2017年10月22日日曜日
里神楽と現代の神楽
おもしろもなふて身にしむ神楽哉 北枝
と、立花北枝に詠まれた里神楽。その「神楽の魅力と課題」と題された「公開講座」に誘われた。文教大学の80周年記念事業で、二週にわたって行われたが、昨日のだけに参加。同大学の斉藤修平教授の講義と神奈川県に本拠を置く垣澤社中の公演。第一回のテーマは「伝統芸能・神楽の歴史と現代における異議と課題」、今回のテーマが「神楽の魅力と課題、そして展望」。それぞれに垣澤社中の公演がついている。第一回には、「舞」を中心とする神楽の実演、第二回には「楽しい神楽の実演」と題して「寿式三番叟」「八雲神詠」「山神」に「江戸流ひとつばやし」が披露された。
神楽についてはまったくの門外漢だった私も、斉藤教授による大づかみの話がストンと腑に落ちる。記紀神話にはじまる御霊を鎮める(つまり、神に捧げる)神事としての「神楽之事」のかたわらに(民草も楽しめる)「神楽能」が出来し、猿楽の影響を受けて出雲流が生まれ、「神楽之事」(の要素)が徐々に少なくなって芸能化してきたという流れは、江戸好みとして関東でもてはやされ、里神楽として受け継がれてきているという。いまは「神楽能」を中心に「神賑わいという奉納芸能」になってきており、そのなかに「神楽之事」のニュアンスを探すように観ることをすすめるという教授の指摘は、簡潔で分かりやすい。と同時に、「神楽」をこうして概念的に規定するご自身の方法を「安定的に理解するためにカテゴリー化しているが、それが逆に、神楽(を担い演じる人たち)を縛ることにもなり、(それにこだわり続けると)衰退の危機を迎える」とみてとる、研究者への自己批評性を湛えた解析は、秀逸であった。と同時に、垣澤社中の(神楽の伝統を引き継いでいこうとする)苦衷にも、触れる思いがした。事実、後半の公演で、ちょうど新劇歌舞伎のように、ハロウィーンの習俗とかぶらせて演出をしていたのは、(私は、ちょっと違うんじゃないかなと思ったが)その表れであろう。垣澤社中も、垣澤勉さんがいまだ健在とは言え、三十歳くらいの娘・垣澤瑞貴さんが跡を継いで、演出全体を引っ張っているようだ。その若い世代のセンスを取り入れようと工夫しているのであろうが、ハロウィーンというケルトとキリスト教との混淆文化の「仮面」という表層だけをなぞるように取り入れるのでは、ますます「神楽之事」の要素が希薄になり、古典芸能を模した学芸会に堕していしまう。見ているのも、ちょっと気恥ずかしくなってしまう。
ちょうど今年の三月ころから「お伊勢さんの不思議」を調べようと、少しばかり記紀神話の流れを読み解き、自分なりの「お伊勢さんと私」や「天皇制と私」に思いを及ぼしていたこともあって、神楽のありようが「記紀神話と私」の狭間に浮かぶようであった。たぶん猿楽の系譜に位置することに由来するのであろうが、公演を見て感じるのは、「神楽」は生きているものの側からみている「世界」、「能芸」は使者の側からみた「世界」という気がした。その狭間に「神」が位置していたものが、「神」が後景に退き生者が前景化するにしたがって、未開の感性が揮発してしまったように思える。
長い間私は、「能芸」にしても「神楽」にしても、古典芸能が私の内部の何かとどうかかわるのか、感じとることができないできた。それがこの歳になって、内部の何かと触れあっているような感触を抱いている。この私の直感はたぶん、歳をとり、私自身の身が始原にむかっているからではないだろうか。いいのか悪いのか、わからない。北枝の句じゃないが、「身にしむ」ように思った。
この「公開講座」の始まりと終わりに、素敵な舞台を見た。文教大の「打組 出津龍」の「人寄せ太鼓」と「送り太鼓」だ。40人ほどの学生がそれぞれ30分ほども、太鼓の演舞を行った。佐渡圀鼓童の作品を演じたり、八丈島、三宅島の木遣り、秩父屋台囃子、沖縄の残波咆哮、南部牛追い唄などなどを演じた。入れ代わり立ち代わり何基も据えた太鼓にむかい、しっかと腰を落として脚を据え、打ち据える撥の力強い動きに手と身体のしなやかな伸びがつれそって、なんとも見事な太鼓であるとともに、踊りであった。太鼓も喜んで爆ぜるような音を出し、かと思うと柔らかい響きを間合いに湛え、オフビートの打音へと変わる。それを打ち据える人たちの動きが、舞台の上に(後半では会場に)交錯し、40人ほどの人たちの群舞にみえた。
太鼓の音というのは、「場」の集中を促す。小さく、あるいは鋭く響くベース音はリズムを作り、そこへ参入する次の太鼓の音を誘う。その打音のテンポとスピードを共有しながら、人の動きが形を成し、舞台の動きをつくる。そのときの一人ひとりの身のこなしが、人の身体はかくもしなやかで勁いものかと感嘆する。美しい。しかも、ただ単に、一つになっているがゆえの美しさではない。まだ形成途上にあることを隠さないかのように、弱いところを他のものが扶け、補って代わる。そこに、この集団の「健康さ」が現れて、微笑ましい。若い人たちもなかなかやるではないか。
事情を知る人の話では、この「打組 出津龍」の演舞をつくりあげた学生たちのグルーピングは、15年ほど前に、わずか4人からははじまったそうだ。そうしていまは、ほとんど自分たちでビデオや譜面を読み、構成や演出をしているという。どんな集団編成をし、どう運営して今に至っているのかは聞かなかったが、こうしたことが(たぶん大学の授業以上に)彼らの貴重な体験になるに違いない。そう思って嬉しかった。
なんだかこの太鼓が、神との出逢いをもつようになったら、「現代の神楽」にふさわしいと、ふと思った。
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