2023年5月19日金曜日

専門家ってなあに?

 昨日の本欄、「専門学者たちは人の言説を一つひとつ住所登録しながら、歩一歩とコトを進めるから、つねに根拠に遡ることができる」と勢いに任せて書いた。だが、専門学者というのも、もっと子細に分けることができるし、誰が誰に「専門家」というのかと口にするのかも、組み込まなければならないと、友人の指摘で考えた。

 友人は「あなたは生徒の前で専門家でないと言えたのか?」と私に問うた。「もちろんそう問われれば、私も門前の小僧だと応えたであろうけど・・・」と応じて、そう言えば教室の生徒は私を知的権威とみていたなと振り返った。

 現役教師であったときの私は、「教師-生徒」関係が「指導-被指導」として成り立つためには「教壇の高さがなくてはならない」と象徴的に口にしていた。生徒が教師の権威を認めていなくては、生徒は授業の間机に付いていることができないからだ。でも子細に考えてみると、生徒が教師の何に「権威」を感じるかは、小中高という学齢によっても違うし、子ども関心の置き方によっててんでんばらばらである。

 だが概ね高校生ともなると、知的権威に関心を傾けてくる。教師が身に堆積してきた「知識」がそれ相応の言葉に乗せて繰り出される。日々積み重ねられ繰り返される知的資質を受けとりながら、生徒は教師のそれに権威を認めたり、逆らったりする。高校生と言っても、学校毎に通う生徒の知的関心の層は異なるから一概には言えないが、概ね私が身を置いた高校では私の「知性」に敬意を表してくれたから、先に述べたように「門前の小僧」であることを公言することはなかった。

 だがもし生徒が「先生は今教えている歴史の専門家ですか」と問えば、「いい質問だ」と応じて、門前の小僧だと思うに至ったワケを話したであろう。そう振り返ってみると、「専門家」というのも誰が誰にそう問うのかによって応え方は違ってくる。高校の生徒が問うのは「教科の専門家」であろうか。世界の歴史の専門家はすっかり地域毎、時代毎、あるいは政治や経済、文化などの主題に分節化されている。高校の教師は「世界史」という教科にするとジェネラリストである。世界の通史を総覧して紹介する。謂わば各地域の関係の変遷を大雑把に摑み、そこで展開された事実の由来と根拠を加味しながら観てきたように話す講釈師である。その段階では「知ること」、すなわち「知識」の多さが「知性」と受け止めている。

 だがそうした関連本を読んでいると、事実に関するデータの多さよりもその由来や変遷の推移をとらえる「論脈」や「歴史哲学」が底流していることに気づく。統治権力争奪の正統性をもっぱら記すのが「正史」の伝統であったが、視点を庶民に置いて記すとか、統治と反統治の争いという次元ではなく、人の暮らしの中で紡いできた習俗や風説、民話ということに焦点をあててその推移を目に留めるというのは、専門家ならずとも関心を傾けることができる。そういう人生観というか世界観というか、物の見方にかかわる視線の鋭利さを「知性」というのではないかと、「知識」からの離陸のときに感じていた。つまりそういう関心を持って人の辿ってきた航跡を眺めると、判らないことを知ることより、ワカラナイことを判ること、般若心経に謂う「無無明亦無明尽」こそが、知性の神髄であり、にもかかわらず生きている限り、知り尽くそうと関心を傾けることが知性の動態的在り様の正しさだと考えるようになった。

 言うまでもないが私は歴史を専門にしてはいない。入口としては経済学であったが、やはりそれも門前の小僧。哲学や倫理学、心理学や精神分析学などのどれもこれも入口ばかりを覗いて、境内に入ることなく市井の老爺になってしまった。人間論だけは身を以て踏襲してきたが、「人間学」と言えるような、古今東西の関連する知的蓄積を住所登録して歩き、その先の一歩を刻むというレベルにまで高めてはいない。まあ言うなれば「実践人生批判」を終生行ってきたと「イワレタイ」と、雨ニモマケズを気取って思っている。

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