2017年6月8日木曜日
ひと仕事終えて
「モンゴルの旅」をやっと終わりにした。6日に終わったのではなかったか? とお思いでしょうが、じつは、旅を一緒にしたグループの申し合わせで、私が「旅行記」を取りまとめることに決まっていました。私は「私的感懐」しか書けません。公式の旅の記録にはなりませんよと断っておりましたから、だらだらと行程順を追い、ときどきに思い浮かんだことごとを、書き留めてきました。
「探鳥の旅」ですから、鳥のことがもっと正確に記録されなければならないのでしょうが、そうなるととても私には、荷が重い。荷が重いのを無意識が証明するように、チョイバルサンの宿に、それまで6日分の「探鳥チェックリスト」を忘れてきてしまった。ガイドは宿に確認してあとで送りましょうと言ってくれたのですが、私は私の無意識の啓示に従うことにして、あきらめました。そういうわけでますます、記憶に基づく印象に留まることになった次第です。
先週の木曜日から書きはじめて、文章そのものは火曜日に仕上げました。分量はおおむね400字詰め原稿用紙で100枚。「そんなに長いのは、読む人に迷惑よ」とカミサンは一言で切り捨てました。「いやいや、それが狙いよ。中身がないときは分量で勝負するって、昔からやって来たこと」と私は居直りました。ですからカミサンは読みもせず、むろん読ませもせず、いま奄美大島で遊んでいます。
いくら長いのが狙いといっても、ブログに乗せた「原文」のままでは読みづらくてしようがありません。そういう意味では、このブログの読者の皆様には、ごめんなさいと謝らなければならないのですが、でも、ブログは、7回に分けてアップしています。ところが「旅行記」は一時に届くわけですから、もらっただけで「いやなヤツ」と敬遠されること請け合いです。少しは読む方に気遣う必要があります。昨日一日かけて、全体のタイトルと写真をつける。7回分(じつは8回分)の1回ごとに横長の写真をつけ、その回のタイトルを飾り文字を入れて添える。さらにまた、一回ごとの文章の切れ目ごとに、小見出しをつける。できるだけ質素にととのえて、pdfファイルにして、世話役の方にいま送付しました。
久々の大仕事でした。もちろん毎回旅をするごとに記録を文章にしていますが、それはもちろん私のための私的生業。ところがグループのための「記録」となると、それなりに気をつかいます。あまり私の感懐が前面に出ると読み苦しくなります。誰も私の想いを知りたいと思っているわけではないからです。削りに削ること、行程がそれなりに浮かぶようにすること、なによりもモンゴルの現地の風景と民俗が起ちあがるように書き込むこと。いうまでもなくそれができたというのではなく、そういう思いをもって、いったん書き落としたものを推敲したわけ。
終わってみると、私的感懐はわりと簡単にまとめられると感じました。「夢まぼろしの至福の世界」とどの回かで見出しにしましたが、最終的には「夢まぼろしのごとくなり」というのが、率直な感想です。全体のタイトルを付けた写真は、カザフ湖の脇にあった小さな池を見おろす丘の上にある作業小屋。ほかの皆さんが双眼鏡やスコープを池に向けて鳥をチェックしている間、それにあきた私は背を向けて、感嘆していました。小屋の上にはぽかりぽかりと夏の雲が浮かび、それらを浮かべる空の色は、見事に真っ青でした。ああ、これをみただけでモンゴルに来た甲斐があったと思ったものです。
それを「絵に描いたよう」と言い、「至福」と言いましたが同時に、「風とともに生き、天とともにある」というわが身の始原に向き合うような感触を得ていました。おそらく人生をここまで歩いて来て、この光景がもたらした啓示は、なぜ私が今でも山歩きをつづけているのか、あちらこちらを旅することが気持ちを魅するのか、解き明かすように思われます。人が生きるということは、始原に向き合うことかもしれません。そして始原に溶け込んでいくために、諸々の面倒なことを行なってきた。その私の航跡が、私の人生であったと。
そう言いう意味で、モンゴル族という人類史的な系統図の一端に位置していることが、今回の旅の啓示に出逢うきっかけになったと、嬉しく思っているわけです。それにしても私たちは、はるか遠くへ来てしまった。これから行く先がどうなるのかわかりませんが、つねに始原に立ち返り、始原と向き合っていることが、先行きの不安を昇華させてくれるように思っています。
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