2018年3月30日金曜日
季節の進行が早い
サクラソウが咲いていると聞いて、今朝、田島ヶ原のサクラソウ自生地へ行った。例年なら4月の初旬に咲き始め、20日ころにサクラソウ祭りとなるのに、今年はサクラソウがすっかり咲いて、ノウルシが覆い隠さんばかりになっている。サクラソウ自生地の案内ボランティアもはじまっていて、今日はボランティア希望者への説明会を開くという。陽ざしはいっぱいだが、一昨日のように暑くはない。長袖シャツにウィンドブレーカを羽織るとちょうどいい。秋ヶ瀬公園のサクラも、もう散りはじめていて地面も桜色に染まっている。サクラと芝生の緑と自生地のノウルシの黄色を含んだ若い緑は、春爛漫という言葉を思い起こさせる。季節の進行が今年は早い。1時間ばかり公園を散策して、帰ってきた。
2018年3月29日木曜日
陽気に歩く初夏の春山
昨日(3/28)は山の会の月例山行。一週間前の21日に設定されていたが、雪の予報に延期していた。延期して正解であったことは、三頭山での遭難騒ぎをみるとわかる。昨日は抜けるような青空。気温も24℃になる予報。上野原駅は、目下改修中、来週の初めから新しい駅前広場が完成するとあって、いつもバス停で山案内するオジサンも「時間があるならぜひ、あちらを観てきなさい」と、強い勧誘。行ってみると、二十メートル以上下方にまだユンボが土を均している。でもこれができると、これまでの狭い北口のバス停の混雑は一挙に解消する。南口の通勤客も、車で送ってもらう必要はなくなり、広場から駅舎までのエレベータに乗ってらくちん。だがこれだけの費用を支出するのは、上野原市にすると、ずいぶん苦労したのではないかと、バスで傍らを通過しながら話しが弾む。
2018年3月27日火曜日
人間とは何か?
今月の「ささらほうさら」の月例会(3/15)は、4人もの人が欠席。骨を折ったり親族の葬儀があったりと、この年になれば思わぬことが出来する。ま、仕方がないよねと済ませればいいが、今回の欠席者のなかに「講師」が含まれていた。前々日になって急遽、「何かやってよ」と依頼が来た。さて何にしようと、溜めおいた「資料」を浚うが、いまひとつピンとこない。ならば今私自身が考えつつある「もんだい」を皆さんに考えてもらおうと提示したテーマが「人間とは何か?」であった。
2018年3月26日月曜日
わたしは保守化したのか?
先日大学時代のサークル仲間と会う機会があった。鳥取や浜松からも駆けつけ、なかには卒業以来52年ぶりという人もいた。私より一つ年上の方が仕事から身を引いてボランティアをしている公園を散策し、夕方になって会食をした。1960年代の前半、サークル時代にわりと親密に過ごした(近い)世代の人たちだったせいで、近況もうちとけて話しが弾んだ。私のなかでは半世紀以上の時空が溶け合って眼前に浮かんでくるようであった。皆、古稀を超えている。
2018年3月25日日曜日
早春の道志山塊
降り立った上野原駅は登山客でごった返していた。土曜日だ。駅舎を出会たところの狭い広場は各所へ向かうバスが四台も止まっている。60年配の男性が登山者にどこへ登るのかねと訊ね、地図を手渡して山の様子を話しながら、バスを指し示す。乗客を乗せてつぎつぎとバスが出発すると、間もなく、次のバスがやってくる。私が乗るのは上野原市秋山郷の先へ向かう。中央線の東西に走る線路の南側、道志村の南に峰を連ねる丹沢山塊との間にある、標高1000メートルに満たない山並みに登ろうというのである。この山並みを道志山塊と呼んでいいのかどうか、正確には知らないが、西へ行くと三つ岳につながる。たくさんの登山客を集めている中央線の北側は「高尾・陣馬」。人気の領域である。それに比して南側の道志山塊は、静かなたたずまいを残している。無生野行きのバスに乗ったのもわずか五人。私と一組の、合計3人がリュックを背負っている。
2018年3月23日金曜日
