2017年10月2日月曜日
ちょっと上等な江戸の庶民か
今日は歌舞伎座に行ってきた。「新作歌舞伎・極付印度伝」と銘打った「マハーバーラタ戦記」と名づけられている。インドのマハーバーラタに材をとった物語り。新劇の舞台のように、客席から登場したりする工夫も入れて、歌舞伎が庶民の娯しみとしての「舞台づくり」をしていると感じさせる。そこに、ちょっと踏み込んで「生きる意味」とかを盛り込み、しかも主人公たちが変わっていくさまを組み込んでいるから、単なる定番の「様式化」というわけはない。なかなか気合が入っている。そうだ、初日であった。もちろん名の知れた歌舞伎俳優の見どころのある演技もあるが、それ以上に、群舞というような踊りが昔懐かしい「歌舞伎」の様式を残しながら、庶民感覚を醸し出そうとしているように思えて、面白いと思った。
この歌舞伎座、考えてみれば、改築して初めて中へ入った。昔に比べてずいぶんすっきりとした客席の感触が好印象。全部で一千席はあろうか。でも、一階の椅子席よりも、二階の桟敷席が、すごくいいと思った。なぜだろう。全体が見渡せるからか。上からみていると、歌舞伎が庶民の娯しみであったという感触がよくわかる。舞台の全体は4時間ほどだが、2時間、1時間、1時間ほどと三部構成にして、第一部と第二部のあいだに25分ほどの休憩をとって、皆さんはお弁当を広げている。持ち込みのお昼を食べている人もいて、気取っていない。むろん歌舞伎座の中に「お弁当」を売っていたりもするが、外へ食べに出ても構わない。再入場できる。歌舞伎座の周辺には、「お弁当」を売っている店も多い。商家弁当からサンドイッチなどまで、取り揃えているし、値段も(銀座の一等地というのに)高くない。
かといって、舞台が動いている間は、皆さん静かに観ている。昔の芝居小屋が、リニューアルして鉄筋鉄骨になり、客層も(結構な値段ということもあって)上品になっているのであろうが、でも庶民の娯楽という気配がそちこちに漂っていて、気持ちがいい。音声ガイドも簡にして要を得て、啓蒙的な押しつけがましさがない。
やはり、「生」がいい。映画を観ているのとは違って、目の前の役者が大音声をあげてひそひそと囁いているというのは、不思議な感覚だ。一つひとつのしぐさも、踊りの立ち居振る舞いも、力が入っていないのに、洗練されたというか、鍛え抜かれた一挙手一投足に見えて、感嘆する。
カミサンは役者のことをよく知っているから、たぶん楽しみ方が私とはまた一味も二味も違うのだろう。だが、江戸の庶民の味わい方がこういうものだったかもしれないという感じを湛えているように思えた。今日は、面白い時間を過ごした。
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