2017年10月29日日曜日
悪貨が良貨を駆逐する
神鋼の検査不正ばかりか、日産に次いでスバルまで検査に不正があったと報道されています。ご近所の、実業世界に長く身を置いてきた知り合いも、「これで日本の製造業の評判も落ちるなあ」と慨嘆しています。「次はトヨタか」と底流する社会的共鳴を予感している方もいました。新聞は、「謎」などと書いて、不正がなぜ行われたのかわからないと思っているようですが、そうでしょうか。
まったく実業世界を知らない私が、岡目八目で言うのもおこがましいのですが、昔から「悪貨が良貨を駆逐する」と言います。生産活動がグローバル化するにつれ、新興の競争者が登場してきますから、古くからの製造者もうかうかしてはいられません。ことに中国のように「安かろう悪かろう」という、いつぞや日本が受けた悪評判同様の競争相手となると、品質とか納品期限を守るといった商業上の良さばかりでは万全の評価をしてもらえないこともあって、とどのつまり価格の競争という舞台に引き出されてしまいます。むろん、あまりにひどい品質であると、それ自体が悪評判となって定着してそっぽを向かれてしまいますが、そこそこの品質を確保できるとなると、契約上の争いは、価格、納期が早いとか、期限を守るなどの条件になります。
不正で問題になった神鋼も、納期限に迫られてと言っているようでした。生産能力に見合った納期限では受注できないとなると、どこかで手を抜くことになってついつい許容限度内の手抜き不正をするようになったというところでしょうか。でもこれは、新興の競争者の仕掛けてくる競争の質によって規定されるように思います。つまり、製造業者の倫理というのは、いい品質のものを早く安く作ることから滑り落ちる要因を内包しているとは言えますまいか。今回のそれも、ひとつの綻びが出たというところではないでしょうか。自社チェックに任せていて、何かあると検査介入するという経産省の立ち位置は、対外競争的には「身内のなあなあになる」可能性をいつも秘めています。
アメリカなどでそういうことをやると、びっくりするような「懲罰的賠償」を求められますが、その根底には、いつでも企業社会は不正をする可能性を持っているという見方が流れています。企業の自然(じねん)=business natureとみているわけです。それが辛うじて、企業倫理の崩壊を食い止めています。長く護送船団方式に浸ってきた日本では、監督官庁も企業も、まずそのように監督者ー企業を見ることをしていませんね。立ち位置を相互に尊重・忖度して、相見互いを貫いてきたのです。そういう意味では、監督官庁も統治の倫理を貫くという姿勢ばかりではなく、具体的な方法を策定しなければなりません。企業の倫理を守らせるにたるチェック体制というわけです。
つまり企業も、監督官庁も、人間観、社会観、企業観、国際競争観をあらためて検討し直して、良貨が悪貨に駆逐されないようにする道を探らなければなりません。政府もまた、グローバル化の風の中で「良貨」を追及する使命を求められているのですが、強い政府の尻馬に乗って胸を張っているキツネでは、それもなかなか適わないかもしれませんね。
さて今日からまた、五日間ばかり旅に出ます。今度お会いするのは来月の三日。しばらくお休みします。ではでは。
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