芦屋から娘がやってきたのは、いとこ会が新宿で開かれたからであった。いとこ7人のうち5人が集まった。出席しなかった二人のうち一人は北海道に出張仕事があったためだが、もう一人は仕事の都合であったのか。一番遠くからの参加は仕事で南米に在住している。年に一度の帰国を機に、もっとも集まりやすい東京で行われた。いとこのネットワークがこのように機能していたことに親世代の私は驚いているが、最初にこの話を聞かせてくれた息子は、えっ、結構連絡は取り合ってるよという。
うち二人はそれぞれ一人ずつ子どもを帯同していたという。中学生と5歳児。写真を見せて貰った。いや、親子だねえと感嘆の声が出るほど、父娘が似ている。5歳女児は3年前に会ったときの無邪気なまんまという風情に、うれしくなった。
いろいろな近況を交わしあったようだが、間もなく40代を終えるわが娘が驚いたというのを聞いてう~んと呻った。いとこ5人のうち二人が,すでに転職4回だと話していたそうだ。最近の東京では、そういうことがごく普通になっているのかと問われて、応えることができなくなった。むろん仕事にもよるのであろう。IT関係の仕事やITを用いたイベントの開催や広報活動の領域では,ひょっとするとそういう傾向になっているのかもしれない。何しろ第三次産業とか第四次産業と呼ばれるのが産業の主流になっているのだろう。もう昔の産業社会感覚では、見えなくなっているのかもしれない。漢語という専門職の仕事なら、もっとそういう転職ってあってもいいんじゃないと言われて、娘は言葉を失ったそうだ。一つことを長くコツコツと務めるってコトを美徳のように思っていたと笑う。ははは、笑われるのは、私の世代も同じだね。
中学生は,大学まで続く所謂エスカレータ式の学校のはずなのに、塾に通って勉強しているという。どうして? と目下高校受験生をもつ親いとこは聞いたらしい。勉強が好きなんだそうだ。そう言えば、と私は思い出した。近頃、小学生や中学生で、ほとんど専門職の大人と同じような「研究」に勤しむ子どもがいる。よくTVで紹介されて驚かされる。そうだねえ、親がそういうセンスを持っていると、子どもの育ち方にも影響するだろうね。学校だけじゃ何だよって時代になってきたとも言える。
南米に暮らす子どもの方は、日英のバイリンガルだったり、日英西のトリリンガルだったりして、すっかり国際派になっていたという。5歳児は、安易かを強く訴えるときとか怒るときには英語が口をついて出てくるそうだ。そだねえ、もう日本では暮らせないかもしれないねと、他人事ながら(その子が高校生年齢になる頃のことを思って)私は心配になる。ま、いいか。日本で暮らさなくても、世界は広い。
夜遅く帰ってきた娘とそんな話しをしたが、翌朝娘から、「動けなくなってからじゃ遅いから、動けるうちに芦屋でも名古屋でも、子どもの近くに越してきなさいよ。結構今なら、サ高住など、賃貸の高齢者用住宅があるから」と、最終段階の警告のような言葉が出てきた。いや、我が家も、二人のうちどちらかが身罷ったら,そういうことを考えましょうと考えてはきた。だが娘の話では、二人が動けるうちにそういうことを考えて、手を打った方がいい。もっと歳をとると、引っ越すのもメンドクサクなってできなくなるからと心配している。
元気なうちは世話にはならないよと言ってきた私も、メンドクサクなる、には肚の底を覗かれたような心持ちになった。そうか、80歳というのは、そういうことを具体的に算段しなくちゃならない歳なのだと思い知られた気持ちがする。足腰が元気なうちは,まだいいかと思っていた。だが子どもにそう言われると、ついつい子どもを頼りにしたくなってしまいそうで、(そういう自分が)怖いなあ。そんなことを思った。
0 件のコメント:
コメントを投稿