2018年3月1日木曜日
どこから「せかい」をみているか
ジョージア映画『花咲くころ』を観た。「岩波ホール50周年記念作品第一弾」と銘打っている。時代は四半世紀前、ソ連崩壊後の独立したグルジアの首都トビリシ。思春期を迎える若い娘たちと青年たちの日常が描き出される。風景は、敗戦後間もないころから昭和三十年代の日本の地方都市に似ている。つまり私の中高生時代と重なる。多くの道は舗装されておらず、雨でも降ると水溜りができ、歩きながら右往左往する。食べ物も服装も、なべて貧しい。
でも子どもたちは構わず飛び回り、若者たちは、大人たちに反発しながら定かならぬ自分を持て余し、屯して騒ぎ、はしゃいでは落ち着きどころを見失っている。私は香川県の高松で敗戦を迎え、対岸の工業都市、玉野市にいて小中学時代を過ごしたから、胸中にトビリシの日常がともなっている空気が彷彿と甦るようであった。と同時に、若者たちであった己の落ち着く先をどのようにみてとったのか、振り返ってみるような思いで、観たのであった。
男兄弟ばかりで育った私にとって、娘たちの振る舞いをわが身に引き寄せて腑に落とすことはむつかしいのだが、彼女らの心の移ろいは、決定的な一点を除いては、わからないでもなかった。その決定的な一点というのが、(たぶん)この映画の主題でもある。暴力にどう抗して、自らの矜持をたもつかということ。ジョージアが戦乱のなかにあり、モスクワへ動員されていくものもいるなかで、男たちは当然のように武器をもって出かけていく。見送るものも、巻き込まれるものも、あるいは何かのきっかけで人を殺してしまうことも、それゆえに牢獄に収監されるものもある。つまり社会が暴力を容認して組み立てられている。
その中で子どもと年寄りと女たちは、力なく適応してその日をしのぐ。その適応のさまざまのなかに人間の理不尽さを含むややこしさが浮かび上がる。暴力的社会かんけいからの離脱を、誇らしさを失わないでどう成し遂げるか。まず、自ら暴力を捨てよというメッセージがとりだされる。歌や踊りという文化性がもたらす心もちの柔らかさが、捨てる道筋を示すかにも見える。私にはそれは「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と受け止めているが、果たしてジョージアの人たちがそのような感覚を持っているかどうかは、わからない。
岩波映画のチラシは「戦争や暴力の不毛さ、女性の権利についても主張する」と、この映画のポイントを声高に書いているが、そのような次元でみている限り、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という感性は生まれてこない。チラシが書いている限りでいえば、日本社会はすでにジョージアの映画が描いた次元を抜け出ていると、私は思う。暴力的な次元のことがないというのではない。日々のニュースが伝えることごとをみていると、人間の本性はそう簡単に変わってはいない。だが、社会次元の暴力について言えば、ほぼそれを否定する感性は一般化している。ではどのようにしてそこを抜け出たのかと問われると、占領以来、暴力を米軍預けて過ごしてきた私たちの戦後過程を述べなければならない。この過程は、社会において非力に置かれた女性の身に、あたかも本性のように備わってきた資質を育てたのであろうか。庶民という非力な立場が然らしむる属性であろうか。
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(白水社、2006年)を読むと、ジョージアとはまた別の(イスラム原理主義と反帝国主義という)要素が加わって、市民生活の隅々まで統制しようとする全体主義的な社会体制の苛烈さを覚える。だがまるでそういった暴力性を感じないで、ちょうどこの作品が書かれたころに私はイランを旅したことがある。ナフィーシーが記すような息苦しさを感じなかったのは、私が男だからだったろうかと、振り返っている。男社会の社会気風が男にはそれほど苛烈に感じられない。だが挙措動作の一つひとつに女は、痛みを感じ続ける。そういう感性が、このドキュメンタリーには埋め込まれている。でもたぶん、日本社会がすでにそういう暴力的次元を抜けているとおもうのだが、ではどうやって抜け出たのかとなると、アメリカの占領下で日本を骨抜きにする方針が貫かれた結果であった。日本国家が(大東亜戦争という自ら招いた敗戦によって)身を捨てた結果が生んだものだから誇らしげにいうことではないが、経済活動優先で国際政治的な関係から離脱したことがそうであってみれば、今後も(恥ずかしながら)国際政治的かんけいにおいては小さくなって、一人前の「貢献面はしない」ことによって、非暴力的気風を受け継いで行けるとは思わないか。
そんなことを考えながら、暖かくなった陽ざしのなか、神保町の交差点に出たのであった。
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