香港(7)吉野家の牛丼にホッとする
第七日目(3/12)、いつもの食堂で軽い朝食。今日は最終日なのでYさんが皆さんから預かったお金の清算をして、一人当たり何ドルかの返金があった。今日の支払いは銘々でやってくださいといわれて、45ドルくらいの支払いをしたからよく覚えている。でも、暖かい牛乳とトーストを食べたなとおもったところで、あれっ? それじゃあ四日目の朝と同じものを食べたのかな(そんなはずはない)と考えて、何を食べたかに、自信がなくなってしまった。人の記憶って、こんなにももろいものなのか。
2018年3月22日木曜日
香港(6) イギリス統治の面影が色濃い公園
前夜ホテルに戻りシャワーを浴びて床に就いたのは11時ころだったろうか。第六日目(3/11)も朝は6時20分頃集合。6時半から開く食堂で朝食なのだが、三日目の朝に食べたラーメンは、ほんとうに即席麺がスープに浸かっているだけ。ポークを頼んだら、皿に豚のステーキのようなものがついて出てきた。これの筋が強(こわ)い。歯の方が痛みそうだったから、今日は牛乳とバター付きトーストを注文して軽く済ませた。いつもの海外なら、三日目くらいに下痢気味になったりしたのだが、今回はらしい前兆に「陀羅尼助丸」の30粒錠剤を一袋呑んでことなく済ませた。この「陀羅尼助丸」はカミサンが友人から「いいわよ」と言ってもらったものだが、私には思い出すことがある。大峰山に、二人の高齢の兄たちと登ったときに泊まった天川村洞川温泉の町には「陀羅尼助丸」の看板があちらこちらにかかっていた。修験の盛んであった時代から薬効があるとして重宝されたといい、その製造所まであったように思う。昔の話だと思って笑って過ごしていたのに、こんなところで出逢って、お蔭を被るなんてと、不思議な因縁を感じたりしていた。
2018年3月21日水曜日
近代化への罪の意識
寒いお彼岸になった。最高気温も6度ほど。昨日から雨が降り続く。予定通りなら今ごろ、霙のなかの山を歩いているはずだった。一週間延期してよかった。予報を見ると明日の最高気温は16度くらいになるそうだから、「…寒さも彼岸まで」とはなりそうだ。
2018年3月20日火曜日
身の裡を照らしているかどうか
昨日新橋まで足を延ばし、古くからの友人Hに会ってきた。二月に一度は会っているのだが、今月末のSeminarのレポーター役をお願いしている。昔なら、と言ってもほんの3年前少しまではメールでやりとりもしていたし、私のブログに書き込みもしてくれた。ところが、目が悪くなり、パソコンのデスクトップを見ていられなくなった。電子ブックは、バックライトというらしいが、パソコン画面と違った画面表示をするらしく、そちらの方はまだ読むのに差し支えない。そういうことがつづいて、いまはメールを送ってもパソコンを見ていないから、「メールを送ったよ」と電話しなければならなくなった。面倒と言えば面倒だが、でもそのおかげで、やっている店番を奥さんに任せて少しばかりおしゃべりをすることもできた。
香港(5)近代的なハードにそぐわないソフトな慣習
さて元朗の古い街での五日目の朝食が終わって、今度はミニバスに乗る。二階建てのバスは幹線道路を縦横に走っているが、それと並行したり脇道へのルートを走るのが、ミニバス。16人乗りとボディに記している、バンの少し大きいタイプ。これはオクトパスが利くものと利かないものとがあるが、その違いなど(交通機関の収支の公共性とのかかわり)は(聞いても)わからない。系統はあるようで、私たちが乗ったのは「ミニバス74」。乗車するとき、ガイドをふくめて10人いた私たちのグルー
2018年3月19日月曜日
香港(4)馴れない景観と食べ物
