2023年5月17日水曜日

日本の『失われた三十年』から何を学ぶか(2)日本経済の構造転換って、なあに?

 2023/05/11のブログ記事に続けます。バブル崩壊に際して行うべきであった日本経済の構造転換とはなんでしょうか。マイクロソフトの「AI を利用した Web向け copilot」に再度こう訊ねると、日経電子版やプレジデントonlineなどを参照して、こんな応えが返ってきました。


Q:あなたは経済学の専門家です。失われた三十年を回避するために1990年代以降に日本が行うべきであった構造改革とはなんですか。

A:経済学の専門家というわけではありませんが、失われた三十年を回避するために日本が行うべきであった構造改革について、私なりに説明してみます。

  失われた三十年とは、1990年代以降、日本経済が低成長に陥り、国際競争力や生活水準が低下した期間のことです。この原因は、バブル崩壊後の金融危機や不良債権問題、少子高齢化や人口減少、グローバル化やデジタル化に対応できなかったことなどが挙げられます。

  日本が行うべきであった構造改革とは、経済の活力を取り戻すために、市場の自由化や規制緩和、イノベーションや新産業の創出、社会保障や税制の改革、教育や人材育成の強化などを行うことです。これらの改革は、企業や個人の競争力を高めるとともに、経済成長を持続可能にすることを目指します。


 見事簡略にまとめています。これについては、4/11に私が皆さんに送った「2023年5月28日(日)第傘期 36会seminar のご案内」に対するオオガさんからの返信が、さらに広く現情勢を捉えて的確に検証するようです。まずそれをご紹介します。

***

 フジタさん/4月13日

 返事が大変遅くなって申し訳ありません。桜もすっかり萌葱色の葉桜となって、小庭の草木も冬を完全に征服したようです。夜は8時を目処に布団に入り、自然の夜明けに目を覚まされています。今朝5時の空は黄砂の影響が明らかでした。北京の空は日本の比でなく、孫の学校は昨日は休みだったそうです。

 フジタさんが出状したメールにトキさんやkeiさん等の返信が早速あったようで、当然、皆さんはフジタさんの至誠を判ってないはずはありません。トキさんの少しはにかんだ、申し訳なさそうな福顔が思い浮かびます。ミヤケさんから連絡がないのは気になりますが、暫くは、会合のあり方は変わろうともフジタさんに頑張ってもらわねば、会の品格?を損ないかねません。

 フジタさんから戴いたメールに対して、小生の異見はほぼありません。特にパンデミックは「天啓」と受け止めるべきとは全くその通りだと思います。このことを前提に、keiさんの素朴で至当なご下問のGDPについては、(たかがGDP、されどGDP)と考えることが大切だと思います。<うちらあの人生わいらあの時代>は戦争中の艱難辛苦を実感することもなく、戦後の高度成長期―バブル期とその崩壊に至るまで、分厚い中間層の真綿の中で、総じて心地の良い人生だったと言っていいのではないでしょうか。旧ソ連の脅威の無くなった世界に後進国であった中国をILOに引き入れ、正しくアメリカ一強の完成を図ったものの、裏目に出て鬼子を世に放ってしまうことになってしまいました。その中国が「中進国の罠」から抜け出ることができないままに、インドに人口で抜かれ、高齢化も進み、多分中国はアメリカをGDPで追い抜くことはなくなったでしょう。アメリカが世界の警察国家の旗を降ろし、中東を中心に世界が流動化して、いまや「サブサハラ」の国々も纏めて「グローバルサウス」なる是々非々の第三勢力の中心がインド。このインドはかっての宗主国である英国を22年にGDPで抜き去り、ドイツに次ぐ世界で五位となった。27年には日本、ドイツをも抜いて三位になることは確実。勿論人口が全てではないが、大きな要素であることには変わらない。くどくど記しましたが、GDPは日々の生活実感に直結はしないが、激動の時代にその中身を冷静に解剖しておくことは、次世代にバトンを渡す傘寿世代には欠かせないと思う。GDPは経済活動の結果の数値化であったとしても、弾け散るその中身は社会保障、安全保障、少子化対策、国土強靱化、エネルギー問題、文化、科学技術、等々日本人として生きてゆくあらゆるテーマに直結する。

 フジタさんの言われる資本家社会的市場経済は終焉しないでしょうが、特に日本においては経済社会構造のパラダイムシフトを指向する必要がある。サービス業も製造業も労働生産性を上げて、一定のインフレに耐えうる労働分配率を高めてゆくことは必要不可欠です。同時に今更ブータンではないが、日本の芳潤な伝統を活かし、日本に相応しいQOLを確立したいものです。

 フジタさんの言われるポストコロナ世界において、コロナを天啓として受け止め、この次世代に引き継ぐ<うちらあの人生、わいらあの時代>が今やるに相応しい36会を創り上げてください。名古屋の田舎から勝手放題を申しました。言い足らない点もありますが、関東の黄砂を気遣いながら、自愛されますように念じています。 オオガ記

