2017年10月3日火曜日

静かな山、山上の賑わい


 今日の天気予報は、決して良くbなかった。線風のこと。場合によっては明日、水曜日に延期したいとCLのSさんは伝えてきた。日曜日の「予報」を見て決めたい、と。皆さんにもお知らせする。そして日曜日、「予報」は、午前6時から「曇り、降水確率20%、降水量0mm」と好転、実施を決めた。ところが昨日の夜「予報」をみると、「午前9時まで、雨、のち曇り、降水確率40%、降水量0mm」、悪くなっている。でも仕方がないと、雨着と傘を持ち、出かけた。


 吾野の駅を降りたつと、日が差している。「やったね」と声が上がる。Sさんもほっとして歩きはじめる。私はこのルートは初めて。国土地理院の地図で見ると、ルートが記されていない。昭文社の四万分の一図を見ると、途中から破線になっていて、三カ所ほど[迷]と記されている。スマホでは読み込めない。Sさんが用意してくれた地図を見ると細かく地点名も記され、目標物の大岩なども書き込まれている。「どこで手に入れたの?」と聞くと、1/16500縮尺の地図を持っている。発行元は岡山県の出版社、「奥武蔵」の大きな登山案内地図である。なるほどこれなら、歩く気になる。

 そういうわけで、Sさん任せののんびり歩き。でも集落を離れるとすぐに急斜面の登攀、スギの林の中を黙々と登る。「何かもっと、おしゃべりしてよ」とSさんがmrさんに声をかける。でも応答しない。(集中して歩いてんだから、おしゃべりなんかできなわわよ)と体が話している。いつもなら歌を歌うodさんも黙ってついて歩く。Sさんやkwmさん、kwrさんは先週、越後駒ケ岳に登ったばかり。「三日間は足が痛かった」とkwrさんは、でも元気そう。ひと月ぶりのotさんもmsさんも調子は良さそうだ。先頭を歩くSさんのペースも抑え気味ながら、遅くはない。

 ほぼコースタイムの50分で前坂に着く。ここから破線のルートに入る。Sさんは「奥武蔵全山縦走コース」を歩きたいと考えているようだ。以前、伊豆が岳に登った。そのとき子ノ権現から吾野駅に下ったから、今回は、子ノ権現から西吾野に下るコースを選んで、同じところを歩かないでいいように、ルートを選定したという。このあとは、ここの前坂から南へ下って飯能駅に至ろうという長いコースだ。そういうわけで、今日のこの(昭文社破線)ルートは、裏技のようだ。ところが踏み込んでみると、はじめのうちに藪漕ぎと呼んだところはあったものの、さしたる難はなく、道筋が良く踏まれている。なるほどところどころの入口がわかりにくくなっていたり、間違えて直進した踏み跡があったりはしたものの、きちんとガイド・テープはついているし、古くて朽ち落ちそうになってはいても、「→」のついた案内標識は掛けられている。見落とさなければ、まず間違えることはない。

 栃屋谷林道に出る。再び登山道に入るところで軽トラックが止まりオジサンが一人声をかけてくる。トラックには「動物保護監視」と大書してある。「サルの群れを見かけなかったか」と訊く。見かけない。「何か悪さをするのか」「そうなんだ、悪さをするんだ」と困ったような声を出す。農家の農作物をとってしまうそうだ。「山栗は食べないのか」と尋ねる。「食べる。木に生ってるやつをね。下に落ちたのは食べない。プライドがあるんだね」と笑う。面白い。黄柏坂(きわだざか)と名づけられた急登を上る。祠がある。その先には地蔵尊が祀られている。標高が500mちかい。出発地点から300mくらい上っている。その先にロープを張った小さい岩場があり、四本松(板屋ノ頭)と名づけられている。522m地点、三角点がある。歩きはじめて1時間33分。コースタイムより7分早い。

 スギの樹林はつづく。手入れしている気配もある。その話をすると、kwrさんが「ここは西川材の産地だからね」という。そういえば、いつだったか西吾野から伊豆が岳の東斜面を登ったときの入口に「西川材」と銘打った製材所があった。kwrさんに言わせると、飯能市は、この辺りのスギやヒノキ材を使って小学校などを建てたりしているそうだ。稜線のアップダウンが続く。木の根がはみ出し、それを踏んで登る。急な傾斜で下る。バランスを崩さないように慎重に重心を移す。kwrさんも、用意していたストックを出した。木の幹に大きな瘤がスズメバチの巣にみえた。若いころに何か病気を抱えたのだろうか。リョウブの木のようだ。

