2017年10月10日火曜日

暑くてドライな秋の真夏日


 体感気温は30度になろうか。百葉箱でも29度ほどというから、真夏日になってもおかしくない。でも湿度が低いせいか、日陰に入るとひんやりと涼しささえ感じる。秋の真夏日だ。明後日の「ささらほうさら」で配布する「ささらほうさら無冠」第18号の編集をする。全部で11項目、A4版24ページを仕上げる。主として先月15日から昨日までに書いた文章を選別して、ひとつのテーマで読み取れるように拾う。今回は、先月末のSeminarで私がお話しした「お題」に関することがらをテーマにした。この「お題」は5月末に決め、それ以降、ぼちぼちと本を読み、その都度書きつけたエッセイを絞ってまとめたもの。でも、人類史と「私」の生育史とを重ねて、進化生物学と脳科学と哲学や言語学、心理学や政治学などの人文科学の知見を、「私」という「庶民の立ち位置から」勝手読みして、「私たち」が建っている地平を眺めてみようという、壮大なというよりは、大ぶろしきを広げた主題。聞いている方は、どう思ったか。これがなかなか耳に入ってこない。もちろん「よく勉強しているね」とか、「むつかしいこと考えてんだね」と「褒め」はする。だが、ご自分と照らしてどう受け止めたかを、率直に聞かせてくれる人は、そういない。ま、他人というのはそういうものだと思うから、顔色を見て推し量りはするが、それ以上期待もしない。


 でも、一つ年上のKさんは違う。昔の仕事仲間でもあるが、ことに定年後には彼とともに奥日光のガイドブックをつくり、山を歩き、旅をした。取材に向かう車のなかや宿やテントの中でよく話をした。彼と私はまるで(専門としてきた)畑が違うから衝突することはない。だが、自分の理解レベルで率直な意見を聞かせてくれるから、私にとっては貴重なご意見番だ。その彼が、体調を崩して一緒に山へ行けなくなってから5カ月になる。ときどきあって話はしていたが、この3カ月は会うこともままならなかった。やっと今日、都合がついて、1時間ばかり話をした。

 Seminarの「お題」に関しては、生育歴中の「ちいさな言語学者の冒険」に触れたところが彼の琴線に響いたようだ。要点は「子どもは大人やほかの子どもたちの見様見真似をしながら言葉や感覚を身につけていっているが、そのとき子どもなりに自らの内側に”文法”を構成して習得して行っている」という部分。たぶんお孫さんとの日常の中で、それそれそうだよ、という体験があったそうだ。だからわたしが理屈で話す《「私」が社会からわが身に降り立ってくる》という今回の「お題」の主旋律が、ピンと受け止められる。これが心地よい。大半は話すというよりは、印刷したものを読んでもらおうとおいてくるだけなのだが、久々に元気な姿を見るだけでも、心休まる。

 体調を気遣いながらも、お孫さんを富士山へ連れて登ったという。三日かけて歩いたそうだが、そこまで回復しているのもうれしいニュースだった。

 暑くてドライ。こんな「かんけい」も悪くない。

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