前日の海鮮料理を食べたところへ案内してくれたのは長く現地でYさんと仕事をしていたIさん。私はただ「ついて行った」だけだったせいもあって、香港(地図上)のどこなのかわからない。そうなると、まるで自分の覚えまであいまいになって記憶から蒸発してしまうことになった。いつもなら行程を思い出せるものが、混沌としてしまう。まるで山中で道に迷ったような感じだ。考えてみると、空間認識と記憶とが(私の場合)、欠かせなく結びついていると思う。普段こうした行程記録を書く場合、メモ代わりの写真は参照するが、実はあまりメモを取っていない。時刻とルートをなぞるうちに思い浮かぶことを書き落としていく。ところが(たぶん)くたびれていて、人の後について行った場合、その航跡自体も頭に残らないというわけだ。
2018年3月18日日曜日
明らかに春めいている
香港から帰ってきて以来、大忙しであった。「爺婆二十年史」をつくっていることはすでにお話ししたが、その写真の提出があった。かき集めたら、なんと600枚近くあった。それを節ごとに振り分け、要らないものを落とし、写真にわかりやすいファイル名を付け、番号を振り、分類して節ごとのボックスに仕分ける。そうして、それぞれにキャプションをつける。さらにその、写真の一覧をエクセルで作り、目次と合わせて、どこにどれを配置するかをデザイナーにわかりやすく整理する。
2018年3月16日金曜日
香港(3)山間の農村を歩く
前夜買い置いた軽食をホテルで摂り、7時10分に出発。地下鉄で荃灣站(Tsuen Wan Station)へ向かう。この駅は香港全体で言うと中央部の西端に位置する地下鉄路線のターミナル。降り立って驚いた。超高層建築街の真ん中にある二階デッキ。そこから下の道路をまたいでそちらこちらのビルにつながる連絡通路が通っている。8時ころとあって、通勤客でごった返している。改札を出て、香港の探鳥ガイドたちと待ち合わせる間、トイレを探した。口頭で説明を聞いたが、わからない。香港の探鳥家の一人が案内してくれる。百メートルほど離れたビルの一階上のドアを開けて入っていくと、トイレマークがあった。その前には「讃岐うどん」の看板を掲げた丸亀製麺のチェーンストアがある。日本では丸亀製麺は「讃岐うどん」の表示をしてはならないとされているが、ま、ここまでくれば文句を言う人はあるまいとタカをくくっているのかと、思う。トイレはすこぶるきれい。TOTOの製品を使っている。
2018年3月15日木曜日
香港(2)それなりに奥深い山
3日目(木曜日)はうって変わって天気が悪かった。朝からの小雨。タイポカウ(大埔墟)の公園。大埔駅からタクシーで山里へ入る。通勤時間帯のせいか、タクシー乗り場は長蛇の列。「大埔墟自然護理區」と表示のある公園の入り口から坂道を上り、亜熱帯特有の照葉樹の森を両脇に抱えた山の斜面に抜ける石段のルートに、「自然教育區」と記した古びた看板がある。長年の蓄積があるようだ。コウラウンが飛び交う。昨日は夢中になって双眼鏡を向けたが、今日は「何だコウラウンか」とほかへ目を向ける。日本では見られない鳥でも、こうして毎日身近に見るようになると、関心が薄れるのか。開けた地面の50メートルほど向こうの電柱の上にカンムリワシがとまっている。
2018年3月13日火曜日
落差を感じないフレンドリーな香港
香港から帰ってきました。一週間の滞在。中心街に宿を決めて、そこから探鳥地に出撃する。使うのは公共交通機関とごく一部タクシー。街を歩いていても、ヨーロッパやアメリカの町に感じる緊張感を覚えない。もちろん顔つきが似ているということもあるが、掏摸やかっぱらいに「狙われている」という雰囲気がない。電車に乗っても(こちらが年寄りばかりということもあるが)、若い人たちがパッと座席を譲る。混雑するときには、場を空ける。大声で話をしていない。おおむね皆さんそこそこ豊かというばかりでなく、満ち足りている。加えて知的な雰囲気を湛えている。同じ中国とは思えない落ち着いた暮らしを感じさせていた。
2018年3月6日火曜日
なぜ日本の治安はいいのか