 kwmさんが「あっちが堂平山」と声を出す。遠方の標識でも見えたのだろうか。「えっ?」という私の顔を見て、木の幹に表示してあると指さす。たしかに。黄色いテープに「←堂平山・中沢」とある。先頭のSさんが振り返って「もう間もなく六つ石の頭だと思うんだけど、行きすぎたろうか」と聞く。地図を見ると、この先のようだ。「←堂平山の表示があったよ」というと、驚いている。たしかに言われてみなければわからない。少し進むと、木の幹に「六ツ石ノ頭540m」と墨書してある。先ほどのテープに書き付けてあったのと違って、見事な墨痕。ところがSさんは「ここに六つ石があるでしょ。それが名前の由来かしら」という。両手で挟める程度の小さい石が、山頂を取り囲むように六つほどある。でもなあ、こんな小さな石があるからと言って、それが山名になるというのは、と腑に落ちない。でもどうしてだろう。

 25分ほどで「スルギ」に着く。スルギって何? と尋ねる。わからない。kwrさんがイスルギってあるよね、という。石動って書くんだとはわかるが、はて、何のことだったっけ。お不動さんの名前だったろうか、と口をついて出る。家に帰って調べてみると、石動というのは北陸道の宿場町。今は富山県小矢部市の中心地区とあった。お不動さんとは全然関係なかった。知名表示板には「するぎ」とかな書きしてある。その先に行くのを阻むように大きな岩があり、これは「博打岩」と名がついている。その先が吾野駅に下る道に通じているとSさんが話す。

 下っていてふと気づいた。いつのまにかスギがヒノキの林になっている。ちゃんと間引きもされていて、太い木が隆々と背を高くしている。間に広葉樹が伸びてきている。ほどなく、広い道路に出る。「子ノ権現駐車場」を過ぎて右に登る入口のところに、大勢の外国人の若い人たちが座り込んでお弁当を食べている。ところがその先を上ると、屋根のついた東屋がある。ベンチも設えてある。どうしてあの外国人の人たちは、ここまで来ないのだろうと思う。Sさんはさらに奥の小道をたどり、山頂へすすむ。阿字山620m。二人の先行者が広いシートを敷いてお昼にしている。私たちはその先に場所を占めてお弁当を広げる。12時。歩きはじめて3時間、Sさんの計算通りだ。たべていると、パラパラと雨が落ちてくる。見上げると空は、白い雲と青空が広がる。慌てて雨着を着こむころには、もう雨は降りやんでしまった。通り雨だ。

 お昼を済ませて振り向くと、東屋のところに、いつの間にかたくさんの人が来ている。先ほどの外国人ではない。子ノ権現に参拝する。神社なのだろうが、入口の山門には「天龍寺」の扁額がかかっている。神仏習合というわけか。otさんはお札を買っている。足腰の神様と、ある。境内には大きな草鞋が一足、高下駄が夫婦二対備えてある。山歩き人の神様なのか。でも信心しない私は、お参りしない。

 西吾野駅に向かう私たちの前を、ぞろぞろと30人を超える人たちが歩いている。Sさんはさっさと脇道へ歩を進める。それを見た大勢の一人が振り向いて、「巻道はだめよ」と茶々を入れる。舗装参道をショートカットする道であった。私たちが先に降り立ち先行していると、大勢は吾野駅方面への道へ下って、姿を消した。西吾野駅へは、その先50mで舗装路を外れる。ここもよく踏まれた快適な道だ。12時55分。20分ほど下ると、「天寺12丁」と彫り込んだ丁石がある。細かくみていたmrさんが「秩父郡白久 新井○ 」と読み解く。この方が丁石をおいたのであろう。小床口参道コースとSさんのくれた地図には記している。昔ここから子ノ権現へ参拝したのであろう。苔生している。

 沢沿いのヒノキとスギの林を下る。伐り倒された木が道を塞ぐように倒れ掛かり、私たちはそれをくぐってすすむ。眼下に鳥居が見える。「静之神社」というらしい。墓もある。「こんな山奥に墓があっても・・・」とどなたかが話していると、前方に民家が何軒か見える。人がいる気配はなかったが、msさんが「お墓を敷地の中につくるって、この辺りにはよくあることよ」と、誰かに話している。足元は舗装路になった。清水が樋を伝って流れ出している。コップも置いてある。msさんが口にして「おいしい」と声を立てる。otさんも飲んでいる。

 まもなく国道に出た。「桜だよ」という声に見上げると、見事にサクラが花開いていた。傍らの爺さんが「子の山に行ったんかい」と聞く。そうそう、子ノ権現といわないで、子ノ山630mと地図にも記してある。呼称が、今日のルートを身近に感じさせた。西吾野駅14時4分発の電車に乗り、軽快に帰宅した。

0 件のコメント:

コメントを投稿