2018年3月29日木曜日
陽気に歩く初夏の春山
昨日(3/28)は山の会の月例山行。一週間前の21日に設定されていたが、雪の予報に延期していた。延期して正解であったことは、三頭山での遭難騒ぎをみるとわかる。昨日は抜けるような青空。気温も24℃になる予報。上野原駅は、目下改修中、来週の初めから新しい駅前広場が完成するとあって、いつもバス停で山案内するオジサンも「時間があるならぜひ、あちらを観てきなさい」と、強い勧誘。行ってみると、二十メートル以上下方にまだユンボが土を均している。でもこれができると、これまでの狭い北口のバス停の混雑は一挙に解消する。南口の通勤客も、車で送ってもらう必要はなくなり、広場から駅舎までのエレベータに乗ってらくちん。だがこれだけの費用を支出するのは、上野原市にすると、ずいぶん苦労したのではないかと、バスで傍らを通過しながら話しが弾む。
わずか三日ほどで一挙に春がすすんだ。電車の窓から眺める下界はサクラの花が満開。だが一歩バスで山間に入ると、春ははじまったばかりという風情。秋山郷という大きな集落が、秋山川に沿って東から西へと伸びている。バスはカントリークラブや温泉郷があることを紹介しながら、ゆっくりと走る。ところどころで後からついてくる乗用車を先へ行かせる。道幅は狭い。明るい陽ざしが差し込んで、緑と枯れ木の入り混じった山肌が春の兆しを感じさせる。
大地(おおち)はしずかな里山。標識は小学校の所在地を示しているが、児童数はいるのだろうかと口にすると、山の会の人たちが自分の子どものころの小学校に、1時間ちかくかけて歩いて通ったことや、その小学校が今はもう統廃合されて、子どもたちはバスで通っていることを話す。えっ、あなたの故郷はどこ? と話しは広がる。飯能というごく近くの村であったり、石巻という遠方であったりする。話は震災へと転がり、脚は転がることなく、山へと入っていく。歩き始め、9時15分。標高500メートル。
キャンプ場の間を抜けて、さが沢沿いに奥へとすすむ。道は舗装されているが、石や小枝が落ち、雨に流されてきたのであろうスギの枯葉が固まって堆積している。ミソサザイの声がかしましく響く。林道と別れ沢沿いにショートカットする道が、昭文社の地図には破線で、国土地理院の地図には登山道の表示線で記されている。そちらへ分け入る。21日に降った雪はすっかり消え、でも人が歩いた形跡はなく、荒れている。沢の右岸を辿る地理院地図の登山道はなく、左岸を上へとたどる踏み跡はそこそこしっかりしている。しかしそれも、上の方にガードレールが見えたあたりで途絶え、傾斜の急な斜面を力づくで登って、林道に出る。急にカッと陽ざしが差し込むようになった。初夏だねこれは、とkwrさんは心地よさそうにつぶやく。振り返ると、大地峠トンネルの上を通る甚の函山へ上る稜線がくっきりと見える。紫の花をつけたスミレがそちこちに咲いている。
さらに大きな舗装林道に突き当たり、大地峠トンネルの方へ向かう。トンネルは閉鎖されている。冬の間だけなのだろうか。それともこの舗装林道は使われていないのだろうか。トンネル脇からの急登を、先頭のkwrさんは休まず上る。ジグザグの道だが、すぐに「旧大地峠」の標識にたどり着く。10時25分。コースタイムより15分も早い。右へすすむと甚の函山を経て大地へ下る。直進すると、高柄山を経て上野原駅や四方津駅へ降りるルートになる。私たちは左へすすみ、矢平山へ向かう。このルートが地理院地図には記されていない。踏み跡はしっかりしているから、迷うことはないが、いわゆる「登山地図」と地理院地図との違いは、何とかならないものだろうかと、いつも思う。山名表示も、地理院地図は昔のまんま。ほとんど小さなピークの名は記載されていない。
矢平山の山頂860mに着く。今日の最高標点だ。歩きはじめて1時間半。「富士山が見える」と誰かが声を上げ、見ると左の方、丹沢山の山並みの向こうに白い富士山のすがたが葉を落とした木々の間に浮かぶ。昔のガイドブックには「矢平山の山頂は見晴らしがいい」と書いてあったが、書き記した時期より30年も経ってみれば、木が大きく育ち、「展望台」は樹林のなかになる。春先の、木々が葉をつける前だからこうして眺望を得たのだ。
