2018年3月4日日曜日
裁量労働が苦にならない
ここ一月ばかりの間私は、裁量労働で日々が明け暮れている。一冊の本をつくろうとしている。ひと月経ってやっと、400字詰め原稿用紙にすると800枚くらいの原稿を削りに削って450枚ほどに整理し、三部構成にし、何とか体裁を整えて、デザインと製本をしてもらおうとある出版社に持ち込んだ。丁寧に応対してもらい、刊行意図を聞いて、それなら写真を数百枚付けたらどうかと提案を受けた。今月の下旬にはそれも含めてすべてをデザイナーに渡さなければならない。ということもあって、ほぼ朝起きてから夜寝るまで、PCの前に座って、全力投入である。だが加重労働とは思っていない。なぜなら、これはまったく私の趣味の仕事であって、ハンナアーレントに言わせれば、労働でも仕事でもない、活動であるからだ。
裁量労働というのを政府は「働き方を自由にする」と説明する。「高度プロフェッショナル」というのをどう限定するのかは知らないが、もっぱら自分好みの(趣味)領域と考えると、時間で区切ること自体がヘンだと考えるのは、よくわかる。仕事というのは、趣味と重なるほど当人にとっては適応感と自己実現の充足感が増してくる。あれこれ時間でうるさく言うなよと言いたくもなる。だが、いくら趣味とは言え、やろうとやるまいと自分の自由というわけにはいかないことは多い。それが他の社会関係から要請される場合はどうか。つまりどこかの会社に雇われ、あるいは契約してノルマが課せられているときは、いくら好みと言っても「自分の趣味」とは言い難い。ハンナアーレント風に言えば、活動ではなく、仕事(あるいは労働)だ。この違いは、どこにあるか。
マルクスは疎外とか自己疎外と言ったが、資本家社会の仕組みの中で提供される仕事(労働)は、人が本来生きている本筋をはずれてしまう。むろん資本家社会になってからそうなったのではなく、封建社会でも奴隷制社会においても、本人の意思による仕事以外は、ことごとく、疎外される。本人がそれを望む以外ないときそれに適応することは、自己疎外と言われる。フーコーならば、社会の仕組みというのは、本人の自己疎外をそそのかすように「内化」することによって、「規範」として完成する。資本家社会のそれは、分業と協業と商品交換(と流通)によって全きまでに自己疎外を誘発促進してきた。だから、裁量労働によって過労死するような事態が多発するのだ。
では、ひとが本来生きている本筋というのは、なにか。マルクスも人間のそれを仮構していたのだ。疎外からの回復というが、「主体」が立たなくては、回復もあったもんじゃない。あるいはこうも言えようか。主体が立つとき、それと同時に疎外からの回復は果たされている、と。まあ人は、誰もが、人間かくあるべしというモデルを懐いて生きている。そことはずれた「じぶん」を情けないと思い、不甲斐ないと考え、でもどうしようもなくあるがままに生きてしまってきた。私もそう思う一人だ。だが、自分はどのようなモデルを描いていたか自問すると、それが定かでない。だが、定職を持ち定年まで務めてきた己の仕事のやり方を振り返ってみると、ひとつ思い当たるところがある。
いま世間は、もっぱら「裁量労働」をめぐって大騒ぎしているが、その「報道」の子細を読もうとも思わないのは、現役のときから私は、裁量労働をしてきたからであった。むろん仕事の現場は学校の教師という「枠組み」がはまっていた。しかし、私の現役であったころは、その学校の教職員の醸し出す気風が主導的で、教育行政のほうからあれやこれや要求してくることは、校長や教頭という管理職が堰き止めていたというか、クッションになっていた。つまり現場の教職員は、場合に寄ったら管理職と対立することによって、主体的に仕事に臨むという舞台をつくりあげていたのだ。
現場の気風というのは、長い間に堆積してきた習慣的な仕事の進め方、段取りや手順、それによって教職員が身の裡に保っている規範性、地域環境が育んでいる気質や常識。つまり、社会性の全体が私の仕事の「枠組み」であった。1960年代の後半ということもあって、敗戦後の混沌から(新しい時代を)駆け抜けてきたという気風をある程度湛えてもいた。現場では、私自身の振る舞いが、どれほどの知的道徳的イニシャティヴを得るかが、主体的に振る舞うことができるかどうかのメルクマールだったと、いま振り返って思う。私自身は、まったくの世間知らず。ただ大学のころに培った「情報伝達の公開性」と子どものころからの単純素朴、バカと言ってもいいような(内心の意図を隠さない)純朴さが良かったのではないかと思う。それを信頼のベースにして、現場における関係を紡いできたが、私自身が気づいていない要素が作用していたことも、きっと多々あるに違いない。ひとつとりあげれば、そうした若い教師の振る舞いを許容する他の教職員の寛容さと知的言葉を交わす練度の高さ。それによって私が刺激を受けたことも少なくない。
この私の仕事の仕方は、のちにアナルコサンジカリズムと私自身が命名したが、現場人の主体性による現場の運営という(教育行政からみると)現場主義的な無鉄砲さを含んでいたろうと思う。狭間に立った管理職などは、手を焼いたと思ったのではないか。こうしたセンスが現場でほぼ後を絶ったのは、21世紀に入ったころ。そろそろ私が退職という年になってからであった。ラッキーであったと同時に、だから退職後に、現場の問題に口を挟むことを厳に禁じてきた。私にはわからないことが多くなったのだ。ただ、こうした現場主義的な主体的な振る舞いが、構成するメンバーの人柄や力量の違いを補いあって生かしていく「共同性」を育み、一緒に仕事をしているというOJTを、若い人たちにも施してきたと、思う。上意下達の、主体的判断を欠いた現場運営は、直面することへの責任を欠いた結果しか生まないからである。そういう事態が、目下進行中なのではないか。簡略に言うと、給料の支払い者は誰か、雇い主は誰か、その意に沿わぬ仕事は勤め人のするべきことではないというのは、自ら疎外体として生きよと、資本家社会の論理だけが横行するからである。
そういう仕事はしたくないやね。いまの裁量労働にまつわる論議は、そこのシステムが端から抱えている矛盾に蓋をして、あたかも「自由に働ける」社会になるかのように喧伝する政府と、ほとんど裁量労働など望むべくもない仕事現場に放り込まれているひとたちの「権利」を護ろうとする野党との、駆け引きに終始している。それくらいなら、「現場を信頼しろ」というアナルコサンジカリズムを称揚したほうが良いのではないかと思う。だが、デジタル時代の社会規範は、ますます規律厳しく機械的に運ぼうとするから、難しい。
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