風呂のスウィッチを入れてテレビを観ていた。おや(もう30分以上経ってるなあ)、沸いたかな? 先へ入ってとかみさんが言う。そうか、沸いたか。準備をし、風呂場に入って湯船の水を汲み出して身体を洗おうと湯を掛ける。おっおっ、なんだこれは,まだ沸いてないじゃないか。慌ててタオルで拭き取って,服を着る。風呂のスウィッチをもう一度押す。「お風呂を沸かします」とカワイイ音声が出る。「なにやってんだ、沸いてないよ」と声を上げてリビングへ戻る。カミサンが、えっ? といって風呂場へ立つ。また、カワイイ声が聞こえてくる。「壊れちゃいましたね」とカミサンが言いながら戻ってくる。
機器類の「取説」をひとまとめにしているファイルから給湯器のそれを探す。あった。ファイルに挟んだ修理記録の領収証がポロリと落ちる。拾ってみると、2015年12月の日付。「湯が沸かない」と症状も書き、「出張費」「技術料」「部品代」と修理細目も記している。そうか、約7年前か。カミサンが東京ガスのカスタマーセンターの電話番号を記した小さなカードと社員の名刺を持ってくる。そうだ、先々月だったか、突然ガス警報器が鳴り出して点検修理に来て貰ったことがあった。そのときに置いていったものだった。みると、7年前の領収書の電話と同じだ。
翌日カミサンは、植物観察で出かける予定があった。行け行け、私は何もないから修理をして貰うよと送り出す。大丈夫? とカミサンは言う。バカ言ってんじゃないよ、これしきのこと、と引き受ける。そう言って、いま読んでいる吉田修一の短編「口癖」を思い出す。「なんのそれしきで」という姑の口癖がこの短編の謎解きになるというミステリーだ。
9時過ぎて,カスタマーセンターへ電話を入れる。すぐにつながり、こちらの訴えを聞いて、「午後1時から3時の間に伺う、行く前に電話する」と即答。やれやれ、一安心だ。JCOMとかNTTとかは、カスタマーセンターにつながるまでに10分も15分もかかる。苛立っても機械相手では仕方がないが、アナログ育ちからすると、なんと不便な時代になったんだろうと愚痴も出る。それと比べているワタシを一寸意識する。
午前中に「一時から2時の間に伺うが」と問い合わせ電話が来た。「はいはい、ありがとう、よろしく」とお願いして散歩にでも出ようかと思っていたが、立ち歩くと腰の具合が不安定だ。このところ「ささらほうさら・無冠」の今月号の編集でパソコンの前に座りっぱなし。ただ歩くだけという運動もしていない。加えてこのところの冷え込みで、体は縮こまりたがっている。腰も伸びないわな。横浜に住む同期の友人も、腰を痛めて今月のseminarに参加できないと返事してきた。そういう季節のそういう年齢になった。
1時に東京ガスからやってきた。一人、60年配。スリッパなども用意している。ベランダへ出て、給湯器の蓋を開け、中をチェックする。覗き込む私に、「ああ、これが壊れてますね。これが回らないと点火しないんです」と、ネジ回しでコツコツと部品の一部を叩く。ファンらしい。部品を止めた車に取りに行き、戻ってくる。そして「この部品修理は代金は要りません」という。えっ、どうして? と思うが、文句を言うわけじゃないから口にはしない。彼は坦々と取替作業を済ませ、一寸風呂場のスウィッチを入れて直ったことを確認し,修理は終わった。出張料も技術料も不要であった。どうしてだ?
この団地に住み始めたのは1990年の3月。それ以降一度,給湯器は取り替えている。十年目ほどであったと思う。7年前の領収書を見ると「機器ナンバー」を記してある。××03-07.××とあるのをみると、2003年だったろうか。取り替えてからそろそろ20年になる。いや2台目が良く持ったものだ。そしてファンの故障。修理者がみせてくれたのは羽がボロボロに壊れているファン。「樹脂製だったんですが、今度は金属製に変えましたから大丈夫です」と言葉を足した。とすると、こうか。樹脂製のファンは欠陥品として全製品取り替えねばならないことに(いつやらから)なったが、故障してから(東京ガスが)無料で取り替え、その修理に要した費用は製品の製造会社(うちの場合はナショナル=現パナソニック)が負担するってことになっていたのかもしれない。そう考えると、グラックボックスもそれなりの合理性を持って設えられ、それなりに運用されている。それにしても20年も、よく部品がとってあったなあと感心した。こうしたことひとつが、産業製品に関する社会的信頼につながっていると、わが身の裡に去来するコトゴトを思い浮かべて思ったのでした。
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