2018年3月13日火曜日
落差を感じないフレンドリーな香港
香港から帰ってきました。一週間の滞在。中心街に宿を決めて、そこから探鳥地に出撃する。使うのは公共交通機関とごく一部タクシー。街を歩いていても、ヨーロッパやアメリカの町に感じる緊張感を覚えない。もちろん顔つきが似ているということもあるが、掏摸やかっぱらいに「狙われている」という雰囲気がない。電車に乗っても(こちらが年寄りばかりということもあるが)、若い人たちがパッと座席を譲る。混雑するときには、場を空ける。大声で話をしていない。おおむね皆さんそこそこ豊かというばかりでなく、満ち足りている。加えて知的な雰囲気を湛えている。同じ中国とは思えない落ち着いた暮らしを感じさせていた。
香港の面積は東京都の半分ほど、埼玉県の三分の一以下。全土が平地で超高層住宅が立ち並んでいると私は思っていたが、まったく違った。大陸の深圳から海に突き出た島が半島をかたちづくり、沖合へ並んで浮かんでいる。標高300~900メートルほどの山がいくつかに別れた島の中央部にでんと鎮座している。そこから流れ出る川の水量も結構ある。平地は山々の間や海に接した三角州。さほど多くない。統計をみると農地は5%、あとは湿地と山林、古い香港を知る人に言わせると、埋め立てられたところが結構多いようだ。人口は埼玉県と同じくらいの、700万人を少し超える。そして100%都市住民であるから、40階建て以上の超高層住宅が林立するのは、理の当然。
古い道路は山を越え、新しい道路はトンネルを抜いて全土に通じて縦横に張り巡らされ、何十系統もあるバスが街を結ぶ。背骨の交通機関である地下鉄も四方八方へと九系統もあり、要所で乗り換えができるようになっている。しかも電車は、5分も待つことなくひっきりなしにやってくる。最初に「八達通OCTOPUS」と呼ばれるプリペイドカードを購入する。150香港ドル(日本円にすると約2100円)。7日間、電車に乗りバスを乗り継ぎ、東奔西走、香港の隅から隅まで歩き回った。そうして帰国直前に余った金額が返還されて驚いた。なんと7日間の交通関係使用額が50香港ドル(日本円で約700円)に満たなかった。カードの表面に「長者」とあった。65歳以上の高齢者を指す言葉らしく、交通費が半額になっているという。それにしても、毎日の交通経費が100円未満という。はたしてこれで交通機関や補助しているであろう市の財政は大丈夫なのだろうかと思ったほどだ。
物価は日本とそれほど変わらない。コンビニのセブンイレブンがあったので昼食用におにぎりを買った。10HK$、約140円。朝食をとった食堂のホットミルクが一杯21HK$、バタートーストが二切れ27HK$だったから、まあ日本の喫茶店と変わりはない。夕食では、大きなテーブルを囲み何人分もの大皿に盛りあげた品が何品も来るから、一人当たりいくらかかったかわからない。だが、香港の人たちは広いレストランで所狭しと並んだ丸い大テーブルを囲んで、にぎやかに食事をするのが大好きなようだ。ことに土曜日日曜日ともなると、びっしりと人が入っている。結婚式が行われていたためか、私たちが土曜日に入ったレストランの座席はエスカレータを上がった踊り場にテーブルが置かれていました。どこもかしこもがお祭りみたいな感じは、日本と同じですね。
こうして街のなかに溶け込んで過ごした一週間でしたが、バードウォッチングのほうも、なかなかの手ごたえを覚えるものでした。何しろこれまであちらこちらに、鳥の専門家たちに連れて行ってもらいましたが、これほど自分の脚で歩いたことはありませんでした。東京都の半分の面積と、先ほど記しました。ここに、一週間毎日、朝5時半ころに起きて、6時半前に出発、途中で朝食をとり、コンビニで昼食を買って、電車とバスやタクシーで「現地」に入り、夕方まで歩き回る。こんなところが、埼玉や東京にあるかというと、そんなにはあるように思えません。そういう意味では、香港は、自然保護のセンスが行き渡り、それのために鉄道が地上を走るのを「環境省」が先導して抑え、地下鉄網を張り巡らさせているということでした。バードソンという探鳥のマラソンのような競技があるそうですが、それがはじまったのも香港では前世紀の前半、世界各地から腕に自慢の人たちが集まり、一日の規定時間内に何種「現認」するか競っているそうです。日本からの参加はないということですから、バードウォッチング自体が先進的であったと言えそうです。ともあれ、陽が上り日が暮れるまで鳥を観続け、引き返して宿に荷物を置いて夕方7時ころから夕食、床に就くのは11時という、まさに鳥を観るために朝から晩までびっしりのスケジュールで、すごしました。
第一日目は宿に入るまでの旅でしたが、二日目は、マイポという海辺の広大な自然保護区。海と川と上流のつながっている土地で、深圳と向かい合っている中国国境のところです。海の向こうには、超高層ビルが文字通り林立して、1980年頃からの経済特区として繁栄を謳歌した街並みが背を高くして壁をつくっているようです。潮の引いた海の方へ大きく迫り出す木道を整備し、ガジュマルの林を縫って干潟に留まるたくさんの野鳥を見て回ります。宿から乗り継いで50分ほどの駅で電車を降り、タクシーで保護区の入口に乗りつけました。そこにはすでに、香港のバードウォッチャーがより集っていてくれました。今回の旅をコーディネートしてくれたYさんが長く香港に駐在して仕事をしていたこともあって、その人脈で旅のセッティングが行われ、彼の知り合いの、香港のウォッチャーが会いに来たという風情。聞くと、彼らが日本に来たときには、Yさんたちが接待し、埼玉はもちろん、伊豆や千葉県、北海道へ一緒にバードウォッチングの旅をしたりしたことがあるようでした。なによりも若い人たちが多い。
といって、大勢が全行程を一緒にウォッチングして歩くのは鳥観にいいとは言えません。彼らもそれを心得ていて、それぞれに流儀で観て歩く。ただ、香港の達者が一人か二人、ルートを案内してくれるという格好です。こちらの参加者は8人。皆古稀以上世代。最高齢者は今月末に傘寿を迎える方もいて、果たして体がもつかと心配されましたが、なんのなんの、さすが敗戦後間もない時代を過ごした人たちだけあって、頑張りぬいていました。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