2017年6月21日水曜日

ダイヤモンド晴れの鳴虫山


 いま(6/21)弱い雨が落ちている。TVの「予報」は「大雨、40mm/h」と警戒を呼び掛ける。じつは今日、山の会の「日和見山歩・鳴虫山」の予定であった。「当てにならない週間予報」は先週、「曇り、降水確率40%、降水量0mm」であった。CLのonさんと「実施はする。しばらく様子をみよう」と話していた。ところがその後「曇り一時雨、降水確率は変わらないが、降水量15時1mm」と悪くなる。onさんは「下山ルートが雨に濡れると滑りやすく危険」とみて、20日(火)実施でどうかと相談があった。皆さんに問い合わせて、了解をとったのは前々日の日曜日。月曜日のTVでは、「火曜日はダイヤモンドの晴。あとは梅雨空がつづく。洗濯などはお見逃しなく」と今日以降の大雨に注意を呼び掛け始めていた。


 昨日(6/20)、降り立った東武日光駅は陽ざしが強い。標高は540m。リュックを背負った人たちもたくさん下車し、バスに乗り換えている。奥日光や霧降高原へ行くのであろう。鳴虫山は駅から歩いて登山口へ向かう。8時35分。東照宮などへ向かう広い通りを渡るとすぐに、西への小道に入る。大谷川(だいやがわ)の支流、志度淵川にぶつかるとその左岸に沿って北上する。水量は少ない。クリの木に花が咲いているのであろうか、緑がいろいろなグラデーションをまじえて右岸に伸び上がる山体を覆う。マタタビの葉が半ば白くなって、葉の下に花が咲いていることを示している。ホオジロの声が聞こえる。キセキレイが横切って飛ぶ。屋根の上にも腹の白い小鳥がいるが、逆光で見分けられない。正面に大真名子山が三角に尖った山頂をみせている。突き当たるところで橋を渡り「鳴虫山登山口→」と書かれた看板を過ぎるところで、上着を一枚脱いで体温調節をする。樹林の中に入る。風は涼しい。ヒノキの林だが、林床には中低木の広葉樹が広がっている。(たぶん)ヒノキ林の手入れが良くなされて、数十年が経つのであろう。陽ざしが差し込み、コアジサイが楚々とした白い花をつけて斜面を覆う。

 CL(チーフ・リーダー)のonさんはゆっくりと先導する。「まだ風邪が抜けないんです」と言っていたotさんが二番手について、ペースを調節している。最後尾の私の前にkwmさんが歩いている。先週の小楢山のあと奥秩父の甲武信岳と国師岳を二日かけて歩き、一昨日帰って来たばかり。一日間をおいて今日の山に参加した。8日間のうち4日入山している。60歳代の半ばというのは、まだまだそうした山歩きが鍛錬になる年齢なのかもしれない。70歳代半ばになると、トレーニングにならない。疲れは溜まって、沈殿する。26分ほど歩いたところで給水タイムをとる。神ノ主山までの半ばとみているのだろう。

 「タツナミソウがある」と前方で声がする。なるほど、大波が押し寄せて崩れかける瞬間のような形に咲いた青紫色の花が二輪、丸く縁どられた緑の葉に乗っている。カメラを構えていたら、「こちらの方が花が多いよ」と頭の上から聞こえてくる。気づくと花というのは、向こうから飛び込んでくるようだ。一度だけホトトギスが鳴く声を耳にした。いつしかヒノキ林はなくなり、中低木の広葉樹がつづき、陽ざしが強くなる。ハルゼミが鳴きはじめ、夏に入ったことを告げているようだ。

 木の根が浅く広がっている。地面の下に岩でもあるのだろうか。根を深く張れないために広がって面にしがみついているのかもしれない。ところどころに古びた大木が、力尽きてどおお~っと倒れたようになっている。大きくなりすぎてじぶんを支えられなくなったのであろう。根がゆがみしゃくって地面を這う。雨に濡れてでもしたら、滑って歩きにくいだろうと思う。おやっ、ホトトギスの声が聞こえたように思った。

 樹林の隙間から青空が見える。神ノ主山(こうのすやま)の山頂842mだ。9時36分、登山口が8時53分。45分足らずで歩いている。地図のコースタイムは55分だから、ちょっと早いくらいか。古いがしっかりした標識がある。振り返ると、木々のあいだから女峰山が美しい。男体山は木の葉に隠されている。

