2017年10月19日木曜日

めでたし、めでたしの雲取山


 ★ 第一日目(10/17)

 秋雨前線とは言え、十月にこんなに雨が降ったろうか。そうは思っていても、「月例登山」の日程をどこへもっていっても雨続き。ま、様子を観ましょうと構えていたら、ちょうど予定の両日が「雨あがる」気配。喜び勇んで出かけた。10月17日(火)のことだ。


 当初プランでは西武秩父駅からバスに乗る予定であった。ところが山の会のメンバーに、「三峰口駅からタクシーを使って少しでも早い時刻にした方がいいんじゃないか」とアドバイスされ、30分ほど早く歩きはじめるように変更した。秋の日の落ちるのは早いと考えたからだ。雨がぽつりぽつりと落ちる三峰口駅には予約のタクシーが待っている。五人が乗れると言っていたのに、後座席に四人乗ってくれと運転手。前席にはコンソールボックスがあるから三人が並ぶのは運転の邪魔というわけであろう。我慢してスタート。秩父湖を通過するころには雨粒が大きくなった。まいったなあ。

 10時ころに到着。幸い用意を整えるのにありがたい小さいビジタールームがあった。そこで着替えて歩きはじめたのは10時15分頃。雨はしっかりと降っているが、「それほどでもないよ」とkwrさんはつぶやき、苦にしていない。それも三峰神社のスギの森に入ると雨の勢いは衰え、雨着が暑いほどに感じられる。鳥居を抜けるところに「こんな山と思っても」と大書したイラスト付きの看板がかかり、登山に関する注意が書き添えられている。ここは三峰神社の奥宮がある妙法が岳への参拝者もいるのだ。20分ほどでスギ林を抜け、稜線上のブナやツツジの広葉樹林帯に入る。雨も小やみになって明るくなる。odさんを先頭にしてゆっくりと登る。

 odさんはつい昨日「詩吟の発表会」に出演して新人賞をもらったと、mrさんが話す。ほほう、ならば先頭で唸って熊除けでもしてもらえればと茶化す声も入る。odさんの話では、山歩きをしてもすぐに息が切れるので肺活量を増やそうと始めた詩吟だそうだ。それよりも、雲取山というのは子どものころから「東京都の最高峰」と地図を見て知り、61年前からの念願の山だったそうだ。先日の山歩きのときにその話をしたら、msさんに「そんなに取っておかないで、さっさと登ればよかったんじゃないの」と言われたが、「根が臆病なものだから自分では登れないので」と、機会をうかがっていたらしい。でも今歩いているのは埼玉県。雲取山は都県境に位置する。

 1時間余で炭焼平。炭焼窯の石組みが残り、窯跡を詠んだ藤原のなんとか朝臣という歌人の歌を添えた説明板がある。まさか平安のころから「窯跡」であったわけじゃないだろうと笑い交わす。クヌギやミズナラ、カエデなど広葉樹の林には色づいた木の葉がたくさん落ちている。ところどころクリーム色の五枚の葉をつけたままのコシアブラが足元を埋める。地蔵峠。「海抜1500m」と表示がある。もう標高差400mを上っている。1時間40分。雨も上がり「あと標高差32m」という声にお昼の休憩が目に浮かんで登る勢いがよくなる。

 12時、霧藻ヶ峰。休憩所は締まっているが、板敷のベランダと外のベンチがちょうどよい。上空の雲は取れないが、下界に雲海が広がり、秩父の峰々の裾を覆い隠している。お昼にしていると、若い男の単独行者がやってくる。私たちの当初予定していたバスでやってきて、後を追ってきたようだ。そのあとに短パンにTシャツ姿のランナーがひょいと顔を出し、ささっと先へ姿を消した。(彼は雲取山を日帰りだよ)と話す。またあとに、夫婦連れの一組が来て、ベンチに腰掛ける。彼らも、雲取山荘を目指している。山頂の紅葉の色づきはよく、霧に霞んで幻想的な雰囲気を醸し出す。残念ながら霧藻を目にすることはできなかった。

