違い――モンゴル鳥観の旅(6)


 nkhさんは1300mm望遠のデジスコと400mm望遠を装着した一眼レフカメラをぶら下げて探鳥に足を運ぶ。これは傍目にも七つ道具をもった弁慶が歩いているような印象を受ける。鳥を観ると言っても、スコープや双眼鏡で鳥を観るのと、カメラで写真を撮るのとはまったく動き方が違ってくる。公園などで鳥の撮影をしているひとたちは、同じところに腰を据えると動かない。鳥が来てくれるのを待っていることが多い。ところが今回のモンゴルの旅は探鳥が主、したがってnkhさんはしんどいのではないかと思っていた。しかし実に彼は、行動的であった。彼自身最初の挨拶したときに、「どちらかというと皆さんと違った動きをすることになる。変わった人とみえるかもしれないが、そういうのがいてもいいのではないかと思っている」と話して、おや、面白い人だと思ったのだ。チョイバルサンに行って、同じランドクルーザーに乗って4日を過ごした。一眼レフを首から下げ、デジスコをもって車高の高いあの車から乗り降りするのは、たいへんな体力を必要とする。まして、鳥を観るために園地を歩き回ったり池に近づいたりする皆さんの動きに合わせるのは、並大抵のことではない。かれはその撮影を「記録」だという。写真にとって、後にそれを同定する。鳥の名前は知らないが、カメラに収め、SDカードに姿を収めておくことに主眼を置く、と。なにしろ今回の撮影枚数も4000枚を越えているのではなかったろうか。連写しているからとは言うが、あとでどのように整理するのか、教えてもらいたいものだ。風の強かった日、デジスコの対象画像は風でぶれる。400mm望遠をつけた一眼レフでさえ、ピントを合わせることが難しい。だが、彼撮ったカラフトワシは見事に翼を広げ、先端が反り返って、今まさに羽ばたいて浮揚しようとする瞬間をとどめていた。芸術写真だと私は思う。朝探はいつのまにか誰よりも早く動き始める。探鳥地でも、先頭の現地ガイドとngsさんに遅れることなく付き添う。さすが、新しい世界に開眼したような取り組み方だと舌を巻く。かたわらにいるだけで、いろいろ学ぶところがあった。旅の幸運というのは、こういう出逢いにもあるのだと、思った。


 ★ 第六日目(5/29)

 今日の朝探は6時から、やはり皆さん早く集まっている。今日も川の方まで行くのだが、いつものルートと違って、林地を抜け草原の方を歩く。カッコウが木の枝に止まってこちらを向いている。それがいつの間にか後ろ向きになって上を気にしている。カッコウの視線に沿って上空をみると、ワシタカが旋回している。クマタカだ、と誰かが言う。カッコウもそれを目で追っていたわけだ。アカアシチョウゲンボウが飛んできて電線に止まる。朝陽を受けて、くちばしと目の周りのリングが赤く鮮やかだ。さあ映してと催促しているような姿であった。マミチャジナイがいた。コマミジロタヒバリという声も聞こえる。向こうの方で、ヨーロッパビンズイとヒバリについてngsさんとガナーさんがマヤラさんを介して言葉を交わしている。キガシラセキレイが何度も美しい姿を見せる。

 1号車のドライバー、エンフタイワンさんの義弟が交通事故を起こして手術を受けるのにウランバートルまで行かねばならず、エンフタイワンさんとその車が出払ってしまったと、マヤラさんが説明する。そういえば、ガイドのマヤラさんも義父が倒れて入院しているところへ、彼女の母親が骨折して手術を受け、私たちのガイドができるのだろうかとngsさんが気をもんでいた。母親の手術はうまく運び、明日にでも退院すると言っていた。皆さんそういう事情を抱えて、仕事をしているのだね。こうやってモンゴルくんだりで遊ばせてもらっているのは、いろいろな幸運が作用しているのだと思う。

 3号車のドライバーが運転にとても気遣いをしてくれる、とカミサンに好評である。私のふだんの運転を乱暴だと言っている彼女が、凸凹の道を身体の揺れに気遣いながらゆっくりハンドルを回すドライバーに感心している。このエンフボルドさん、車を止めたときにもさっと降りて後ろのドアを開け、nkhさんが降りるのを手伝っている。2号車は後ろドアがチャイルドロックがかかっていて、外から開けなければ開かないと苦情を言っていたが、それを考えると、3号車のドライバーはよく気がつく。運転しながら、指を伸ばして鳥が飛んでいると教えてくれる。ふと見ると、いつのまにか双眼鏡を手にして、鳥を観察していたりする。日本人旅行客の酔狂に付き合っているうちに、その面白さに気がつくという図かもしれない。

