さて、ここからが「顕現する世界」の本題。昨日の作家・鈴木正興の《『〈戯作〉郁之亮江戸遊学始末録』に添付した《自称「小説」謹呈の御挨拶》で本作品以上に興味深い台詞》の《……結局その抗弁の勢いに気圧された常識派の方の自分が寄り切られ、「勝手にさらせ」と匙を投げてくれた御蔭で内訌は収まり……》が示している「(1)この作家の全生涯」が、私のワタシに鋭く突き刺さってくるのです。
この小説の第一段で郁之亮が御江戸遊學に向かう出自と条件が描かれている。武家の「冷飯食いの三男坊」、「自らの性向自体も何ぞの組織や枠組みに組み入れられるのを良しとせぬ傾き……父や兄の如く藩の禄を食む処世の道は真平御免」、「この土地、この家系にあってが少しく破天荒」と勝手に生きよという条件を由来を含めて縷々述べる。そしてさらに自然環境に言い及ぶ。「空の紺(あお)、地の緑(あお)、そして地平の縁辺で両者を画する山々の青(あお)、まさにあおに彩られた広闊さ」を披瀝する。
この既述は、実は江戸時代の風景叙述というばかりでない。私たち世代、戦中生まれ戦後育ちの幼い頃に見て育った風景である。身に染みこんでいる。遠くに離れて「ふるさと」を感じる。言葉を換えれば「原風景」なのだ。しかもこれをこの作家は「あおによし」と総括表現し、おっ、と読者のするすると読み進めた歩調を立ち止まらせる。
そうか、そうだったのか。それでこの郁之亮の家名が「奈良」氏なのか。しかも棲まう所を「下奈良」と称する。何ともにくい仕掛けではないか。大和の文化的伝統を背負う血筋、それも遙かに遠く時代を経て「下」に位置していると設定する。もうこれだけで、この作家の全人生がすっかり身に染みこみ堆積する無意識と共に投げ出され、さらにそこから遙か遠くへ来たもんだという予感を組み込んでいる。
この予感を感知すると、この後の展開がことごとく現代批判と読み取れる。というか読むものの視線にいつもワタシを映す鏡が現れて自問自答を余儀なくさせる。むろんワタシがこの作家と原風景を共に見ているという感触がそうさせるのだが、それはなつかしさと共に、身を裏切って普遍世界へ離陸しようとしてきたわがタマシイの原点を身よと迫る厳しさをもっている。「戯作」と銘打つ。「面白ければ良い」と、中華文明の古典を繰り出しながら駄洒落にまじえ、西欧文化を引き合いに出して揶揄う。普遍に離陸なんて言ってないで身柄ともども列島を捨て去って放擲してしまいなと呼びかけているような物語りの先行き。これは手厳しく私の小市民性に突き刺さってくる。
郁之亮の遊學始末録は、この作家の原風景にはじまって妄想の世界に遊び、その行く末を仄めかして終わるのであるが、このユメのような話の行間にこそ、批判の神髄は籠められる。しかもそれを意図していないと強調するスタンス自体が、ストーリーに意味を認める近代思考の人性の貧しさを剔抉して、目に晒すのである。
いやこれでこそ「ささらほうさら」の源流空間文化の二重焦点の一つに慥かに位置すると確信させる深さを湛えているとあらためて思う。それは鏡となってわが人生をも照らし出し、小市民の日々の暮らしの拘りや傾きがひょっとすると身の裡に潜むわが原風景から遙かに離陸していることを衝いているのではないか。その時の感性や感覚、痛みや傷み、それによって培った世界をみる視点の基本、原点を裏切っているんじゃないか。
何を思うことがあろうか。何を考える必要があろうか。それらは、まさしく遊び、御江戸遊學が郁之亮なら、現代世界のコトゴトを遊びとして堪能する。それだけで十分生きてきたと振り返る。それが人生ってもんよ。あとはここまでの加護を天に感謝するってことだねと、この作家は提示してくれている。
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