半世紀来の友人・Nさんの家へ弔問に行った。家族葬という葬儀のやり方や香典をお断りすることまで、Nさんは事前に言い置いていたから、通夜前のご自宅へ訪問することとなった。グルーピング「ささらほうさら」のKさんの手配で,まだ現役仕事中の人以外全員が2年7ヶ月ぶりに顔を合わせた。Nさんの奥さんと、Nさんそっくりの風貌の長男さんがいて、もてなしてくれた。Nさんはすっかり痩せこけて、闘病の厳しさをくぐり抜けて安堵したような面持ちをしていた。
Nさんの闘病経過に関する奥様の話を聞くと、病院とか担当医師が異なればもう少し楽に長生きする道筋があったのではないかと思われるが、Nさん自身は、そうした自分の置かれた立場を蕭蕭と受け容れ、死期を悟ったように自分の死後の準備を整えていったようであった。その話を聞くだけで、モノゴトにきっちりとメリハリをつけ、始末をつけ、後顧の憂いを取り除いて迷惑を掛けないようにするという彼の人柄が浮かび上がってくる。
彼に教わったことで今でもわが身に刻まれた身の習慣がある。
A3の紙の長辺を左右長く机に置き、右下の端を親指と人指し指で摘まみ左下端にきちんと重ねる。そうして半分の長さになった下側を右親指で押さえ、左端からまだ折りたたまれる前の膨らみをもった中央部へゆっくりと滑らせていく。中央部に達したら、今度は上へ同じ指でそのまま滑らせて膨らみを押さえていくと、A3の紙がきっちりA4サイズに折り畳める。この折り方を教わったのは、52年ほど前。
それ間で私は、A3の短辺の左端と右端の辺を重ねて合わせ、折りたたむようにしていた。だがNさんのやり方は、モノゴトの始末の要所をきっちりと押さえれば、他の部分は成り行きで運んでいっても、全体がきちんと折り畳める。以来そうして紙を折ることをしている。この折り方が気に入ったのは、モノゴトの要点をひとつきっちりと押さえる始末の仕方。それと同時に、膨らむ中央部や上への折り線は、成り行きでついてくるという発見であった。その成り行きは、作業手順からみると自在にしているというか、放っておいてもついてくるように,見事に始末の筋道をたどるという自在さの感覚が伴い、身のこなしがスッキリする。傍目には端正な所作にみえる。そう思ってみていると、Nさんの所作には無駄がない。寡黙であると、先日訃報を耳にしたときに振り返ってNさんを評したが、余計なことを口にしないと言い換えた方が、より的確だと思った。
訪問した場で暫く奥様のお話を伺いつつ、来ている面々が一人ずつNさんをどう見ていたかを振り返って口にした。そのとき、リョウイチさんが、Nさんの食器を洗う手際を見て感嘆し、以後見習おうとしてきた話した。まるで本職の料理人が夾雑物を削ぎ落としてピシッと決めるように所作に余計なものが混ざっていない。洗練された立ち居振る舞いであった。その話を聞きながら、そうだ、その佇まいがNさんだったと、私の胸中にイメージを結ぶ。半世紀も前の話であるが、当時口舌の輩であった私は、以後、深い尊敬の念を込めてNさんと接してきた。彼は彼で、私に対する敬意を欠かない振る舞いをみせ、思えば,このグルーピングを含めて57年の長きにわたって、行動を共にしてきたのであった。
そういう意味では、通常の社会的仕事とは別にもう一つの人生を歩んできたのが、Nさんにとっても私にとっても、「ささらほうさら」のグルーピングではなかったか。後で記すが、たぶん彼は彼で、私のような口舌の輩から刺激を受け、それなりの敬意をもってみてきたのであろうが、こうした視線が半世紀にわたって身の回りを取り囲むオーラとしてあったことが、私たちの人生に言葉にならぬ余剰をもたらしたのであろうと感じたのであった。
こうしたNさんのわが身に残したものをとらえ返すことが、悼むということである。そうすることによってNさんの存在をわが身に刻みとどめていく。それをいく人ものかかわった人たちが、それぞれの関わり具合から浮かび上がらせることによって、悼みは弔いに転化していくような気がした。
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