2018年3月20日火曜日
香港(5)近代的なハードにそぐわないソフトな慣習
さて元朗の古い街での五日目の朝食が終わって、今度はミニバスに乗る。二階建てのバスは幹線道路を縦横に走っているが、それと並行したり脇道へのルートを走るのが、ミニバス。16人乗りとボディに記している、バンの少し大きいタイプ。これはオクトパスが利くものと利かないものとがあるが、その違いなど(交通機関の収支の公共性とのかかわり)は(聞いても)わからない。系統はあるようで、私たちが乗ったのは「ミニバス74」。乗車するとき、ガイドをふくめて10人いた私たちのグルー
プは、二つに分けられた。一台が走り去り、しばらく待って次の一台がやってくる。私は後続に3人で乗ったのだが、乗客は座席いっぱい。走行中に乗客から大声がかかると、その都度バスは止まって人を降ろす。工場群のなかをくねくねとまわりながら走っている。一度止まってから百メートルも進まないのに、また声がかかり止まる。そうして私たちだけになって終点の「森屋村」まで乗った。と言っても、もう工場はなく、民家が立ち並ぶ村はずれのようなところ。前方には葦の原と田か畑か原野が広がる。そのずうっと先に超高層ビルが立ち並んでいるのは、すでにおなじみの風情。それは深圳のビル群だそうだ。ということは、今日は香港の北端の西の端、つまり第二日目に足を運んだマイポ(米埔)自然護理區の、湾を挟んだ西側のチムチュベイ(尖鼻咀)に行こうとしている。
遠くに電線の上に何か止まっていると誰かが声を上げ、スコープを覗く。こうして今日の探鳥がはじまった。カノコバトだオニカッコウだというのに混じってシラコバトだと誰かが言い、たしかに、首輪を巻いたような埼玉の県の鳥がいる。ジョウビタキも、クビワムクドリもいる。コウラウンが葉の落ちた木の突端に止まって高い声を上げる。シロガシラが枝の多い新葉の出かけた木の中段にいて、目に入った。コンクリートの柱の上で鳴き声を立てているのはキマユムシクイだという。大きな池の脇に出る。この池の向こうをみていたカミサンがアオショウビンが入ったとスコープから目を話す。どれどれとのぞかせてもらう動いて。見事な背の青色と頭の茶色と嘴の赤、何よりも体全体のアンバランスが際立つ鳥だ。向こうの茂みの陰にある横枝に身を置いてじっとしている。ほかの皆さんもどこどこと言いながらのぞき込み、あああそこかと言いながら自分のスコープを合わせる。私もカメラに収めようとしたが、ズームすると場所がわからなくなってしまう。何度か試みたが、手軽なカメラでは上手くいかなかった。「ああっ、ヤマセミ」と声が上がる。向こう岸の茂みの緑を背景にふわりふわりと羽ばたいて右のほうへ飛ぶ。陽ざしを浴びて白い羽とそれに着いた黒っぽい色が幾何学模様を描くように動いて美しい。見惚れているうちに茂みの向こうに飛んでいったが、カメラマンたちは、このチャンスを逃さない。一眼レフでシャッターを押したのをあとで見せてもらったが、ピントがいま一つ。でもアオショウビンはしっかりととらえていた。もうすっかり満足。このあとシマアジがいるのを観ようと池を回り込む。私たちの姿を見て、十数羽の群れが飛び立つ。
長大な壁に突き当たる。ここから向こうがマイポ護理區だという。でもこのフェンスはなぜ? Yさんの説明だと、じつは深圳から越境してくる密入国者を防止するためだという。どこか小高い地点に警備兵がいて、越境者を見つけるとすぐに逮捕されるそうだ。だから私たちも、マイポに入るときには、「埼玉野鳥の会」の会員証とマイポ入域許可証とを手に入れなければならなかった。この壁に沿って、自転車でやってくる人たちが多い。家族連れや若い人たちのグループ。そういえば今日は土曜日であった。彼らもこうして、休日を楽しんでいる。長い橋を渡る。海とつながっている河口。この先が島のようになっているチムチュベイの自然保護区。陽ざしが強い。しばらく橋の上から河口の鳥を見分ける。先頭が先へ行ってもまだ残っている人たちがいる。そう思って振り返ったら、マングローブの緑の葉の上を茶色の大きな鳥がひらりと飛んで緑に身を沈めた。オオバンケンだと誰かが口にする。へえ、見たぞ、また、と思った。私が最初に見たのはオーストラリア。
