2018年3月20日火曜日
身の裡を照らしているかどうか
昨日新橋まで足を延ばし、古くからの友人Hに会ってきた。二月に一度は会っているのだが、今月末のSeminarのレポーター役をお願いしている。昔なら、と言ってもほんの3年前少しまではメールでやりとりもしていたし、私のブログに書き込みもしてくれた。ところが、目が悪くなり、パソコンのデスクトップを見ていられなくなった。電子ブックは、バックライトというらしいが、パソコン画面と違った画面表示をするらしく、そちらの方はまだ読むのに差し支えない。そういうことがつづいて、いまはメールを送ってもパソコンを見ていないから、「メールを送ったよ」と電話しなければならなくなった。面倒と言えば面倒だが、でもそのおかげで、やっている店番を奥さんに任せて少しばかりおしゃべりをすることもできた。
Hは背の高さは私と同じくらいだのに体重は45キロ前後。健康的には低空飛行をしている。だが、なかなかしぶとく頑張っている。なにより、私と同じ年なのに現役の仕事人である。これはすごい。毎日朝10時ころから夕方の7時まで店を開いている。お休みの土日にはなにもする気がなくなり、横になって本を読む程度。たいていは電子ブックで古典を読んでいるという。そして言う、「もう一度生まれ変わったら、もう少し腰を入れて勉強するよ」と。本を読んでいると、わからないことや知らなかったことがいっぱいあると気づく。若いころあまり勉強しなかったことを、今になって悔やんでいるのだ。そりゃあ結構だけど、生まれ変わってもう一度年をとったときにもまた、同じことを言うに違いないよと私は茶化した。つまり彼の「知らないことに気づいた」ことが、謂うならば最良の知的ありようなのだと思ったからだ。そういう意味では、永遠の知の探究がもたらす結論は「無知の知」しかないのだ。
今朝の朝日新聞を読んでいて、二つの掲載に目がとまった。
(1)本の広告。『キクコさんのつぶやき』、ユサブルという聞いたことのない出版社。「83歳の私がツイッターで伝えたいこと」と吹き出しを使い、「私は時代の変化について行こうとしない年寄りたちに怒っているのです――」と大きな顔写真の横に添えている。
なんだこれは。キクコさんが「時代について行こうとしない年寄り」に怒っても私は別に構わないが、でもなんでキクコさんは、他の年寄りたちのありように怒る「正義」を背負っているんだと思わないではいられない。要は自分がツイッターをやっていることを「時代について行っている正義」だと思っている自慢話ではないか。私も年寄りだし、昨日のHとの話でも「時代に置いてきぼりを食らってるね」と自嘲していた。ツイッターのことではないが、AIに負けそうなんて話に食いついていけないのはバカの壁だが、ここまで時代が急進展しているのをみると、もう「埒外の人」になっても仕方がないよと、言いあっていたのだ。
でもツイッターにそれほどの「正義」を感じている根拠って何だろう。私も一度ツイッターに入り込もうとしたことがあった。だが、喧しい世間の声に耳を傾けているよりは、図書館で借りた本を静かに読んで、著者の想いと言葉を交わしたほうが良いと考えて、アクセス途中で取りやめたことがある。その後しばらくは(ツイッターの提供元からであろう)「アクセスが完了していません」というお誘いが何度もあったが、放っておいた。ツイッターで見知らぬ人とおしゃべりするのも、それなりに面白いと感じる人はいよう。あるいはこの掲載広告が書くように「何とフォロワー数9万人超」というのに、有頂天になるのも、書き込みのインセンティヴになって年寄りには刺激的かもしれない。だがそれは、おしゃべりを推奨するのと変わらないではないか。怒ることではないよ。
(2)やはり今日(3/20)の朝日新聞の投書欄に「主夫楽しみ認知症の妻へ恩返し」というのがあって目を止めた。妻が認知症になり、家事の全てをやることになったが、手を付けてみればなかなか奥行きが深い。70年間妻が世話をしてくれたからこそ今日があると思い、頑張っているという。投書の主は、なんと96歳。私より20歳も年上だ。
この投書を好ましく思うのは、この方の輪郭が浮き彫りになっているからだ。それはこの方が、わが身を描き出すようにものごとをとらえ、丁寧に世界の絵柄を掬い取っているからだ。
「食文化の奥深さに驚く。最近はデザートにも挑戦。「お上手」と謂われると意欲が湧く。妻にはリハビリのつもりで、みそ汁やジュースの具材を刻ませる」
と微笑ましい様子が浮かび上がる。それは、読む私にもまた、自らの輪郭を描き出すように作用している。お前さんは食文化の奥行きを深いと思ったことはあるかい? デザートに挑戦しているかい? と。
(1)の広告を作成したのは(たぶん)若い人であろう。ツイッターのフォロワー数に意味を見出したり、時代について行けない年寄りに年寄りが怒っているというのを、面白いと感じるのは、まるごと今の時代に絡めとられている感性にみえる。だから一概にキクコさんのせいだとは思わないが、そのような読み取り方をしていくら宣伝しても、キクコさんの自慢話に付き合うほど、私たち年寄りは耄碌していない。まあキクコさんから学ぶことも多かろうという若い人たち向けの広告なのだろうと思っているばかりなのだ。
だが、(2)の投書者のような身の裡に向かう視線を湛えて人が己をみるようになるのは、いかにも年を経た功績が浮かび上がるように思えて、うれしい。友人のHくんも、その一人に加わっているようだ。さて私も、遅ればせながら「埒外の人」への歩みをすすめるとしようか。
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