2017年6月3日土曜日

無知だから平気なのか。無知なのに平気なのか――モンゴル鳥観の旅(3)


 テレルジのUB2ホテルはTVの電源が入らなかったりして、壊れかけた外見と中身が見合ってはいたが、モンゴル語の番組をみたいわけではないから、困りはしない。バスの湯もほどほどに出る。10時には床に就き、すぐに寝入った。

 ★ 第三日目(5/26)

 朝5時15分から探鳥がはじまる。嬉しかったのはクマゲラが凸凹の谷地坊主の陰にいて、ほんの3メートルほどのところで見かけたこと。私の前を歩いていた現地鳥ガイドのガナーさんが立ち止まり、指さしてくれたのでわかった。黒い顔がまずみえ、すぐに飛び立って20メートルほど先の木にとりついたので、皆さん見ることができた。カップリング中らしいオシドリもたびたび姿を見せる。シロハラゴジュウカラが木の幹に取り付いて上り下りしている。声ばかりを立てていたカッコウが姿を見せる。ムジセッカという小鳥もまったく人を怖がらず、しばらく小枝に姿を見せていた。どの鳥も子育て中なのか同じところに来ては去り、またやってくる。巣穴に出入りしているシロビタイジョウビタキは警戒音をたてて、観ている私たちを牽制する。オジロビタキがニシオジロビタキと違うと説明されても、どこがどう違うか、やはり私にはわからなかった。ngsさんはオジロビタキに、これは(東)だと冠称をつけて区別している。意外にも、ホテルすぐ脇の林の中に、驚くほどたくさんの小鳥が巣をつくり、群れていた。


 7時半に朝食。パン、ジャム、バター、卵焼き、ウィンナ、キュウリと定番メニューだったが、ガイドのマヤラさんが味噌汁を用意してくれた。そうだ、食事をしていたら窓の外のフェンスの上をリスが走っている。背中の縞模様がくっきりと見える。シマリスだと言ったら、マヤラさんがネズミよと訂正する。たしかによく見ると、ネズミの尻尾をしている。でもマヤラさんがみせてくれた図鑑のネズミは背中に縞模様がない。写真を撮ったが尻尾は映っていないから、ほんとうにシマリスにみえる。8時半出発。今日はチョイバルサンに飛ぶ。それが午後なので、ところどころで探鳥しながらウランバートルへ戻る。昨日通り過ぎた亀石に近い小高い山の稜線の岩の上に、なんとアカツクシガモが4羽、天下を睥睨している。なんだか常識を覆すようなたたずまいが可笑しい。亀石への道の片側は向こうの山との谷間になって、萱のような1メートルほどの草が一面に生え5メートルくらいの柳の木が点在している。アカマシコが高い声で鳴いている。でもどこにいるのかわからない。と、ガナーさんが谷あいに降りていき、萱をかき分けて川縁の木の下へ近づく。と、小鳥が飛び出す。それが止まったところに双眼鏡を向けると、アカマシコがきっちりと見えた。そうそう、「マーモットがいる」という声に振り向いてスコープを覗くと、山の斜面の草地に起ちあがっている。マヤラさんが「そう、タルバガン。おいしそう」というのに笑った。こちらでは丸焼きにして食べる御馳走だそうだ。

 ウランバートルの町に近づいたところで車を止め、ドーラ川べりへ降りる。背の高い萱が生え、視界を遮っている。その後ろには柳の木が大きい。ガナーさんは何か目的を持つかのように急ぎ足ですすむ。マヤラさんに尋ねると「ツリスガラの巣を探している」と教えてくれる。柳絮が飛ぶ。川面に落ちた柳絮が淀みに溜まって水面を白く覆っている。ガナーさんがついに見つける。食虫植物のウツボカズラの蓋をとり、少しまあるく大きくしたような形の巣が10メートルほど上の木にぶら下がっている。その一部には葉のついた木の小枝が織り込まれて、ちょっとやそっとでは落ちないようになっている。柳絮を巣材にしているのだろうか。やわらかい綿を紡いだような滑らかな表面が念の入った制作を物語るようだ。と、ツリスガラが巣穴から顔を出す。白い顔にまるで黒いゴーグルを掛けたようにみえる。下から見上げる私たちが気になるのであろう、とうとう巣から飛び立つ。だが遠くへは行かない。すぐに戻ってきて巣の上にとまり、あくまでも巣を守る決意を示しているようだ。誰かが何かをみつけて指さしている。ヤマゲラだ。昨日見ているから見分けはつく。今度は柳の高い木立の枝に乗っている。二度も見てしまった。小鳥の鳴き声が聞こえ、あれは何これは何とやりとりをしている。ngsさんが「tnkさんは耳がいいねえ」と感に堪えないように話している。