 30分ほどののちに出発。15分ほどでお清平を過ぎ、急登になる。事前にガイドブックを読んでいたmrさんは「地獄の上りだって」と戦々恐々であったが、1時間20分で前白岩山1776mで「地獄」を抜け、「地獄がこれくらいなら悪くないね」と誰か。「いや、日ごろの行いがそう悪くなかったってことでしょ」と混ぜ返すと、「まるでもう亡くなった人みたい」と返される。そこから20分ほど下ると白岩小屋の屋根が霧の中に浮かぶ。人はいない。はたして土日には営業しているのかしらとおもうほど、寂びれている。おおむね500mごとに「雲取山4.2km→」という標識がしつらえられていて、「ええっ、まだ500mしか歩いてないの」と思い、また「あと2.2kmよ」と励ましにもなる。これはこれで、だいぶくたびれてきている証拠だね。

 その先がまた急登30分。白岩山1921mに着いた。「今日の雲取山荘が1840mだから、もう上ることはないよ」とkwrさん。たしかに道は軽く下りはするが、おおむね水平道。酉谷山へつづく長沢背稜や日原の方へ下る大ダワ林道を分ける。紅葉はますます色濃く、雲の中にあって秋深い気配が強まる。その都度振り返り、感嘆の声をあげながら先を急ぐ。16時、雲取山荘着。当初予定のコースタイム5時間20分に対して、5時間45分。お昼を時間を入れると、まずまずのペースでやって来た。

 「17日はちょっと団体さんが入っていて混みあいます」と言われて予約した雲取山荘は、ひっそりとしている。収容人員140名というからおおきいのだが、30名ほどしかいない。ここのところつづく長雨に団体さんがキャンセルしたのだろうか。10畳ほどの一部屋が割り当てられる。5人なら楽々だ。こたつも入れてある。濡れた雨着などは、上に上がる前にプレハブ小屋に干せるように乾燥室がある。女性陣が着替えている間に、私とkwrさんは石油ストーブの入ったフロアでビールを飲む。傍らのカウンターをみると「源作」という名の秩父ワインもおかれている。あとで呑もうと話していたが、着替えた後、持ってきた焼酎を呑んでおしゃべりをしていると夕食の時間になってしまい、ワインを味わうチャンスを逃してしまった。

 入口のフロアに記された「NHKの予報」では、翌18日朝も雨、のち曇りと「事前の山の天気」より悪い。だが、真夜中に目が覚め外のトイレに行ったとき、見上げた空の星に鮮やかさに驚かされた。北斗七星もオリオンも、いや、たくさんの星々がくっきりと輝いている。距離も近くなったかと思うほどだ。それほど寒くないのもありがたかった。

 ★ 第二日目(10/18)

 4時に目覚ましに起こされた。九時間は横になっていた。けっこう熟睡もしていたらしい。「なんでみんな、そんなに早く準備できるの」と、いつもぼやいているmrさんが手早く荷をまとめ終えている。晴れ渡る空に三日月と明の明星が南の空に浮かぶ。朝食は五時からだが、五分前には用意ができたと声がかかる。昔ほどではないが、サケの切り身、生卵、海苔とふりかけという「並み」の朝食。これで7800円だから、ありがたい。用意を済ませた人たちから山頂への道をとる。私たちは5時40分に出発。                                            