橋を渡り大きな池に出たところでお昼にすることにした。強い陽ざしを避けて、マイポの壁の日陰に身を寄せ、水道管だろうか剥き出しの太い管に腰かけて買いおいたパンをとりだす。二人だけ、強い陽ざしの池の端で座り込んでいる。ヤマセミを見るのだと頑張っている。二度飛んだそうだ。往きと還り。つまりこの辺りを行ったり来たりしているらしい。池の向こうにいた人たちが声を上げる。別の方角を指さしている。そちらの電線の鳥を観ると、青っぽい背中が頭まで覆っている。ヤマショウビンだと傍らの鳥達者が言う。もう大満足であった。もらったイラスト地図ではぐるりと山裾を回るルートが記されているが、ここを回るとあと2,3時間ほどかかるらしい。陽ざしもあって、すっかりくたびれている。ちょっとショートカットして「輞井村」へ向かう。何と発音するのかわからない。「輞」は呉音ではモウとかボウというから、「もういむら」と日本語読みするが、中国語を聞いても頭に入らない。アルファベットで表記してもらうと、まだ親密感がある。表意文字は(気分の上では)親しみがあるが、地名となるとからきし役に立たない。帰って障害になるような気がした。
「輞井村」のバス停には豪勢な人家もある集落がある。村の中心部の前には、三角のペナントを大きくしたような旗が何本も建っている。「国泰**」「風*雨須」「萬事**」と四字熟語を書き付けている。まるでお祭りのようだが、ひょっとすると日常の集落のたたずまいかもしれない。公衆トイレもあって、観光客を受け容れる体制があるようにみえた。ミニバスには全員が乗れないかもしれないと判断したIさんとYさんが先へすすむ。もう少し歩いて、元朗へつながるにぎやかな大通りまで向かう。河口部には大きなコンクリートの橋が架かっている。その橋の欄干に、所狭しと、選択したシーツや毛布や衣類を干すべく掛けている。なんとも近代的なハードとそぐわないソフトな慣習のありように、思わず笑ってしまう。この町の人たちは頑固に自分たちの慣れ親しんできた習俗にこだわっているとみえた。
大通りから二階建てバスに乗って帰ったのだが、果たしてどういう道筋を戻ったのか、記憶にない。最初の「行程表」では元朗から地下鉄で帰るか「バス268Xで宿へ」とあった。電車に乗った覚えはないが、バス一本で帰着したのだったか。ぼちぼち疲れが溜まり始めていたのかもしれない。
この日の夜は、また香港の探鳥家たちとの宴会であった。全員で二十人ほどであったか。大きな丸テーブルに二組に分かれ、出されてくる料理を頂戴し、ビールを飲む。Yさんは旧交を温めているようであった。食事後、バスに乗ってフェリー乗り場に向かい、スターフェリーピアから向かいの香港島に行く船に乗り込む。もう9時近い時刻だ。ほんの1㎞ほどの距離なのだが、真っ暗な海のむこうに、煌々と輝く香港島の超高層ビルとその照明が夜景を描き出すように浮かび上がらせる。ああこれが百万弗の夜景と謂われたやつかと思う。子ども連れの若い人たちも乗っている。私たちのような観光客もたくさんいるようだ。ほんの20分ほどで着き、折り返しの便に乗ってフェリー乗り場に戻ってきたが、いや、面白かった。久しぶりに「観光」したって感じだった。
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