 上りは、相変わらず急であるが、otさんもきっちり先頭について行っている。mrさんの声もよく聞こえるから、まだ疲れは出ていない。この人も強くなった。小楢山の先頭を歩いた人が後ろを振り返らずペースが速かったと、辛口批評をして今日のリーダーをほめている。この人のおしゃべりが、山行の活力源になっていることが多い。沈黙して登りはじめると、疲れが出始めた証拠だ。足元の木の根はますますひどく剥き出しになり、その上を歩くことが多くなった。msさんはそこを外した踏み跡を見つけて、登っている。

 「山」と彫り込んだ石柱がところどころにおかれている。その石柱の反対側に「一〇八」とか「九八」とか「八六」と彫り込まれている。なんだろう。里程標かな。「浮舟山」と一つには山名が添えられ、またひとつの脇の木には「陽明山1080m」とやはり山名があった。三角点とは違う標識だ。その石柱の上に石が積んでケルンのようになっているところもあった。その石の間に十円玉が置かれている。お賽銭のつもりだろうか。

 10時59分、鳴虫山1103mに着いた。おおむねコースタイムだ。東側に女峰山や赤薙山、それにつらなって北へ小真名子山、大真名子山、男体山と日光連山が明るい陽ざしを受けて、木々の間に立ちあがる。「さすが男体山だ、大きい」と覗き込んできたkwrさんが言う。木を横たえたベンチもある。すでに二人の登山者が、お昼をとっている。早いが私たちも、ここでお昼にする。30分もゆっくりした。この間に、山の会の会計を引き受けてきたkhさんが頸椎を傷め山歩きができなくなったと「会計係交代」の提案が出され、kwrさんが引き受けてくれることになった。

 11時半、下山開始。地図には「急な下り」と記されたところが三カ所もあるというので、これがその一、これは「長い下り」と一つひとつ口にしながら下って行ったが、四カ所ほどの急な下りを過ぎても、まだ「本命」の「独標の先」の下りに行き着かない。標高差で約600mほどを3km余の間に下ることになる。平均斜度20%というところか。ロープを張ってあったりするから、危険とは思われないが、高度感にmrさんが悲鳴を上げ、山道に悪態をついている。これが彼女の「恐怖緩和対策」だから、皆さん笑いながらからかっている。広葉樹林の林の中を降るから、強い陽ざしが苦にならない。風も涼しく感じられる。木の根が縦横に張り出して、それを踏みながら下るところは、雨でなくてよかったと思う。ほぼ1時間で独標に着く。「コースタイムで歩くって、ちょっとひどいじゃない? 後半なのよ、今は」とmrさんがリーダーに背を向けて声をあげる。「ちゃんとonさんに向かって言いなさいよ」と脇からチャチが入る。

 急斜面を降り、ホトトギスの声を何度も聴きながら日光宇都宮道路の下をくぐる。13時半、憾満ヶ淵に出る。いいペースだ。ここは、大谷川の本流から引き込まれた東電の発電所への引き込み水路が再び大谷川の本流と出逢う地点にある。何でも男体山の溶岩が固まってできた地形らしく、流れが狭くくねり、落ちる水が渦を巻いてほとばしる。長良の向かいは流れの向かいは東大植物園。うっそうと茂る木々が山深くに入り込んでいるように思わせるが、その向こうはいろはざかへむかう大通り。植物園の南側は田母沢の御用邸。戦中、子どものころの今上天皇が一次疎開をしていた。その裏側の並び地蔵は、静かな木陰の道に沿って、大きいの、小さいのが何十体も並んでいる。首のとれたもの、半分欠けたものもある。どれも、真っ赤な頭巾と涎掛けをかけてひっそりと佇んでいる。不動明王の大石像をつくったのがはじまりと説明書きがあるが、それほど大きな石像は見当たらない。でもちょっと異質な雰囲気があって、観るに値すると思った。

 過ぎて振り返ってみると「慈雲寺」の扁額が掛けてある。真言宗のお寺なのだ。だが、太子堂はあったが、本堂らしきものはどこにもなかったなあ。山門を抜けると公園になっていて、その出口にはトイレも整備されている。ここで今日の山道は終わる。13時43分。お昼をふくめて5時間10分。otさんも、ときどき足をいたわりながら、無事に歩き通した。

 東照宮前から東武日光駅までバスで運んでもらって、特急を利用して帰還した。まだ5時半であった。

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