2017年10月29日日曜日

悪貨が良貨を駆逐する


 神鋼の検査不正ばかりか、日産に次いでスバルまで検査に不正があったと報道されています。ご近所の、実業世界に長く身を置いてきた知り合いも、「これで日本の製造業の評判も落ちるなあ」と慨嘆しています。「次はトヨタか」と底流する社会的共鳴を予感している方もいました。新聞は、「謎」などと書いて、不正がなぜ行われたのかわからないと思っているようですが、そうでしょうか。

2017年10月28日土曜日

「信仰心」という「辞書後の世界」


 最近、『広辞苑』の改定作業が話題になった。言葉の意味・用語法やいわゆる「流行語」が(社会的に)定着したかどうかをチェックし掲載するか見送るかを一つひとつ検討して、新版は700ページも増えるそうだ。三浦しをんの『舟を編む』の行間に浮かぶ辞書編纂者の日々の振る舞いを想いうかべて、こういうご苦労なことをしている人がいることに、私たちはどういう面でどれだけ依存しているだろうかと思いを致したこともあった。そういえば、何百年に及ぶ「オックスフォード英語辞典」の何年版にどう書かれているかを検証して、社会論であったか教育論であったかを論じていた(日本人)学者がいて、「辞書」を社会的変遷の「史料」とするのは(学問的に)邪道のように非難する(やはり日本人学者との)やりとりがあったことも、記憶にある。辞書を史料とするのは安易すぎるという趣旨であったろうか。でも、広辞苑の改定作業を思うと、そう安易なこととも思えない。

2017年10月26日木曜日

無意識に刻まれた依存から自律すること


 宮下奈都『太陽のパスタ、豆のスープ』(集英社、2010年)を読む。10月21日に、同じ作家の『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)を読んで《究極の「美」を求め続けて歩く世界》と題してこのブログでも取り上げた。そのときは、「豊かな社会に生まれ暮らす人ならではの幸運」と、まず感じたと記した。と同時に、この「幸運」の成立由来を覗きたくなり、この作家の古い作品を読むことにして、図書館に注文した。

 間違いなく「幸運の由来」のひとつが、この作品、『太陽のパスタ、豆のスープ』のテーマであった。

2017年10月25日水曜日

おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。


 今朝方寝ていて、ふと、思い浮かんだことば。「おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。」。

 なんだろう、このぼんやりとした思いは。ぽっかりと胸中に穴が開いたような、いや、その穴に竹で編んだ覆いをし、落ち葉をかぶせて見えなくしているような、自己欺瞞的な何か。若いころであれば、空疎な不安を懐いたかもしれない。だがいまは、そうとは言えない。どこかで、それでいいのだ、とバカボンのパパのように腕を組んで頷いている。

2017年10月24日火曜日

登山道の修復にまで手が回らない


 今朝早くから、いそいそと七ガ岳(ななつがたけ)に行ってきた。福島県会津市と栃木県日光市が境を接するところから、会津側にちょっと入り込んだところにある。尾瀬の入口、桧枝岐の北である。日光、那須、尾瀬というよく知られた山に接していて、あまり知られていない。だが、1500mを越える標高をもち、荒海山は太平洋側と日本海側の分水嶺になったりもしている。文字通り奥ゆかしい山々である。

2017年10月23日月曜日

台風一過の山日和になるか


 朝方台風が通過したようだった。自転車置き場の屋根に落ちる雨音が高くなり、大粒だなあと思った。いつもなら雨でも、布団をあげるときに窓を開けるのだが、今日そうしなかったのはどうしてだろう。風が強くて吹き込むことを心配したのだろうか。

2017年10月22日日曜日

里神楽と現代の神楽


 おもしろもなふて身にしむ神楽哉  北枝

 と、立花北枝に詠まれた里神楽。その「神楽の魅力と課題」と題された「公開講座」に誘われた。文教大学の80周年記念事業で、二週にわたって行われたが、昨日のだけに参加。同大学の斉藤修平教授の講義と神奈川県に本拠を置く垣澤社中の公演。第一回のテーマは「伝統芸能・神楽の歴史と現代における異議と課題」、今回のテーマが「神楽の魅力と課題、そして展望」。それぞれに垣澤社中の公演がついている。第一回には、「舞」を中心とする神楽の実演、第二回には「楽しい神楽の実演」と題して「寿式三番叟」「八雲神詠」「山神」に「江戸流ひとつばやし」が披露された。

2017年10月21日土曜日

究極の「美」を求め続けて歩く世界


 この世に恵まれた人たちがいることは知っている。金銭や人間関係の醜い争いごとに悩まされることなく育つという環境もあろうが、出遭うことひとつひとつが己に問いかけ、それを胸中に育みながら、究極のところ、ことごとく己の裡側において完結する人たち。皮肉ではない。豊かな社会に生まれ暮らす人ならではの幸運と、今の私には思える。宮下奈都『羊と鋼の森』(文藝春秋、2015年)を読んでの第一印象である。

2017年10月20日金曜日

疲れが全体化している?