この山頂からは急傾斜の下降になる。ところどころロープが張ってある。それにつかまりながら下っていると、70年輩と思しき方が上ってくる。地元の人なのだろうか。歩きなれた風情でゆっくりと登ってくる。「お元気ですね」と声をかけると、「いや、まあ」と照れ笑いをしてすれ違った。「mrさんが来ていると叱られるところだね」と、珍しく今日不参加の「登山家」の方の名を口にする。と「いや彼女は、強いですよ。どこかの駅の雑踏を歩いたとき、人をかき分けるようにしてさかさかと先へ行ってしまうんですもの。追いつけませんでした」とmsさんが加える。mrさんが腰痛で手術をするか腹筋背筋を鍛えるか迫られているとkwmさんが彼女の近況を説明する。古希を過ぎて年女の彼女の身体歴は、後に続く世代にとっては他人事ではない。
大きく降り再び上って、丸ツヅク山763mに到達する。山名の表示は、ちいさなトタンの板に手書きで標高と一緒に書き付け、木に縛り付けている。丸く大きな山頂からの下り道は、踏み跡をたどる。乾いていて、急な斜面だが歩きやすい。11時半、寺下峠。この先を上がったところでお昼にしましょうと、もう一息の頑張りを促す。kwrさんは少しくたびれてきたのだろうか。傾斜は急だが、足場は悪くない。15分上がったところで「舟山818m」に着く。ちょうど歩きはじめて2時間半。お昼にする。富士山はも応見えない。北も南も、低いところには雲がかかっている。
30分ほどを過ごし、腰を上げる。ここからは稜線伝いなのでmsさんが先導すればいいかと思っていたが、何だか遠慮している。お昼を食べてすぐではペースがつくれないと思っているのだろうか。私が先頭を歩く。相変わらず葉の落ちた木立が続くが、富士山はもう見えない。ヤマザクラだろうか、白い花をつけて楚々としている。鳥屋(トヤ)山に30分ほどで到着。msさんが先導する。けっこうなペースだ。黄色い花をつけた木が枯れ木の間に際立つ。アブラチャンだとどなたかが言う。細野山838mの標識が木立に紐で結び付けられている。お昼を過ぎて歩きはじめてちょうど1時間ほど経っている。「あと10分くらいですか?」とmsさんが口にする。歩くペースは落ちていないが、疲れてきたのだろうか。今度はkwmさんが先行する。彼女のペースはさらに早い。ほんとうに10分で立野峠の標識に出逢う。
この標識は新しく、立派だ。直進すれば倉岳山、左へ行けば「←浜沢40分」とある。上野原市の西の端の無生野まではあと一つのバス停があるところだ。その先は都留市になる。私たちは右へ向かう。「倉岳山水場10分→」「梁川駅1時間10分→」。落ち葉の降りつもってふかふかとしている、歩きやすい道だ。くねくねと曲折しながら標高を下げる。kwrさんが二番手でついて行く。おいおいそう急ぐなよと思うが、私も疲れてきているのだろうか。私の前をmsさんがやはり調子よく降っている。倉岳山水場には、立派な立札が建てられ、位置などの説明と地図をつけ、「富士北麓・東部地域振興局・大月林務環境部」と掲出責任部署名を記している。kwrさんが「大月市になると急に表示が立派になったね」と上野原市との違いを口にする。「あの、南口の整備をやってるから、とても山案内の啓示にまで手が回らないんじゃないの」と応じる。
月尾根沢に沿って降る。何回か沢を渡り、また渡り返す。msさんはときどき歩を止めて、花をのぞき込む。ネコノメソウがある。ハコベの仲間だろうか、小さい白い花をつけているのもある。先頭のkwmさんが立ち止まってしまった。カタクリが咲いている。カメラを構えている。と、その先に幾輪も咲いている。咲き始めというよりも、十分咲いて爛漫という風情だ。快適に下り唐栗橋が見えるあたりでマムシグサの仲間が二輪首をもたげているのが見事であった。14時27分、舗装道路に降りたつ。梁川の駅までの道路沿いには五分咲きくらいの桜が何本も彩を添える。振り返ると、矢平山と、今日歩いた舟山から細野山への稜線がしっかりと見える。いい山だったねえとkwrさんが言い、、まるで初夏の山だったねと付け加える。道端に青紫の輪郭のくっきりした花が咲いている。あとで聞いてみるとツルニチニチソウという外来種だそうだ。
梁川の駅に着いたのは14時45分。今日の行動時間は、ちょうど5時間半。30分のお昼タイムを除くと5時間の歩行。コースタイムは5時間15分だから、高齢者の山歩きとしては上出来だ。駅下のお店でビールを買い、ホームで電車を待つ間に乾杯をした。素敵な初夏の春山であった。
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