2018年3月2日金曜日
方法としての「偏り」
半藤一利×保坂正康『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社、2015年)は、意想外に面白かった。「序章」が象徴的にそれを伝える。幕末の「錦旗」は長州の偽装・偽計であったとか、戊辰戦争における官軍の醜悪な「侵略」、靖国神社に「朝敵であった」薩長側の人物は祀られているが、のちに賊軍側におかれた「御所を護っていた人々」は排斥されているとか、スキャンダル的に展開するのかと思ったが、そうではなかった。
半藤一利という人は、「賊軍側」に立って昭和史を「人脈のメカニズム」で眺めている。すると、薩摩長州のもたらした「気質」が大東亜戦争の顛末を左右し、日本国家の権力機構の中枢を覆っていたと、「人脈」の次元を超えて中枢を毒していたとみている。つまり、戦前の日本政府の「気風」を長州人閥の気質が席巻していたがゆえに、「本土決戦」というべらぼうな戦略に突っ走ってしまったというのである。一つひとつの(薩長人脈が席巻したという)スキャンダラスな事実を検証することは(私には)できないが、ひとつ「確か」だと思ったことがある。それは、半藤一利の(賊軍側からものごとを観るという)「偏見」があったがゆえに、昭和の大戦争の失敗の根源が浮かび上がってきたように思う。
しばしば「偏見」を退けたところに客観的な真実が見えると、私たちは口にするけれども、そうではないのではないか。私などは半藤のいう「官軍史観」にどっぷりとつかって「日本近現代史」を学んできた。だから、半藤の指摘を耳にしても、まず眉に唾つけてみようとする。ところが、なぜあのような「無謀な(兵站を確保せず現地で食料などを確保するとか、撃ちてし止まんという戦陣訓とか、戦闘に巻き込まれる人々のことを一顧だにしない)」戦争継続をしたわけが、半藤の「偏見」を通すと、それなりに氷解する。つまり私の受けてきた「官軍史観による洗脳」から解き放つ、最初の一歩をかたちづくるのに、有効である。これは、方法としての「偏見」として、大いに意味あるのではないか。そう思った。保坂正康という、昭和の戦争論についてはそれなりに信頼できる対談相手がいたことも作用しているのであろうが、面白い本であった。
でも半藤が指摘した「官軍史観」による操作を、日本会議の方々は、どのように弁明正当化するのであろうか。彼らの考えている「日本文化の正統性」をもう一つ次元の高いところで組み立て直さねばならないのではないかと思うのだが、ま、あまり聞いてみたいとも思わないか。
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