 山からの帰りの電車で「疲れないんですか?」とmrさんから訊ねられた。たぶん、皆さんにしっかりついて歩き、下山してはビールをうれしそうに飲んで、それなりに正気を保っているのを気に留めたのであろう。
「いや、そんなことはないですよ。疲れが出ないだけです」
「ええっ、疲れが出ないって、すごいじゃないですか」
 と誤解されて、やりとりは終わった。

2017年10月19日木曜日

めでたし、めでたしの雲取山


 ★ 第一日目(10/17)

 秋雨前線とは言え、十月にこんなに雨が降ったろうか。そうは思っていても、「月例登山」の日程をどこへもっていっても雨続き。ま、様子を観ましょうと構えていたら、ちょうど予定の両日が「雨あがる」気配。喜び勇んで出かけた。10月17日(火)のことだ。

2017年10月16日月曜日

いつまで朝三暮四をくり返すのか


 選挙戦のさなか株価が高値に上がり、与党を支えようとしている。雇用にアベノミクスの効果が出ていると、与党は強気だ。また、どの党も教育費の無償化など財政支出を伴うことの公約が(似たり寄ったりに)目白押しに並び、果たして財政は大丈夫なのかと不安になる。新聞に掲載される各党の公約比較も、同じようなものが並び、果たしてなぜ子どもへの財政支援をするのか、なぜ教育費の無償化を図るのか、その狙いが奈辺にあるかについて、言及しない。つまり、「得になること」だから説明は要るまいとばかりのスタンスである。だが、そうか。腸に沁みるような理念的な根拠が表明されない。

2017年10月14日土曜日

知らないこと


 知らないことや知っていると思っていたことが、じつは見当違いであったということによく出くわす。つい先日も、網野善彦の古い本を引っ張り出してパラパラとみていたら、そういうことに出逢った。

2017年10月12日木曜日

何を笑うか


 映画『笑う故郷』(アルゼンチン、2016年)を観た。久々の傑作に触れた。ノーベル文学賞を受賞した作家が、文学賞の受賞会場や四十年ぶりに帰った故郷・アルゼンチンの田舎町での出来事に触発されて、なぜ書くのか、作家という自己の立ち位置を自ら描き出していく物語り。ノーベル文学賞を受賞することが、世に認められるという「作家としての死」を意味すると受けとめているこの映画の出発点の自己批評性が、おおっ、面白そうと期待を持たせる。

2017年10月11日水曜日

せめぎ合う複数の倫理を使いこなす試練


 なんだかよくわからない「国難」に立ち向かうと称して衆議院を解散し、総選挙がはじまった。「三極構造」とメディアは煽り立てているが、対立軸が定まらない。そう思っていたら、鹿島茂が『「悪知恵」の逆襲――毒か薬かラ・フォンテーヌの寓話』(清流出版、2016年)で「超大国の属国か弱小国の集団自衛体制か」と「対立軸」をつくりあげて論評している。

2017年10月10日火曜日

暑くてドライな秋の真夏日


 体感気温は30度になろうか。百葉箱でも29度ほどというから、真夏日になってもおかしくない。でも湿度が低いせいか、日陰に入るとひんやりと涼しささえ感じる。秋の真夏日だ。明後日の「ささらほうさら」で配布する「ささらほうさら無冠」第18号の編集をする。全部で11項目、A4版24ページを仕上げる。主として先月15日から昨日までに書いた文章を選別して、ひとつのテーマで読み取れるように拾う。今回は、先月末のSeminarで私がお話しした「お題」に関することがらをテーマにした。この「お題」は5月末に決め、それ以降、ぼちぼちと本を読み、その都度書きつけたエッセイを絞ってまとめたもの。でも、人類史と「私」の生育史とを重ねて、進化生物学と脳科学と哲学や言語学、心理学や政治学などの人文科学の知見を、「私」という「庶民の立ち位置から」勝手読みして、「私たち」が建っている地平を眺めてみようという、壮大なというよりは、大ぶろしきを広げた主題。聞いている方は、どう思ったか。これがなかなか耳に入ってこない。もちろん「よく勉強しているね」とか、「むつかしいこと考えてんだね」と「褒め」はする。だが、ご自分と照らしてどう受け止めたかを、率直に聞かせてくれる人は、そういない。ま、他人というのはそういうものだと思うから、顔色を見て推し量りはするが、それ以上期待もしない。

