2017年10月25日水曜日
おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。
今朝方寝ていて、ふと、思い浮かんだことば。「おいっ、何かを失ったんじゃないか、お前。」。
なんだろう、このぼんやりとした思いは。ぽっかりと胸中に穴が開いたような、いや、その穴に竹で編んだ覆いをし、落ち葉をかぶせて見えなくしているような、自己欺瞞的な何か。若いころであれば、空疎な不安を懐いたかもしれない。だがいまは、そうとは言えない。どこかで、それでいいのだ、とバカボンのパパのように腕を組んで頷いている。
そうか、昨日の七ガ岳を途中で止めて帰って来たことか。不甲斐ないというか、昔なら、靴に水が入ろうと構わずじゃぶじゃぶと歩き登ったであろう「平滑沢」を、眼前にして引き返したことに、気持ちの何処かがこだわっているのか。内心の「私」が許せないと思っているのかもしれない。行く前に「幅は数メートルというのに数百メートル続く平滑沢」とあったのに心惹かれて、行ってみようと思ったことを忘れて、「入山禁止」とか「山の会の下見」という勝手な目安を(じぶんで)つくって、(こりゃあ無理だ)と、ひきかえした。じつは単なる「じぶんへの言い訳」にすぎなかったんじゃないか。こりゃあ、お前さん、もっと大きな心的退歩が起こっていたんだよ、それから目をそらさないで、自分の身に起こっていることをつかまないでどうするよ。そう言っているようでもある。
昔、松浦武四郎のことを書いた本を読んだとき、いやこいつはすごいと感じたことを思い出す。幕末の松阪に武士の次男坊として生まれ、全国各地を放浪するように旅してまわる。そのうちに蝦夷の地を越えて樺太や国後択捉にまで足を延ばしたのであったか。それを事細かに書き記した絵図と文章を残し、明治維新後に北海道開拓の役目を受けたが、明治政府の役人たちの(アイヌに対する)横暴な振る舞いに憤激して辞任したのであったか。記憶がぼんやりと概念的になっていて、今すぐに確かめられない。そのとき「すごい」と感じたのは、旅の途中で見かけた白山、大峰山、富士山、男体山や磐梯山、北海道の大雪山などに登ったと思われることであった。むろん信仰の山として「講」などを組んで登る人はいたであろうが、全行程徒歩で歩き記す。道なき道も(案内役がいたかどうかは記されていないが)分け入ったと思われ、山小屋があるでなし、生活用具すべてと食糧も自身でもっていったとすると、こいつはすごいと驚嘆した、と思う。
昨日の、台風一過の七ガ岳どころではなかったろう。足元が濡れるというのも、なにそれ? と思うようなことに過ぎない。そうか、冒険心が失せてしまっているのだね、今の私は。心裡に「自制心」というか、自分の力量を推し量る秤があって、おいおい待てよ、そこへ踏み込んだら(日常に)戻るのは大変だよと囁く内心の声になって聞こえてくると言おうか。
考えてみると、私の戻る「日常」なんて、たいしたことではない。一日や二日戻れなくても、だからどうってことはないのに、なぜか、ブレーキがかかっている。凍え死ぬような寒さもまだやっては来ないのに、どうして「言い訳」をしているのか。前穂高の雪の岩稜でも、むろん先導者がいたとはいえ、ザイルを結んで痩せ尾根を歩き、前を歩くヤツが右へ落ちたらオレは左へ落ちて止めなくちゃならないと緊張に包まれて歩いた。剣岳の岩登りでも、雪渓を詰めそこからザイルを結んで頂上へと岩をつかみながら登るときの引き締まる身の強張りも、どこかへ置いてきてしまっている。
やっぱり独りで登っているのが、気にかかっているのだろうか。山中で滑るとか転ぶとか、何かあったときに、万事極まる。「入山禁止」の表示を無視したとなると、助けを呼ぶわけにはいかない。「登山届」をカミサンには渡しているから、一日還らなければ救助要請はするであろうが、それに期待すること自体、もはや登る資格を失っていると思われる。
冒険心が失せてしまっている。そのことの発見が、今朝の目覚めになった。身体能力の低下にともなって意欲が落ちるのは幸せなことと、誰かが言っていたか。いまその地点に立って、どちらに歩きだそうかと思案している。
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