 ウランバートルの市内に入る。とたんに車は渋滞に巻き込まれる。片側3車線の道路一杯に車があふれる。人はその合間を縫うように歩いて横断する。信号などあってないが如きだ。国会議事堂の前を通る。来月総選挙があるとマヤラさんは説明する。そうだモンゴルは、ロシアにつづいて世界で二番目に1924年の社会主義革命を起こした共和国だった。私はそれが社会主義を採用したというよりも、中国とロシアの狭間にいて身を守る小国の、止むを得ざるひとつの選択であったと理解していた。シベリア出兵とか、日中戦争とか、満州国とか、中国革命とか、中ソ対立とかの時期を、どうやってしのいでいたろうか。それらの時代を通観するときの私の胸中にモンゴルのイメージは片鱗もない。だから私は能天気に、モンゴルへ遊びに来ることができる。去年、大連や旅順、奉天(瀋陽)を訪ねたときは、日本語の達者な中国人ガイドが案内してくれていても、かつて日本がこの地にいた形跡に接するごとに、とても重苦しい気分を抱えて過ごした。無知だから平気なのか。無知なのに平気なのか。私自身が侵略したわけでも戦争をしたわけでもないが、日本に生まれ育ったという「関係の絶対性」を身体がシカと承知している。その泥濘を拭い去ることは、そう簡単にはできない。鳥を観るとか山に登るというのは、直に大自然に接するという点で、人間臭い歴史性を飛び越してしまう。これは私自身のなかの、無意識の(穢れた関係の絶対性の)浄化作用なのだろうか。

 昼食は意外なところであった。Barbeque House。Barbecueでないところが、モンゴルの新奇さの発露に思える。ブッフェ方式と言っていたのは、肉や野菜や調味料を自分で選んで3人の料理人のいる調理どころへもっていく。それを鉄板に乗せて焼いてくれる。焼きあがるのを待っている人で一杯だが、料理人のパフォーマンスが飽きさせない。いかにも大都会の洒落たレストランだ。味も良かった。去年のモンゴルでこんな感触をもたなかったのは、旅の主宰者の傾きもあろうが、私自身がモンゴルのそういった面を目に留めなかったとも思う。だから、テレルジの変わりようもこの一年のことだと、私が勝手に思い込んでいるのかもしれない。おいしかった。

 ゆっくりお昼を済ませてから空港に向かった。国内線は、預ける荷物が10kg、機内持ち込みの手荷物が5kgの制限がある。七つ道具のnkh弁慶さんは「超過料金を払えばいいんでしょ」と大枚をはたいていた。でも超過料金よりも、こんなに重い荷物を持ち歩くのは大変のではないか。むしろそちらの方が気にかかる。乗った機はHUNNU AIR50人乗りのプロペラ機。プロペラ機と知ってなんとなくほっとしている自分を感じる。どうして? プロペラ機ならエンジンが停止しても滑空できる。それが安心なのだ。1時間半ほどでチョイバルサン空港に着陸した。いや驚いた。なんにもない、ただただの平原。去年南ゴビに行ったときは、それでも遠方に高い山があった。ところがここは遮るものがなにもない。四方に地平線が見える。カミサンは、ええっ、と驚いている。チョイバル山だと思っていたのだと笑う。CHOIBALSAN INTERNATIONALと建物の壁面に張り付けてある。

 とうとう来た。モンゴルの東の端の県、ドルノド県の首都・チョイバルサン。私はハルハ川の近くだと思っていたが、後で調べてみると、満州国との国境を流れるハルハ川は400kmも東にある。ノモンハン事件の発端はハルハ川へ馬に水を飲ませに来たモンゴル人たちを「越境だ」として追い払ったことだったと、何かの本で読んだことがある。つまり遊牧生活をするモンゴル人たちにとっては、「国境」なるものがなんであるかさえ関知外であったに違いない。しかも満州国というツングース族の暮らしていた地に遥か東南方よりやって来た日本軍が武力で追い払ことに、憤激したのだという。もちろん武力的に満州国を守る日本の関東軍に抗することが出来ようもないから、ソビエトの力を借りることになったろう。あとでどなたかが話していたが、ノモンハン事件と呼ぶのは日本だけで、モンゴルにとっては「戦争」であった。だからチョイバルサンの市内には、あちらこちらに特車や戦車の遺物が飾られ、1939年という戦勝記念の碑が建てられている。

 チョイバルサンの町はさほど大きくない。町並みも3階建て程度と背が低い。ngsは区画がきちんとなされ町並みが整っていると好感を持っていることを隠さない。ngsさんという方がそういうセンスの方だということは、準備過程のメールの中身を見ていればすぐにわかる。ウランバートルやチョイバルサンの標高、緯度経度、ウランバートルからの距離、かゆいところに手の届くような現地ガイドへの事前の質問など、とりあげることがらに彼の志向が表れている。至れり尽くせりの気遣いは、彼自身が隅々まできっちりしないと気が済まないと思っていることでもある。私は、ひとさまに物事を任せるからには、その方のやり方に従うと考えているから、感心はしても不平や不満を懐くことはない。またngsさんのそのような気質が、彼の学究的な鳥への向き合い方のベースになっていると思う。それはそれで、ひとつ項目を改めて記し置きたいと考えている。

 18時、今日の宿Royal Hotelに着いた。ここに三連泊する。目の前が大きな公園になっている。そこはたぶん、明日の早朝探鳥で歩くことになるだろう。18時半から取り合わせをして、19時から夕食。日本でみたチョイバルサンの天気予報では最高気温35℃とあったが、ガイドさんの話では20℃程度とか。過ごしやすい気温にホッとする。3日分の洗濯をする。洗面台が狭く使い勝手が悪かったり、シャワーとの結界がビニールのカーテンだけで床が水びたしになるのは困ったものだ。それでも、水やお湯が出ないわけではないから、まあまあ良しとするか。(つづく)

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