2018年9月30日日曜日

道徳は教育できるのか(1)180度違う立ち位置


 昨日(9/29)は、第3回目の第二期Seminarの日。講師はtkさん。お題は「後期高齢者からの子供の道徳教育に関わる提言のとりまとめ」。なんともつまらないタイトルにみえる。

 どうしてこの人が? と最初は思った。リタイアして、油絵を描きながら悠々自適している自由人、と彼のことを思っていたからだ。いつだったか、第一期Seminarを取りまとめようという話しが出たとき、「そんなもの取りまとめても、誰も見やしないよ。ムダ、ムダ」と端然としていた彼が、なんでこんなことをと、耳を疑ったね。いやじつは、私ばかりではない。いつもtkさんに、コブラに対するマングースのように噛みついていると評判で仲良しのmdrさんまでが、「年くってボケが来たか」と揶揄するほど驚いていた。「ま、現役の仕事では散々悪いことをしてきたから、罪滅ぼしじゃない?」と私は感想を挟んで、でもどんな話になるのだろう。何しろtkさんは東大法学部の卒。いわば日本の法制の土台をつくっている本拠地で学んでいる(勉強する学生であったかどうかは知らないが)。金沢大学で教える仲正正樹も「東大法学部だけは、他の法学部と違うんだ」と、一段高いところにいて、ものごとの真偽正邪を決定する国家的審判官の位置に立っている気負った人たちと決めつけている。

2018年9月28日金曜日

「気づく、後で知る」から、混沌の〈せかい〉へ


 今日(9/28)の朝日新聞に、鷲田清一が紹介している「折々のことば」。

 《大切なものが近くにあってもそれに気づくのはずっと後、ということが私には往々にしてある。 鴻池朋子》

 そして鷲田はこう続ける。

《美術家は随想「河原にて、また会いましょう」(『司修のえものがたり』所収)にそう綴る。いえいえ、みんなきっとそうなんです。気づいたときはも応取り返しがつかない。その分余計にこたえる。あなたが後で知ったその大切なものは、だから、あとに生きる人たちに確と伝えておかねばならない。……》

2018年9月27日木曜日

いかにも、の奥久慈男体山


 昨日(9/26)奥久慈の山へ足を運んだ。どうして? と問われると、毛無山から話しはじめなければならない。じつは当初、この日、山の会の毛無山山行を予定していた。一週間前に「天気予報」をみると「雨、降水確率80%」。ところが翌日の27日は「晴、降水確率10%」とあるから、一日ずらしてもいいかどうか、参加者に問い合わせる。むろんそれでよいとの返答。四日前あらためて「予報」を観たら、なんと木曜日は悪く水曜日のほうが良くなっている。天気の変化が早まっているのだ。こんなに目まぐるしく変わる天気も、珍しい。台風のせいもあるのだろうか。もう一度参加者に問い合わせ、元の水曜日に実施することで了解をもらい、三日前にレンタカーの予約を済ませた。夕方「予報」を観ると、水曜日も悪くなっている。参ったなあと思いつつ、その様子を参加者に知らせると、「わざわざ雨の中へ出向くことはない。中止にしよう」と声が上がり、毛無山は中止にしたのだった。だが私の腹の虫というか、山への虫は収まらない。西がダメなら東はどうかと覗いて見たのが、奥久慈の天気。これがなんと「曇り、降水確率20% 、降水量0mm」とある。関東一円は雨の中、行くしかないと思った。

2018年9月25日火曜日

手ごたえのない空なしさが残る


 半藤一利『歴史と戦争』(幻冬舎新書、2018年)が図書館から届いた。昭和五年生まれの人に私は、親しみを感じる。同じ午年ということもある。昭吾と名づけられた知人は、進駐軍相手に覚えたべらんめえ英語を駆使して敗戦後の日本復興を担い、しかしその体に沁みついた戦争体験を片時も忘れることのできない目を、政治や社会にむけている。そのひたすらさに敬服しているからだ。

