2023年5月18日木曜日

生成AIは庶民

 生成AIの「進化」が著しい。わずか半年で一挙に広がった。検索から文章作成、画像や音楽に至るまで、プロの仕事を取って代わるかもしれないと弁護士や新聞記者、大学の教師らも、本気で位置づけを考えはじめている。新聞もTVの番組も、この生成AIをどう使ったら、人間の下僕にしておけるかを検討しているように見える。

 レイ・カーツワイルが、AIが人間を超えると2045年のシンギュラリティを提起したのは(調べてみると)2005年、それを10年ほど遅れて私たち庶民が耳にし、コンピュータが人を越えると言ったって所詮人工物の範囲じゃないかと、人の知恵を最高位に置くことにためらいはなかった。ところが、2045年より20年以上も早く、生成AIが人並みの言葉で当意即妙に応答する。レスポンス(応答する)というのがレスポンサビリティ(責任)の語源と思っていたが、この生成AIはもちろん責任はとらない。今日(5/18)の新聞でもこう書いている。

《回答する過程がブラックボックスで、なぜ間違えたのかわからないという問題も残る》

 なんだ、これって、私たち庶民と同じじゃないか。私らも、なぜ自分がそう感じ、そう思い、そう考えるかを、いちいち根拠を明らかにしているわけじゃない。

 専門学者たちは人の言説を一つひとつ住所登録しながら、歩一歩とコトを進めるから、つねに根拠に遡ることができる。実際、引用の出典を明記して先へ進む。だが私たち庶民はことごとくについて門前の小僧。井戸端会議であり、世間話。耳学問、流言蜚語の吹き溜まり。何時、誰が記した何からの引用なんぞはどうでもいいじゃないのと、気に入ったことを身の裡で繋いで、自分の思いや考えを繰り出している。

 言葉で言えば、ワタシはブラックボックス。生まれおちて後の人類史的に遭遇する環境のことごとくを身の裡に堆積させ、その感性や感覚、好みや危険察知感覚をベースに、世界を感知する「こころ」に集約し、言葉にして日々おしゃべりに興じている。大宇宙の向こうの方と同じように、身の裡のブラックボックスは、ワカラナイ不思議世界だ。

 とすると、生成AIがブラックボックスだと誹ることはない。ふつうの庶民と同じ、ただ、当意即妙であることが、いかにも「物知り顔」をしているから、ついつい騙されてしまう。これも、TVに登場するコメンテータと同じようにみていれば、いいじゃないのと思う。たしかに入力されたことは忘れないという才能は、動物的である。それらを総合して繰り出してくるというのは、いかにも優秀な人間のようである。だが、全くの刷り込みによると考えると、情報統制された北朝鮮の人たちとか、厳しく制約されたロシアの人たちと同じ「可能性」もありうる。オレオレ詐欺の番頭が仕込んだ生成AIだと、案外上手く行くとほくそ笑んでいるかもしれない。驚くことじゃないよね。

 ヨーロッパ各国が生成AIを禁じたり、制約を国際的に取り決めようというのも、大雑把にみていると随分せこいことを考えてるんじゃないかと思えてくる。そもそも知的所有権というのを勝手に決めて、おカネがなければ使えなくなったというのも、可笑しい話だ。別に中国の肩を持つわけじゃないが、もし知的所有権というのなら、先ずヨーロッパは、羅針盤や印刷術や火薬の使用権をきっちり払ってから、云々しなさいよと思う。

 日本だってそうだ、って話をどこかで聞いたことがある。日本が中国に知的所有権の話を持ち出したら中国側から、漢字の使用権はどうするの? と問われて、沈黙したって、落語のような遣り取りだった。

 ヨーロッパが知識人を上位においている。これも権威主義じゃないか。中国の権威主義的資本主義をリベラル資本主義が批判しても、私たち庶民からすると目くそ鼻くそを笑うような話だ。似たり寄ったり、科学技術という人類史的成果に特許権という制約を掛けて、カネを支払う特定人類しか使えないようにしてしまった。それでいて、環境破壊だ、気候変動だと、あたかも人類全体が罪深いことをしているように言うのは、ちょっと違うんじゃいかと、ワタシのヒト感覚は訴えている。

 そうやって考えてみると、生成AIは、やたら記憶力がよく、情報総合力のある庶民の一人ってことじゃないか。なんでそう考えるの? って重ねて根拠を問うと、どう応えるだろうか。ブラックボックスです、って言うのだろうか。

 マイクロソフトのAI、copilotに問いかけたことは先日記した。「あなたは経済の専門家です。失われた三十年を回避するために行うべきであった構造改革とは何でしたか」と問いを投げかけると、「私は専門家ではありませんが・・・」と始まる回答が打ち出されて感心した。謙虚だからというのではなく、いかにも耳学問で情報を収集総合した庶民ですって感触が、よく出ていると思ったわけ。それにこの生成AIには、読み込んでいる情報の出典(?)が、「日経デジタル、プレジデントonline、yahoo」などと表示されていた。たいしたものだ。

 面白いのは、問いかけるとすぐに応える。さらに問いを重ねると、それにも応じる。この遣り取りは、まるで人と言葉を交わしているように思える。ワタシの狭い世界にどんどん嵌まっていくような危うい感触と狭い世界を開いていくように見える生成AIの情報収集範囲が、アンビバレンツなワタシのセカイを表しているようで、面白いと感じているのかもしれない。まず自問自答する自己対象化の作業が唯一生成AIに勝るワタシの取り柄ってことかもしれない。

 生成AIと付き合うには、思考スタイルの違う市井の若い庶民と話しているという距離がいいのかもしれない。

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