2023年5月8日月曜日

原風景と時代の変化と年を取ること

 世間話のグルーミングを「心地悪いと受けとっている私のワタシをいつも感じる」のは、なぜか。そこに気づいた「もう一つ次元の違うところの私固有のワケがある」とは、何を指しているのか。

 ヒトは、置かれた関係に於いて変わる。ワタシのメンタルな安定点も移ろって構わないと思うようになった。若い頃は、どうしてこうも定まらないのだろうと、モノゴトに向き合ったときのジブンの判断の揺れ動きに不甲斐なさを感じていた。雑誌を彩る評論家たちの言説がきっぱりとした決断に満ちあふれているのを読んでは、この人たちは知識を積んでこう言えるようになってるんだと羨望の目で見ていた。それはしかし、ヒトや世界を実体的にみていたんだといつしか考えるようになった。関係的に見ることによって、身も心も移ろうということを受け容れるようになったのは、20代の半ばだったろうか。

 その頃わが身に起こった衝撃的な心の震えを忘れることができない。結婚して近所の家具屋でいくつかのものを買った。ソファが運び込まれてきたとき、動悸がひどくなりなぜか心がざわついて落ち着かなくなり、梱包が解かれる前に返却を申し出てそのまま持ち帰って貰ったことがあった。どうしてあんなに動揺したのか、その後ずうっとワカラナイままに棚上げしてきた。

 そうして半世紀以上を経て今、それに一つの解をみている。ソファを買った私の意識が、子どもの頃の身に刻まれたワタシを裏切っている。その落差を埋め合わせる覚悟も観念も持ってないよという躰の反応が、心の震えになったと思う。結婚という新しい暮らしに、それまでの生活様式を変えるってことは、よくある話。だがそれには、ただ単に外見的な形が変わるってことだけではなくて、それまでの暮らしの中で躰に染みこんでいる身の習いが、その外見的な形の変化を「自然(じねん)」として受け容れる移行過程が欠かせないのだろう。それに気づかないまま、アタマが切り替わっててもカラダがついていかない。その落差が心の震えとなって現れたと思う。「自然(じねん)」として受け容れるというのはアタマの意識、即ち観念である。

 それに気づいたのは、四国のお遍路。昨年は15日間で「飽きて」しまった。御朱印を貰って次の札所へ歩くお遍路が、なんだか馬鹿馬鹿しくなってイヤになったのだ。後で気づいたが、ひどく疲れてもいた。毎日平均26kmを歩くことに身が耐えられなかった。ところが今年、「嗚呼ワタシは信仰心がないのだ」と二つ目の札所で気づき、(私にとっては)札所のスタンプラリーでいいのだとカンネンしたせいか、19日間のお遍路を毎日30km平均で歩くことができた。歩くという躰の無意識に依存する行為が、ワタシのカンネンに大きく連動している、心身一如だと感慨深く私は受けとっている。

 これを少しく一般化すると、こんなことが言える。身の外部である時代の様相の変化にどう適応してゆくかというとき、ワタシの無意識である躰が何を身の習いとしてきているのかを等閑視できない。ジブンが何に固執し何を安定点と感じているかを意識の表層に浮かび上がらせることなくしては、ワタシのこだわりや傾きに気づくことなくすっかり人柄になってしまう。加えて、年を取るほど身も心も意思も融通が利かなくなる。

 ヒトは安定感や安心感、心を落ち着かせる気配を包む目に見えない領界を持っている。心地よく感じる気配の端境は、若い頃には薄く弾力がある。それが新しい体験に適応し、身の裡から噴き出してくる好奇心に応じて動態的に広がり深まっていく。けれども年を取るにつれて端境の薄膜は身の習いが積み重なって定着し弾力を失ってしまう。頑固になり、交流範囲も狭まり動態的関係に身を置くことが少なくなる。居心地が悪く新奇なことに適応できなくなる。新しい事態に付き合うのがメンドクサクなる。私自身がそうなっていっていると感じるし、私のほぼ同年齢の友人たちを見ていると、本当に感覚が凝り固まって頑固になっている。ことに現役時代を社会的に高い地位で自信に満ちて過ごしたヒトは、外の言葉が耳に入らない。池袋で車の運転をして死亡事故を起こした「上級国民」のように。

 そんなことを言ったのにはワケがあります。それについては、また次回にしましょう。(つづく)

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