2017年10月8日日曜日

渡りの不思議


 10月4日から昨日まで、鳥の渡りを観に行ってきました。正確には鳥の渡りを観に行く人と一緒に旅をしてきた次第。


 長野県松本市の白樺峠に二度ほど鷹の渡りを観に行ったことはあります。東の方から西へ北アルプスを越えるワシタカの仲間が九月中下旬から十月にかけて白樺峠に集まってくる。天気次第になるが、上昇気流に乗ってぐんぐんと高度を上げ、何羽、何十羽というハチクマやノスリ、サシバやチョウゲンボウ、ハヤブサ、ツミなどが白樺峠で群れを成し、ここぞというときに一斉に東から西へずずず~いっと飛び去る。それは壮観でした。ことしの九月にそこへ同道しないかと声をかけられ、ぜひぜひと願っていたのですが、あいにく私が「化石人間」になってしまって置いてけぼりを食らっていたわけです。

 でも今度の観察場所は、愛知県田原市伊良湖。渥美半島の最先端付近の丘の上にあるヴューホテルの屋上に陣取って、東からやってくる渡り鳥を観る。西は海。伊勢湾の入り口になる。海の向こうは鳥羽。鳥は伊良湖の岬あたりで、風向きを読み、飛べるかどうかを推し量って、肚を決めたら潔く海へと飛び出すという。聞くとすでに盛りのときは過ぎているそうだ。ホテルに宿泊している野鳥愛好家たちが朝早くから陽が沈むころまで屋上に居並んで、双眼鏡を目に当て、あるいは望遠鏡を三脚に据えて東の十二里ヶ浜をにらみ、西の伊良湖岬へつづく恋路ヶ浜と海とを眺めやる。

 「おっ」と声が上がる方を見ると、上空に何かが待っている。誰かが「サシバっ」と名指しする。上昇気流をつかもうとしているのか、しばらく付近の上を舞い、そそくさと岬の先へと姿を消す。その脇をひっきりなしにトビが舞う。トビは渡らない。モズの鳴き声が聞こえる。ヒヨドリがピリリイッと叫ぶ。丘の周りの森に飛来している。このヒヨドリも渡る。伊良湖岬につづく丘の森に集結して、海を越える。10羽、20羽と群れを成して飛び渡る。海をみていた人たちが双眼鏡を目に当てて「あそこ、ほらっ、群れっ」と口を動かす。十羽ほどの何かがひと固まりになってやってくる。アオサギ11羽。でも先頭を飛ぶのは1羽のダイサギだ。面白い。と、風が変わったのか、一塊の群れが一列になって鳥羽の方へ向かう。先頭であった白いダイサギに代わって、アオサギが先達を務めている。夕方近くになって、ダイサギとアオサギの大きな群れが飛来し飛び去る。三十羽や四十羽ではない。百は超えるかというほどの大群。ハチクマやチゴハヤブサ、チョウゲンボウ、サシバが入れ代わり立ち代わりやってきては海へ出ていく。これを二日間くり返した。

 むろん屋上ばかりでは間がもたない。森のあいだを抜け、あまり歩かれていない草付きの斜面を降って、海岸に出る。「日出の石門」と名のついた大岩がある。中ほどに浸食されて向こうが見晴らせる門になっている。十月の中旬にはその石門から朝日が昇るのを見ることができるそうだ。イソヒヨドリが飛び交う。沖合の岩の上にはアオサギが一羽、突っ立って何かを呆然と見ている。先端にはウミウがいる。望遠鏡で覗くと、カワウではなくウミウだとわかる。

 翌日には伊良湖岬の先端をぐるりと回って灯台を観に行く。遊歩道がしつらえてあり、伊良湖を詠んだ歌を岩に彫り込んで置いてある。昔日の灯台は古びたまんまに捨て置かれ、その近くの丘の上に新しい灯台が設置されている。矢印の方向を示す照明とぐるぐるまわるレーダーが取り付けられているが、下の方の灌木に阻まれてその姿はよく見えない。

 ふわりふわりと蝶が飛ぶ。アサギマダラだ。これも渡りをする蝶としてよく知られている。風に吹かれて気の向くままというか、成り行き任せに右へ左へと揺蕩い、上昇気流に乗るとふわ~っと吸い上げられるように空高く上がっていき、海の彼方へ姿を消す。これが一匹、また一匹と、それぞれ単独で海を越えているようだ。すごいなあ、あんな小さな体で、何百キロもいや、何千キロも飛んで台湾などに向かうという。

 そうそう、伊良湖は「いらご」と読むんだね。私はずうっと「いらこ」だと思って来た。ま、渥美半島と知多半島の区別もシカとできなかったくらいだし、田原市にトヨタの工場があることも知らなかった。そこへ向かう豊橋鉄道渥美線が走っていて、その終点が三河田原ということも初めて知った。埋立地(だと思うが)の真ん中の田んぼの中に洒落た造りの駅舎が建つ。でもトヨタの工場らしきところは、駐車場にも同じ形の自動車がずらりと並び、できたての車なのか、通勤用の車なのかわからない。こんなところで「鉄道」は採算が成り立つのかと思う。そんなところへ行ったのは、潮が引いたときにできる汐川の干潟にシギやチドリをみるため。遠くの方にたくさんいるにはいたが、雨が落ちてきて、ゆっくり見ているわけにはいかなかった。

 三日目、岐阜に移動し、翌日、金華山そばの「展望台」で鳥の渡りをみようと足を延ばした。地元の人たちは金華山の広い山体を巻いて登る道を歩いて展望台へ、そして金華山へと散歩をしている。そうか、土曜日だった。埼玉から来たと知ると、よく来たねと(物好きに感心したのか)破顔一笑する。「渡り」のことはよく知っているようで、「向こうから来てね、こっちへ行くんだよ」と指さす。「あの展望台の上にいる外人さんに聞くとよく知ってるよ」という方を見ると、ひとりの外国人が階段を上がっていく。彼は鳥の研究者らしく、どこかの大学の先生だという。

 金華山から岐阜駅へ戻る途中、「信長まつり」が明日までの二日間行われる準備で忙しそう。駅前では何人もの若い人たちが武将姿をして、あちらこちらで楽しそうにはしゃいでいる。私たちを見かけると「織田信長」と名札を下げた「武将」がやってきて、「どこからきた。よくきた、ぜひみていけ」と嬉しそうに声をかける。若い人が元気だし、なにしろ「優しい」感じがする。雨は上がり、気温もだいぶ高くなった。お祭り騒ぎは日常のことになってしまったが、心根のやさしい若い人たちがこうして「お祭り」に興じているのを見ると、ひょっとして日本は、大きく違った社会になりつつあるのかもしれないと思った。人もまた、時間を越えて「渡り」をしているのかもしれない。老兵は消え去るのみ、か。

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