 いきなりの急登だが、ここは61年ぶりに念願を果たすotさんに先頭を歩いてもらう。山頂へ着く手前で陽が昇る。しばらく立ち止まって、朝日を浴びる。山頂はピーカンの晴れ。「富士山が見えるよ」と誰かが声をあげ、どこどこ? と樹林の向こうが見えないので訊ねる声が重なる。カラマツの林の向こうに、大きく背を伸ばした富士山がくっきりとした姿を見せる。その富士の東の方には大月市の上に雲海がかかり、大菩薩連稜を挟んだ西側には甲府盆地の(たぶん)山梨市とか笛吹市の上空を覆う雲海がある。「あの向こうの、ちょっと尖った山は何てえの」とkwrさんが聞く。山頂東側の摩利支天が特徴の甲斐駒ケ岳だ。アサヨ峰が連なり、その奥に仙丈が岳、その左に北岳が大きく丸い山頂をみせる。富士山手前には山頂にアンテナ群を乗せた三つ峠。「あ、あそこ登ったね」と三月の山行を思い出した声も上がる。国土地理院の設置した《雲取山「原三角測點」》の説明プレートが置かれている全国の三角点測量を行うに先立って。1883年に設置された測量の原点というわけだ。「旧字を使ってるね」とmrさん。でも設置されたのは「平成10年」とある。山頂でフィルムの動画撮影をしていた若い人の連れ合いが「写真を撮りましょうか」と声をかけ、私たちの撮影をしてくれた。お返しにこちらもカメラのシャッターを押した。若い男二人がくる。「早いですねえ」と声をかけると、「いや、この先にテントを張ってますから」と返事がある。なるほど、登ってくるにしては早すぎる。

 暖かくなった。雨着の上を取って下山にかかる。6時半。鴨沢のバス停までのコースタイムは3時間半。15分余裕があるだけ。はたして間に合うだろうかと、ちょっと心配になる。登山道わきのスズ竹に霜が降り、陽に当たってきらきらと輝いて見える。黄色に変わりはじめたカラマツが陽ざしを受けて見事だ。富士山は朝日を反射するカラマツの向こうに、相変わらずよく見える。富士山の上空にたなびく鱗雲が、肌にきりりと突き刺さる寒気の心地よさと合わせて、冬の到来を思わせて、なぜかうれしい。振り返るとカラマツの林を従えた高台に建つ雲取山頂避難小屋がまぶしく屹立して見える。陽光を浴びて南の七つ石山に向けて大きな斜面を降る。                                   

  小雲取山のあたりでまた男二人のパーティに出逢う。
「早いねえ、鴨沢から?」
「ええ」
「何時に出たの?」
「4時半かな」
「そりゃ早い。すごいねえ」
 と時計を見る。7時だ。2時間半でここまで来るっていうのは……。私たちの下山3時間のところを2時間半で上ってきている。若いってのはいいねえと話しながら、歩を進める。ひょっとすると、3時間もかからないのかもしれないと、身びいきに思う。7時18分、奥多摩小屋脇を通過。コースタイムより10分ほど遅い。山頂で言葉を交わした若い人のテントがある。いいねえ、こうして山を愉しむって気分が、晴れている日は特によく伝わる。空一面に鱗雲が広がり、さわやかさが、いや増す。7人ほどのひとパーティがやってくる。けっこうな年寄りもいる。
「何時ころ出たの?」
「8時かなあ」
 と先頭の人。
「ええっ?」
 と時計を見ると、まだ7時半。
「あっ、いや、6時」
 と訂正する。なんだ、1時間半でここまで来たのか。小雲取山で逢った若い人たちに負けないスピードだ。この人たちに負けるわけにはいかないねえと思う。と同時に、彼らが1時間半なら、下りの私たちもそれくらいで鴨沢に着けるかもと思う。

「でも、それだと、9時のバスに間に合うよ」
 と、口にする。あとで考えると、この人たちは鷹ノ巣の避難小屋に泊まっていたかもしれない。そう考えると、出逢ったところまで1時間50分ほどのところに小屋がある。鴨沢からだと私が思い込んだのが、間違いだったのかもしれない。

 七つ石山と鴨沢へのトラバース道との分岐、ブナ坂に出る。鴨沢から1時間半と聞こえたから、七つ石山の山頂を経て鴨沢に降りても、お釣りがくるくらいだと、話す。じゃあ行こうかと、下山の先頭に立つkwrさんが山頂へ向かい始める。でも一瞬、何か違うぞと思ったから、トラバース道へ行きましょうよと声をかけ、鴨沢へのショートカット道をとる。あとで考えると、これが正解であった。

