2023年5月15日月曜日

選択的耳働き

 四国のお遍路をしていて国道や県道を歩くことが9割ほどだった。後の1割が遍路古道といわれる昔ながらの遍路道。大雨などで道が崩れて「通行禁止」になった古道もあった。あるいはトンネルが抜けるようになって古道はすっかり遠回りとなった所もある。標高差をクネクネと曲がって上り下りする車道をショートカットする古道もあった。それもしかし寂れ、うっかり入口の案内標識を見落とすと車の通る脇を歩かなければならなかった。案内標識があったからといって、そちらに入るとトンネルではなくその上の山を超える古道に入ってうんと遠回りになることもある。かと思うと、古道は尾根の向こう側にある次の札所に着くのに、車道を行くと山裾をぐるりと回り込んで3倍も遠回りになる。この見極めはネットで取得した地図では分からない。地理院地図をスマホに取得してルートをチェックしながら歩いているお遍路さんもいた。なるほどこうすると、「遍路道保存協会」の設置している標識が距離と静けさを示すガイドになる。

 できるだけ静かな道を歩こうとは思う。だが、毎日平均30kmで遍路プランを立ててあると、山道の古道に踏み込むには、それがどれくらい遠回りになるか摑んでおかないと、予約した宿に辿り着かない憂き目に遭う。中には徹頭徹尾遍路古道を歩く人もいる。こういう人は野宿をしている。古道には「遍路休憩所」と名付けた東屋が設けられていたりする。トイレもあり水も確保できる。風は吹き抜けるから、東屋の中でツエルトを被ったりテントを張ったりする。安上がりに遍路する若い人には有難い施設である。

 傘寿の私には、もうとてもそのような歩き方はできない。車道を歩く。それでもできるだけ静かな方がいいから、少々遠回りでも新しい道路よりは旧道を選ぶようにした。当てにしていないが、お遍路カフェもそんな道沿いにあったりして、面白い話が聞けたりする。とは言え、国道や県道の主要道を歩くことが多く、狭くとも歩道があれば有難く、ない所は道路脇に必ずつくられている排水路の蓋の上を歩く。時々感じる身の危険には、すでに触れた。でもそれ以上に「音がうるさくなかったのか」と聞かれた。

 それを振り返ってみると面白いことに、騒音にはすぐに馴れて、気にならなくなった。車の走り寄り走り去る騒音を、耳が危険を含めて取捨選択しているかと思うほど、気持ちにとどまらない。車自体もトンネル内のトラックとすれ違う危険を感じるような場合を別とすると、ほぼ意識に上げることなく、身の判断に任せてやり過ごしていたと思う。これは、耳の働きではないか。環境のすべてに意識を向けることなく、重要度というか必要度に応じて意識外へ追いやって、肝腎なことに気持ちを集中できるように働いている。有難い耳働きである。

 これが、家へ帰ってきてからの日常に生きていると思うことがある。私はいつごろからか、もうずいぶんになるから忘れてしまったが、リビングの広い食卓の半分くらいを占めて毎日パソコンに向かっている。十年以上にはなる。それ以前は私の部屋に籠もっていた。そうだ、2011年の3・11のときはその小部屋でPCに向かっていや。ぐらぐらっときて、本棚が倒れたらこれは大変だと部屋の入口に立って様子を窺ったことを覚えている。

 以来リビングで過ごしている。週に2日くらいは向こう側でカミサンがTVを観ている。ときどき「うるさくない?」と聞く。五月蠅くない。ボーッとドラマの筋を追いながらPCを打っていることもある。でもPCで書く中身に気が向かうとほとんどTVの音は消える。もちろん遍路の騒音よりこちらが先だった。こうした日常が十年ほど続いていたから車道歩きの音も気にならなかったのかもしれない。耳働きを鍛えていたってわけか。

 あるいはこうも言える。山歩きを瞑想と同じだといつか言ったことがある。意識は鮮明。足元の凸凹や岩場の足の置き場、手指の摑む所などは一つひとつ、本当に一挙手一投足の動きに気持ちが集中している。だがそこに、外のことは入り込めない。雑念を抱きながらそういう所を歩くと、ホントに思わず知らず転落することになる。そうして歩いていると、あっという間に時間が経ってしまう。2時間も3時間も歩いて、えっ、もうそんなに時間が過ぎているのかと気づいたことは何度もある。これは俗にクライミング・ハイとかウォーキング・ハイと謂われる状態ではないかと思うが、私はそれを瞑想だと思ってきた。

 集中していると、時間はすっかり空間に吸収されてしまう。もちろん躰のつかれも、その間は感じていない。それがあるから、すぐまた山へ行きたくなるのかもしれないと思ってさえいる。

 こうしたウォーキング・ハイの身の習いが、若い頃から積み重ねられ、仕事を辞めてからことに、時間の制約抜きに放浪するような山歩きをしてきたことで、耳働きまで鍛えていたってことじゃなかろうか。いや、うれしい発見であった。危険の感知さえも身の習いにできれば、もっと過酷な環境に身を置いても、生きては行ける。いまさらそんな必要も覚悟も要らないけれども。野宿のお遍路も、あと十日ほどのフィナーレを飾るには面白いかもしれないと思ったりしている。

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