2017年10月1日日曜日
ちょっとした虚脱感に浸る
もう十月。昨日は第28回のSeminar。私が講師を引き受け、お題は「文化はどう受け継がれてきたか」と大上段に構えた。一人の人が「ヒトとして生まれ人間になっていく」過程と35億年(ごく最近、39.5億年前の生命の形跡が発見されたと報道があったが)の生命体の歩みにはじまり、ホモサピエンスが優勢となって6万年くらいか。後氷河期を迎え歴史時代を経て現在にいたるまでの「人」の文化史とを双方、縦軸、横軸としてとらえながら、「身」に刻んできた文化の形跡を、DNAばかりでなく、振舞いのかたちや環境や教育として受け継がれてきたと大風呂敷を広げる。
ときどき口を挟んでもらうようにしたから、話しはあちこちに飛んで(話している当人としては)面白く、2時間があっという間に過ぎてしまった。そのあとのお酒がおいしかったこと。Seminarのあと時間ほどもおしゃべりに時を過ごして、帰宅した。
今朝の目覚めは快適。朝団地のクリーンデイに出席して、草刈りなどを行い、そのあと、「越後駒ケ岳の山行記録」のタイピングを行う。実施した方が書きよこした原稿を起こし、カメラに収めた写真を間に挟んで、PDFファイルにして、山の会の会員に送信した。A4判で5ページになった。何より行った方々が、ドキドキしながら登り、達成感を味わって下山したことがわかり、私も心底喜んでいる。
コトのついでに、昨日のSeminarに参加しなかった方々に、「通信」と「レジュメ」を送信。あわせて京都に住む高校の同級生のKくんが逝去したという(昨日聞いた)話を併記して送った。K君からはこの夏に、法律事務所開設○周年の挨拶状をもらっていて、11月のお伊勢参りに参加しないかと手紙をだしたばかりであった。彼ががんを患っていたなんてことは、ついぞ知らなかった。75歳。法律事務所も、子どもたちに任せ、ほぼ引退のような身分になったと昨年手紙をもらい、こちらに出てきて、一度Seminarの講師もやってもらいたいと話を持ち掛けたりしていたのに。
午前中に買い物に行き、帰宅してお昼を済ませる。カミサンは朝から探鳥会のリーダーに出かけ、北の方まで足を延ばしているらしい。午後TVをみながら横になったら、やはり昨夜の疲れがあったのか、寝込んでしまった。目が覚めると阪神―巨人戦をやっている。よれよれの阪神がリードしている。9回裏に1点差に追いつかれ、逆転されるんじゃないかとはらはらさせるところまで、相変わらずの阪神であったが、何とか凌いで、勝ちを収めた。これでDeNAがCSに残ることにもなった。やれやれ。
この虚脱感は、しかし、なんだろう。Seminar講師を務めた準備などのぶり返しか。肩の痛みがほぼ引いた感触の、安堵感なのだろうか。それとも月初めの山行以来、一度も山に登っていないことからくる、身体的空疎感なのだろうか。本を開いても、頭に入ってこない。そもそも読んでいる本が中村博男『松浦武四郎と江戸の百名山』(平凡社新書、2006年)というどうしようもない本だから、頭に入るも入らないもないのだが、折角松浦武四郎を取り上げながら、山に登ったのか、みただけなのか、見極めもつかないというところが多すぎて(逆に言うと、そのあたりをいい加減にしない書き方をしているのだが)、読みごたえが腸に響いてこない。でもまあ、こういうときもあるさというのを、記し置くことが、後に考えてみると、後期高齢化のはじまりであったと読み取れるかもしれないから、だらだらとこうして書いている次第だ。ぼちぼちこのブログも、10年になる。そろそろ書くのがつまらなくなる時期なのかもしれない。
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