2017年10月9日月曜日

人類史と個の人生を繋ぐもの――第28回 aAg Seminarの報告(2)


 ★ 脳に刻まれた「かんけい」保持の文化

 ダーウィンは『人間の進化と性淘汰』のなかで次のように述べて、人の集団の持つ道徳の「自然淘汰」の「仮説」をたてている。

《道徳性が高くても、各個人やその子どもたちは、同じ部族の他のメンバーよりもほとんどあるいは何も有利にならないが、道徳水準が向上し、そうした性質に恵まれたものの数が増えると、その部族が別の部族より大いに有利になることは忘れてはならない。愛国心、忠誠、従順、勇気、同情といった精神を高いレベルで持っているために、いつでも共通の利益のために助け合ったり自分を犠牲にしたりする覚悟のできたメンバーの多い部族が、他の部族に勝利することは疑いようがない。そして、これは自然選択である。》

人類史と個の人生を繋ぐもの――第28回 aAg Seminarの報告(1)


 9月30日に「36会 第28回 aAg Seminar」が行われたことは、10/1に記した。しかしその中身については触れていなかったので、今日は少しそこへ踏み込んでみたい。講師は私、お題は「文化はどう受け継がれているか」でした。

 ★ このお題の「モチーフ」

 「人に迷惑をかけないで身罷りたい」とすでに高齢者の私たちは願う。ところが、欧米では「人に迷惑はかけない」は子どもに教える徳目に入らない、と進化生物学者で文化人類学者のジャレド・ダイヤモンドは福岡伸一との対談で答えて、生き残りのために培われた「智恵」には「嘘をつく」「騙す」「契約を守らない」は、交渉術として一般的ですらあると述べている。

2017年10月8日日曜日

渡りの不思議


 10月4日から昨日まで、鳥の渡りを観に行ってきました。正確には鳥の渡りを観に行く人と一緒に旅をしてきた次第。

2017年10月3日火曜日

静かな山、山上の賑わい


 今日の天気予報は、決して良くbなかった。線風のこと。場合によっては明日、水曜日に延期したいとCLのSさんは伝えてきた。日曜日の「予報」を見て決めたい、と。皆さんにもお知らせする。そして日曜日、「予報」は、午前6時から「曇り、降水確率20%、降水量0mm」と好転、実施を決めた。ところが昨日の夜「予報」をみると、「午前9時まで、雨、のち曇り、降水確率40%、降水量0mm」、悪くなっている。でも仕方がないと、雨着と傘を持ち、出かけた。

2017年10月2日月曜日

ちょっと上等な江戸の庶民か


 今日は歌舞伎座に行ってきた。「新作歌舞伎・極付印度伝」と銘打った「マハーバーラタ戦記」と名づけられている。インドのマハーバーラタに材をとった物語り。新劇の舞台のように、客席から登場したりする工夫も入れて、歌舞伎が庶民の娯しみとしての「舞台づくり」をしていると感じさせる。そこに、ちょっと踏み込んで「生きる意味」とかを盛り込み、しかも主人公たちが変わっていくさまを組み込んでいるから、単なる定番の「様式化」というわけはない。なかなか気合が入っている。そうだ、初日であった。もちろん名の知れた歌舞伎俳優の見どころのある演技もあるが、それ以上に、群舞というような踊りが昔懐かしい「歌舞伎」の様式を残しながら、庶民感覚を醸し出そうとしているように思えて、面白いと思った。

2017年10月1日日曜日

ちょっとした虚脱感に浸る


 もう十月。昨日は第28回のSeminar。私が講師を引き受け、お題は「文化はどう受け継がれてきたか」と大上段に構えた。一人の人が「ヒトとして生まれ人間になっていく」過程と35億年(ごく最近、39.5億年前の生命の形跡が発見されたと報道があったが)の生命体の歩みにはじまり、ホモサピエンスが優勢となって6万年くらいか。後氷河期を迎え歴史時代を経て現在にいたるまでの「人」の文化史とを双方、縦軸、横軸としてとらえながら、「身」に刻んできた文化の形跡を、DNAばかりでなく、振舞いのかたちや環境や教育として受け継がれてきたと大風呂敷を広げる。