2017年7月30日日曜日

方法的な視線の違い


 山折哲雄『これを語りて日本人を戦慄せしめよ――柳田国男が言いたかったこと』(新潮選書、2014年)に、柳田と折口信夫と南方熊楠を対照させて、その三者の方法的な視線の違いを指摘しているところがあった。柳田は「普遍化」を目指し、折口は「始原化」を志向しているのに対して熊楠は「明確な方法的意識があったのだろうか」と疑問を呈し、「彼のどの論文にもみられる狂気のごとき羅列主義」から浮かび上がるのは「カオス還元のイメージ」と掬い上げている。


《……柳田は、「一目」という怪異で不可思議な現象を、神に対して捧げる人間の側の「犠牲」という一般的な理論枠組みの中に解かしこんで自然的な現象へと還元しようとしているわけである。要するにかれは、「先住民」とか「犠牲」とか言ったキー・コンセプトを用いて、民俗の不可思議現象をいわば普遍的な枠組みの中に回収して読み解こうとしている……》

 対するに折口は、

《……眼前に横たわる不可思議な現象をとらえて、それをさらにもう一つの不可思議な現象へと還元する方法であった。……柳田のように合理的に解釈のつく自然的な現象へと還元するのではない。そうではなくて、合理的な解釈を拒むような、もう一つ奥の不可思議な現象へと遡行し、還元していく方法である。》

 として、《折口の芸能論と宗教民族論のちょうど接点のところに位置する「翁の発生」》に目を止め、

《……「翁」の諸現象についてさまざまな角度からの分析が加えられ……最後になってその議論のほこ先はただ一つの地点へと収斂していく。すなわち「翁」の祖型は「山の神」に由来し、その「山の神」の伝承をさらにたどっていくと最後に「まれびと」の深層世界に行きつくほかはない……》

 (微光につつまれた謎のキャラクター)「翁」 → (神韻ただよう)「山の神」 → (彼岸の始原)「まれびと」というずらしと同語反復によって、筋道だった因果律や合理的解釈の入り込む余地のない領域へと導くと解説し、《柳田の自然還元の方法に対して、折口における反自然還元の方法と言っていいかもしれない》と結論的に山折哲雄は言っている。

 だが、そうだろうか。私には折口のそれが「反自然還元」とは思えない。折口は自らの感性の始原に突き進んでいったと思う。それは「反自然」というより、自らの現存在も感性そのものをも不思議ととらえ、それがどこから来てどこへ向かうのかを極めようとする志向ではなかったか。じつは柳田の「山の人生」にもそれを感じたことがあった。

 「山の人生」で柳田は山人の語り継ぐいろいろな話を採録している。そのなかに、奥山に二人の子どもと暮らす一人の男の話があった。今日も何も食べるものを手に入れることができずに帰ってくると子どもが斧を研いでいる。そして倒木を枕に横になり「俺らを殺してくれろ」という。男は斧を振り上げて二人を殺し、その足で警察に出頭して罪を償ったという「事実」をそのままに記していた、と思う。それを読んだときに私が受けた衝撃は、生きる苦しさという社会関係に位置づけた解読よりも、だれにも頼ることなく始原に生きることの厳しさを思ったものであった。それは、不可知なものや闇に対して抱く「畏れ」や「恐怖心」の根源を感得させるものであった。それは宗教的感性の始原に向き合っている瞬間かもしれなかった。当事農林省の官僚であった柳田がなぜ、それを「事実」のままに記しておいたのか。「山人」という異形の生き方を「平地人」と対照させてみること自体が、(柳田のというより、農耕民の子孫であると思っている私の)始原への旅じゃないか。そう感じたのであった。

 ただ、柳田は始原に筆をすすめず、かといって現在からの合理的な解釈に落ち着くことも良しとしなかったために、「事実」そのままに捨て置いたのではないかと、私は受け取った。彼の『遠野物語』もそれと同じ構成をとっている。柳田は、自らの感性の深みを垣間見はするものの、その現在から出立することにした。あるいはこうも言えようか。自らの感性の深みとというよりも、平地人の感性に由来所以の深みがあることを知悉したうえで、しかし現存在を肯定しつつ、安易な解釈を遠ざけるために「事実」の採録に徹したのではないか。

 折口はしかし、人の現存在を肯定するどころか、自らの突出する感性に翻弄され、自らを「ほかいびと」の類と見定め、自らの存在を「不可思議現象」とみていたがゆえに、どこから来たかを問わずにはいられなかったのであろう。だがそれは、山折によれば(次元を変えた)「同語反復」であった。この表現がなぜだか、私にはよくわかる。始原への旅は「同語反復」になる。先祖も社会環境も、わが身に受け継がれたDNAも立ち居振る舞いも、身体能力も含めた人間諸力も文化も、なによりことばも、ほとんど混沌の海から引き摺りだすようにして、いつしか身に備わっていたからである。闇の中からなんらかの(身勝手な)法則性によって身に備えてきたがゆえに、遡ったからといって裏づけようのない「同語反復」しか待っていない。

 それをそれとして見極めていたのかどうかは知らないが、南方熊楠の「カオス還元という方法」は、まさに混沌の海から引き摺りだしはするものの、容易にことばにして固定することなく、その限定された局面における「狂気のごとき羅列主義」に徹して混沌の海に投げ返していたのではないか。つまり、南方熊楠にとっては、万般を体系化し法則化しようとすること自体が限定を忘れた不遜な所業にみえたのだと思う。ひとはそこまで思い上がってはならない、と。

 人はどのようにして文化を受け継ぎ、「かんけい」を紡いできたのか。始原にさかのぼることは、混沌から生まれてきたことを感知することであるとともに、もはや「ことば」にしようのないほどの長年の堆積を、身を通して受け継ぎ紡いできたことを、認知することである。人の営みが、自らの感性を起点にして自らを振り返っているかぎり、その始原に目を向け、そこに混沌とともに、その総体を分節化して「解釈」しようとする愚かさを、出立点において知っておくことが何より意味多いのではないか。そんなことを考えさせた。

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