今日頭条という中国のサイトに「中国人が羨ましいと思う日本のコト」というのがアップされているそうだ。そのなかに、「小学生が一人で学校へ通える」というのもあったが、「日本の住宅の窓には格子がない」というのがあった。中国の住宅は、中層住宅でも窓は外から侵入できないように格子が入っているという。それが牢獄にいるような気分にさせるが、日本の住宅は羨ましい、と。
2018年3月5日月曜日
姉弟の苦渋と独立不羈の精神
近頃耳にした二つの姉弟関係の話しを考えていた。
ひとつは、80歳を超える弟。妻と二人暮らしで子どもはいない。妻はお茶の師匠。いわゆる「難病」を抱えていて、でも「医療費が一銭もかからない」と話すような磊落な人柄が好まれていた。それもあって、いわゆる家元制度の「お免状」を授けるということにこだわらず、お茶を愉しむというのを基本にしていて、お師匠の妹さんも加わったお弟子さんたちも茶席に立ち寄るのを愉しんできた。このお茶のご師匠は、なかなか凝った器を持っていて、そのうちの一つや二つを妹さんはいずれ自分も頂戴したいと(姉に向かって)口にしていた。この師匠の夫君はすっかり妻に頼り切っているように見え、飄々と過ごしている。ときどき茶席に顔を出したり、庭の柿をとってお弟子さんに振る舞ったり、愛想も良かった。
2018年3月4日日曜日
裁量労働が苦にならない
ここ一月ばかりの間私は、裁量労働で日々が明け暮れている。一冊の本をつくろうとしている。ひと月経ってやっと、400字詰め原稿用紙にすると800枚くらいの原稿を削りに削って450枚ほどに整理し、三部構成にし、何とか体裁を整えて、デザインと製本をしてもらおうとある出版社に持ち込んだ。丁寧に応対してもらい、刊行意図を聞いて、それなら写真を数百枚付けたらどうかと提案を受けた。今月の下旬にはそれも含めてすべてをデザイナーに渡さなければならない。ということもあって、ほぼ朝起きてから夜寝るまで、PCの前に座って、全力投入である。だが加重労働とは思っていない。なぜなら、これはまったく私の趣味の仕事であって、ハンナアーレントに言わせれば、労働でも仕事でもない、活動であるからだ。
2018年3月3日土曜日
有機体の人間でいたい
今日、お昼を食べながらTVをつけたら「最期の授業」という番組の再放送で、石黒浩・大阪大学教授が、学生さんを相手に「何かの」講義をしているのが目にとまった。自分そっくりのアンドロイドをつくり、ほぼ80%程度イシグロの理知的な判断の通りに言説をくりだすことができる、という。面白いと思ったのは、有機体ではないこのアンドロイドは「人間」なのかどうかと、学生さんに問う。当然答えは、NOだ。
2018年3月2日金曜日
方法としての「偏り」
半藤一利×保坂正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社、2015年)は、意想外に面白かった。「序章」が象徴的にそれを伝える。幕末の「錦旗」は長州の偽装・偽計であったとか、戊辰戦争における官軍の醜悪な「侵略」、靖国神社に「朝敵であった」薩長側の人物は祀られているが、のちに賊軍側におかれた「御所を護っていた人々」は排斥されているとか、スキャンダル的に展開するのかと思ったが、そうではなかった。
2018年3月1日木曜日
どこから「せかい」をみているか
ジョージア映画『花咲くころ』を観た。「岩波ホール50周年記念作品第一弾」と銘打っている。時代は四半世紀前、ソ連崩壊後の独立したグルジアの首都トビリシ。思春期を迎える若い娘たちと青年たちの日常が描き出される。風景は、敗戦後間もないころから昭和三十年代の日本の地方都市に似ている。つまり私の中高生時代と重なる。多くの道は舗装されておらず、雨でも降ると水溜りができ、歩きながら右往左往する。食べ物も服装も、なべて貧しい。
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