 今日は西の方へ向かう。メモを見ていて今気づいた。昨日、キリアイ池をカザフ人がつくったと書いたが、それは、今日行ったカザフ湖とキリアイ池を途中から重ね合わせている、まったく私の勘違いであった。このキリアイ池の南、よりチョイバルサンの街に近いところにカザフ湖が位置する。昨日は、こう書いている。重複するが再掲載する。それほどカザフ湖の風景に気持ちが魅かれていたのだ。以下の3つの段落がカザフ湖の記述。夢まぼろしのような至福のときとは、この日のことであった。いやはや、申し訳ない。こういう時間の並びが錯綜するのはボケのはじまりだと、どこかで読んだことがある。緩やかにはじまっているのかもしれない。この歳になれば、はじまっていても不思議ではない。

 池にはずいぶんたくさんの水鳥がいた。燕も飛び交う。一回りしようと車で移動する。ところが、南の果ての少し小高いところにもう一つ小さな池がある。その小池に、実にたくさんの水鳥がいた。スコープで一つ一つ確認しながら「初見」の鳥を増やそうとするのだが、皆さん観ている方向が違うから、あれがいる、これもいる、えっ、どこどこ、そちらよ、あっちだよとさんざめいて、落ち着かない。西から順にやろうとはじめるが、すぐに同定のやりとりをしているうちに、どこまで何をしていたかを忘れて、振出しに戻る。みなさん、その騒ぎを存分に楽しんでいる気配。虫がたくさん出てきた。防虫対策が必要ですと、来る前にいわれてそれなりに用意してきたが、この寒さで使わないままだった。いまも長袖を着ているから、まだ大丈夫だ。ツバメが多い。背も腹も黒いヨーロッパアマツバメも、腰が白いアマツバメも、すぐ近くを飛び交って見分けがつく。強い風が吹く。ツバメは風に乗り、風に流されながら、虫を啄ばんでいるのだという。それにしても、よほど目がいいのか。この速さで移動しながら、目にもとまらぬ虫を捕食するただただすごい、と思う。そうそう、大変な数のアネハヅルがいた。一斉に飛び上がり、ふわふわと風に揺蕩い、一斉に草地に降りる。壮観である。振り返ると、古い牧場の小屋の上、青空に白い雲の塊がぽっかりといくつか浮かんで、まるで夢まぼろしの絵の世界にいるように思える。

 対岸の、馬がたむろしているあたりに古い小屋がある。そこへいってみようと車に乗って、湿った塩苦汁土に踏み込まないように大回りして、小屋に近づく。マヤラさんの話では、この池はカザフ人がつくったそうだ。幅1キロ、長さ2キロほどのこの大きな池はしかし、どこにも水の入口があるようにみえない。天水だけなのか、それとも湧水があるのか。話しているとngsさんが一番遠い先を指さして、あのあたりに流入している川口があって、こちらの車輪柵の向こうに出流口があるという。でも、ここも盆地のように凹んでいるが、周りはせいぜい10メートル高いくらい。どこから川が流れ込んでくるのだろうか。彼らはここに棲みつき、放牧をしていたがいつしかいなくなってしまった、と。いつ頃のこと? つい最近まで。カザフの人たちはどんな暮らしをしていたのだろう。なにがあったのだろう。なぜこの地を捨てたのだろう。牛の群れもいる。少し離れて羊の群れもいる。小屋の向こうには馬車の車輪を三分ほど土に埋めた結界が池から二百メートルほども伸びて小屋の後ろの丘に消えている。馬の群れが水の中に入っている。雲がぽっかり浮かんでいる。先ほどまでいた小さな池の上の小屋が地平線に浮かぶ。ああ、これも絵になるなあとカメラのシャッターを押す。ここに身を置く至福のときという趣がある。

 ヒメチョウゲンボウがいる、いや、巣があるよ、ヒナもいるよと声が上がる。小屋の屋根の上空でオオノスリとヒメチョウゲンボウがもみ合っている。と、オオノスリが巣のある庇の隅に止まる。だんだん巣に近づいていく。おっ、いよいよヒメチョウゲンボウのヒナを襲うのかとおもわれた。だが、近づいてきたヒメチョウゲンボウをみると、オオノスリは飛び立って追い払おうとしている。なんだ、これはオオノスリの巣なのだ。ヒメチョウゲンボウは、そこと九十度違った小屋の切妻の方の屋根下に巣がある。こんなに近くで、しかも何羽ものムクドリがうろちょろとしている。危ないじゃないかと思うが、小鳥たちは平然と行き来する。ヘンなの。