***

 オオガさんが(たかがGDP、されどGDP)と記したGDP。その一角を占める規制緩和やイノベーションについて、PRESIDENT Online(2023/05/15)の記事が目に止まりました。湯之上隆《技術者が「日本の半導体の凋落原因」として国会で陳述したこと》。筆者は1980年代に日立製作所において半導体の微細加工技術開発に従事していたが、日本の半導体凋落に伴って退職し、同志社大学の専任フェローとして研究生活を送ったのち微細加工研究所の所長を務めていて、一昨年国会に呼ばれて意見を聞かれた専門家。半導体については、中国との取引に関わる半導体のサプライチェーンの再編が政府で取り沙汰され、台湾企業の鴻海が熊本に工場を設置し、政府が何千億円かの支援をするとなっている。その前段の国会の聴聞でした

 子細はこの人の著書を参照して貰いたいが、彼が退職することになった日立製作所時代の半導体製造にみる「ガラパゴス化」が表現されています。世界の半導体生産に於いて当時、日本企業は世界トップ10社の6社くらいを占めていた。今は1社だけ。日本企業の半導体は大型の汎用コンピュータ用の半導体で耐用年数が25年と際だっている。ところが世界の趨勢は80年代半ば頃からPCの大量生産時代。耐用年数が5年ほどの、安く手軽に製造できる半導体に席巻された。なにしろ年々加速度的に技術が更新される世界。耐用年数が長くても、それを搭載する機器本体の更新速度が速いから、25年もの長期物は無用の長物となります。にもかかわらず、「世界に誇る技術」を切り換えることができず、日本の半導体生産は凋落していったというのです。この辺りは、半導体生産にかかわっていたと思われる、ツナシマさんやマサヒロさんに伺ってみたいものです、

 先のブログで紹介した岩崎博充の記事「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない)」(2020/01/26東洋経済online)は、

《構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかった。/日本はある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう》

 と経営面の弱さ、新しい趨勢を読み取る戦略的視野に欠けると指摘する。

 加えてそうした企業経営に補助金を出して、当面している問題を先送りする政府の業界支援策。株式市場には「PKO(Price Keeping Oparation)相場」という言葉があるそうな。政府が補助金で株価を保持することを揶揄する響きを(私は)感じるが、相場師たちがそれを揶揄っていたのかどうかは分からない。政界・財界・官僚が現状保守のスクラムを組んで、新しい芽を摘むことさえやってきた。それをガラパゴス化と呼んでいる。私には「島国根性」の代名詞のように聞こえます。

「日本の科学技術力も1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位」と岩崎は指摘しています。別のonline記事では、「既得権益を守るために、IT乗り換えを潰した」とする事例が紹介されていました。ひとつは、堀江貴文のライブドアがフジTVやソニーの買収を企図したこと。それを政府、財界が寄ってたかって潰ししてしまったと。そう言えばホリエモンは、何かの会計不正で逮捕拘留されたんではなかったか。「もし(フジTVやソニーを任せていれば)ホリエモンなら、netflixやiphonの対抗機種をつくれていたかも」と期待を持ったことを記しています。あるいはまた、Winyという音楽や映画を無料でダウンロードできるソフトウェアの技術を開発していた金子さんという天才のことを述べている。「P2Pという技術、SkypeやBitcoinに使われている」技術だそうだ。その金子氏を微細な案件で逮捕して、これも潰してしまったと記しています。この真偽は検証していないが、なるほどそうまでして業界と現体制を護ろうとするのはよくある話とこれまでの長い政財官界史を振る返ると思っています。

 鋳物の鋳造に携わってきたイセキさんがseminsrで見せた「こだわり」に感じたことを記したことがああります(2021-8-21「36会第二期第12回seminarご報告(5)大自然への敬意が消えていた」)。そのとき私はもっぱら「自然」との関係で、彼の述べる「鋳物工業」を考えていたのだが、チラリと彼が零した言葉が頭の片隅をよぎりました。

「安けりゃいいっていうけど、どれほどの技術がその製品に籠められているか(発注元の大企業にも)みてもらいたいんだよね」

 そうなんだ。日本経済風土は、すっかり資本家市場経済脳になってしまっている。経世済民という語源の清新はどこかに吹っ飛んでしまった。そこそこ豊かな暮らしをしているバブル遺産の食い潰し世代は、それを忘れていますね。経済計算だけをして、技術もそれを担う技術者をも、海外へ駆逐するか、列島から消滅させてしまうっていうのは、「教育は百年の計」ということに相反している。だがそういうモンダイを誰も考えていないってことを慨嘆する言葉であったと、今思います。

 keiさんが「どう私たちの暮らしに関係してくるの?」という問いに応えるまでには、まだまだ距離がありますが、「失われた三十年」の日本人の体質には、だいぶ迫っているんじゃないか。やっぱり「日本人の不思議」と改めて思う次第です。

0 件のコメント:

コメントを投稿