 右側が切れ落ちるように急斜面になっているトラバース道は、ずいぶん長く続いた。それを抜けると今度は、左側が切れ落ちた稜線の南斜面伝いになり、下の方の谷から水の流れる音が聞こえてくる。稜線上に上がると反対側の沢の水音も聞こえる。覗き込むが、どちらも沢は見えないほど下にあり、木が密生している。ブナ坂から45分の地点・「堂所」という地図上の通過地点の表示を探しながら下ったが、なかなかそこに行きつかない。ふと気がつくと、「平将門迷走ルート 風呂岩(すいほろいわ)」の看板がある。その下の方に「堂所←760m」と表示している。見落として、すでに通過してしまっていたのだ。9時。ブナ坂からすでに1時間15分。堂所からの「760m」を30分できているのかと、考える。ちょっと遅いかもしれない。

 下山の道はずいぶんしっかりしている。木々の間を分けてこぼれてくる陽ざしが気持ち良いくらいの下山者の姿を照らし出す。下から登ってくる人たちとすれ違う。聞くとここまで2時間だとか1時間だとかそれぞれに違う。「平将門迷走ルート 小袖」の看板を見る。下に「←鴨沢バス停60分、2.4km」と表示がある。時計は9時39分。10時15分のバスには、ほぼ万事休すだ。だが先頭のkwrさんはそれを見た様子もない。まあ、急がせても仕方がない。降りたら降りたところで考えるしかないと、肚を決める。下山してタクシーでも呼べばと話してはいたが、じつは、奥多摩駅にはタクシーの会社がない。いつかもタクシーを呼ぶとあきる野市から来るのだと聞かされて、あきらめたことがあった。そう簡単にタクシーも頼めない。10時のバスを逃すと、次は13時53分、4時間近く待つ。

 下の方に道路が見えると、誰かが声をあげる。よく見ると陽ざしを受けた下方の草付きが道路に見えたようだ。kwrさんとmrさんは坦々と歩く。ことに急ぐでもなく、のんびりでもなく、テンポは悪くない。道路が見え始める。ここに降り立てば、あと20分と目安がつく。並行して走る舗装路は見えてからぐいぐいと高度を上げ、こちらは緩やかに高度を下げ、ついに降り立った。9時55分。バス停まで20分というコースタイムなら、急げば間に合う。私が先頭に立つ。駐車場があるところから、「近道→」へ踏み込む。下から十人ほどの大学生らしいパーティが上ってくる。コンチハと声をかけ、顔も見ずすれ違って下りに降る。細い舗装路に出る。少し広い道に出る。あと五分。バスが来たら待ってくれと頼もうと上を見る。odさんが追いついてくる。彼女を先に行かせて時計を見て、「急げば間に合うぞ」と残る三人に声をかける。バスが見えた。残る二人は間に合うが、kwrさんが足を引きずっている。あと10メートル。「ゆっくり乗ってね」と声をかけ、私も乗り口に向かう。間に合った。kwrさんが乗ると同時に、ドアが閉まり、バスは発車した。

「まじめなバスだなあ」
 とkwrさんが声をあげる。たしかに。時刻表通りにやってくるなんて、まじめもまじめ、大真面目だねえと、笑う。それにしても、なにもコースタイムプラス15分という時間通りに歩かなくてもいいのに、kwrさんの先導も技能賞ものだと、あわせて笑った。

 こうして奥多摩駅に着き、十分ほどのところにある「もえぎの湯」で風呂に浸かり、温泉の上のお休み処で乾杯し、お昼にして電車の人となった。61年ぶりの念願がかなったおdさんばかりか、私たちまで晴れと眺望と乗り遅れればあと4時間は来ないというバスに間に合って、極上の雲取山になった。めでたし、めでたし。

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