 ここでずいぶんの時間を過ごし、街のレストランへ戻ってお昼にする。13時。ここの食事が驚きであった。予約していたにもかかわらず、「予約は受け付けていません。30分はお待ちください」という。ところが実際は、50分待っても食事は来ない。ngsさんは、これだけ時間がかかるってわかっていれば、「鳥合わせ」ができたのにと残念そうに口にしていた。しかし、この待ち時間のおしゃべりが面白かった。テーブル二席、4人ずつに別れていた。私のいた席はngsさん、osdさん、tnkさん。どなたかがngsさんの「鳥来歴」、つまりなぜ鳥に関わることになったかと尋ねた。その回答が面白かった。

 ngsさんは小学校5年のころに蓮田に越してきたことから話しはじめる。それが昭和30年だということから、彼の生年がわかる。私より二つ若い、戦中生まれだ。その頃の蓮田の様子、その当時のサラリーマンが(今とは違って)それなりの金持ちであったこと、彼が周りの子どもたちと違う、わりとハイブロウな幼少時代を送ったこと。ハトを飼い、朝、学校にハトを、友人たちと持ち寄って校庭で放す。それが違わず自宅の鳩の巣に戻ることが嬉しくて世話をしていたこと。バカなハトは自宅へ帰れないこと。鶏を飼っていて、世話をして卵をとることが子どもの仕事とあって、鳥との接触は深かったこと。産みたての鶏卵の殻はやわらかく、熱いほど温かいこと。その由来話が、いつしか、鳥インフルエンザを野鳥が運ぶというのは、冤罪ではないか。むしろ、狭いケージに一羽ずつ閉じ込めるようにして飼いはじめてから鳥インフルエンザがはじまった。ところが、野鳥が死ぬとその方が(原因とすると)報道はセンセーショナルだからインパクトがある。それによって誤解されているとngsさんは力説する。というか、彼は決してそう断定はしないのだが、聞いている私の感覚には、そう言いたい彼の主張がビンビンと響いてくる。面白い。そう話をする彼の自然観が、私の思うそれとどこかで通じているからだろうと思いながら、耳を傾けていた。それとも、場所を違えて過ごした時代が、まだ江戸時代の自然を残すような佇まいだったからであろうか。感性は全然違うが、話が合うのだ。

 お昼が運ばれてきた。大きいサラダだろうか、見た目にはホールケーキのようだ。ナイフとフォークを入れる。ポテトサラダを野菜とマヨネーズではない何かと混ぜ合わせて、ケーキのようにまとめている。これが、おいしい。これだけでお腹はいっぱいになると思われたが、とうとう全部食べてしまった。食べ終わったころに、メインディッシュが運ばれてくる。鶏肉を素揚げにしたのであろうか、味もしっかりついていて、これもおいしい。いやはやこれを食べるのはたいへんだ。とうとう私も、ひとかけら残してしまった。これまでも何度か書いたが、モンゴルの食事はこの一年の間に激烈に変化したように思う。私の加わったツアーの違いもあろうが、モンゴルが急速に変化していると思えてうれしい。

 飛行機の出発までには、まだ時間がある。空港近くの池に行く。ここも名がない。やはり「初見」の鳥の名をとって「ゴビズキンの池」とngsさんが名付けた。そこでゴビズキンをみたのだ。ユリカモメに似ているが、飛び上がったときの羽根の末端の黒い模様がはっきりと違う。これを見つけた時のngsさんは、飛び上がらんばかりのよろこびようであった。いやよかった。これで今日の「初見」が一つ増えた。池の向こうには平たく20メートルほど盛り上がった台地が見える。マヤラさんに聞くと、ボタ山だという。そうか、モンゴルは鉱物資源の輸出国でもあった。空から見ると、露天掘りのそれが、きれいな幾何学模様を描いてところどころにあった。それが銅鉱山なのか石炭なのかわからない。いま稼働しているのかどうかもわからないが、街のすぐ近くにボタ山があるというのは、驚きである。強い風が吹く。ボタ山の土埃が舞い上がる。今日は飛行機が飛ぶだろうか。

 空港について荷物を預ける。nkh弁慶さんは、また超過分を支払って搭乗手続きを済ませる。待合室で「鳥合わせ」をする。今日の観察は68種、「初見」は18種、「累計」は132種。ngsさんのモンゴル累計記録は137種。あと5種だ。私たちを乗せる飛行機がやって来た。これでウランバートルへ予定通り飛べる。

 搭乗機は来たときと同じ50人乗りのプロペラ機。今度はずいぶん空いている。17時40分発。これも定刻に出発。チョイバルサンの緯度は北緯48度余、ウランバートルは北緯47度余。ほぼまっすぐ西へ飛ぶ。視界を遮る雲はない。茶色の低い山がつづく。ウランバートルに近くなると、西側の山肌は茶色、東側の山肌は緑色をしている。あとで調べると、強い風のせいで西側には木が生えず、東側ばかりに緑が広がっているのだそうだ。そういえば、チョイバルサンの飛行機は、早朝発と夕方以降発になっている。それは風が強く、昼間は発着に向かないからだとマヤラさんが話していた。
茶色の山肌がつづく。機中で前の座席に座っていた二人が、下に雪が広がっているという。覗いてみるが、どこにも雪の気配はない。ところが降りたとき、反対側の窓際にすたっていたngsさんが雪で真っ白だったねと話して、一挙にミステリーになった。どうしてそう見えただろう。どうしてそうみえなかったろう。19時20分にウランバートルに到着した。

 マイクロバスが迎えに来ている。順調にモンゴリカホテルに向かう。やはり木の橋を渡る。明日また一日ウランバートルの探鳥地をめぐる。(つづく)

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