2018年9月24日月曜日

教育の哲学の欠落


 昨日(9/23)の「森絵都さん、おきばりやす。」に少し続ける。「教育」を「善きこと」と思い込んでいる作者の感覚が気になっているのだ。主人公の一人である国民学校を出た女性が戦前教育に恨みを懐き、公教育への、私から言わせると図式的な強い反発をするのは、国家権力が「教育」を損なっていると思うからである。だが、人類が生きのびる手立てとして、生まれ落ちて後の長い「養育/教育」期間ををもつようになり、ことばを伝え、振舞いを教えるという文化の伝承のかたちを生み出したのである。それが歴史的な径庭を辿って、近代国家による「義務教育」を制度化したのであるから、「教育」それ自体が「善きこと」かどうかは別として、類的存在にとっては通らざるを得ない過程だと言える。

2018年9月23日日曜日

今日は秋分の日、そして、満月


 森絵都『みかづき』(集英社、2016年)を読む。どうしてこの本を手に取ることになったのかは、わからない。何ヶ月か前に図書館に「予約」をし、それが届いたからなのだが、なぜこの本を予約したのかは、覚えていない。何ヶ月か前に何かの本か雑誌を見ていて、この本のことを書いた記事を目にしたのだったか。

2018年9月22日土曜日

AI評価の大きなブレ幅は何を意味するのか


 AIとビッグデータに関する報道がどこにでも見られるようになった。いずれも将来像を気に掛けているのだが、いますでに結婚相手の組み合わせを持ち掛けたりして、相性がいいと良くないというこにまで「介入」している。もちろんそれを受け容れる人がいるから成り立っているのだが、神様のお告げのようにAIのご推奨を受け容れるのは、そのご推奨がブラックボックスだからなのだろうか。

2018年9月21日金曜日

「悪」の凡庸さ


 仲正昌樹『悪と全体主義』(NHK出版新書、2018年)を読んでいて、昨日観た映画『検察側の罪人』で感じたことが、より鮮明になる感触を得ました。「ハンナ・アーレントから考える」と副題された本書で、仲正は「エルサレムのアイヒマン」を読み解いて「悪の凡庸さ」についてこう記しています。

2018年9月19日水曜日

何が何に立ち向かっているのか――おまえは誰か


 監督・脚本:原田眞人『検察側の罪人』を観た。エンターテインメントを謳いながら、これだけのモンダイをぶち込んで展開してみせるかと思うほど、盛りだくさん。切りとり方によっていかようにも読み取ることのできる仕掛けに、世の中と人間をみる厚みに感心しながら、楽しんだ。と同時に、ああおもしろかった、で終わらない残渣が心裡に残る。それは、「罪人」というのが、じつはおまえではないのかと問うているように思えたからだ。

2018年9月17日月曜日

逸れる視線――見るということは見られるということである


 東京都美術館に足を運んだ。院展。斯界の権威の象徴のような展覧会だが、一人お目当ての絵描きがいる。高橋俊子。いくつの方かはわからない。どんな経歴を持っているかもわからない。今年の4月に、三越本店で行われた春の院展の、彼女の作品『生きる』を見た。その印象を次のように綴っている。

2018年9月16日日曜日

環境に生かされる


 北海道胆振東部地震からはや十日。停電がなくなったとはいえ、余震も続く落ち着かない日々に身を置く、古い友人に思いを馳せる。地震の後「見舞いメール」を送った。その後に、千葉在住の同窓のMさんから、次のようなメールが届いた。

2018年9月15日土曜日

わが身とリズムの全体主義


 朝、ラジオ体操をする。軽いピアノに合わせてゆっくり体を動かしていると、緩やかにほぐれ、身体が伸びてくる。うん、心地よいと言ってよい。その時、ふと思ったのは、この、リズムに合わせて体を動かすというのは、全体主義ではないかということ。なんというか、周囲の人たちと共感し、身に降りかかるリズムに共振する。これが快感であるのは、人類がもつ「共感性」「共振性」の身体反応ではないのか。

2018年9月13日木曜日

里山を徘徊する


 昨日は、山の会の「日和見山歩」。「比企の低山を歩く(2)」と題する軽登山というか、ハイキングの日。ここしばらく、家庭の都合や身体的な事情で山歩きに参加できなかった方々が集まり、さながら半年ぶりの同窓会のよう。チーフリーダーはokdさん。前回の「比企野低山歩き(1)」で道を踏み迷って思わぬところに下山したこともあって、名誉挽回の{2}と称していた。奥武蔵の比企地方。1000mに満たない山が秩父地方の流れを引き継ぐように峰を連ね、「外秩父」と呼称する地域だが、「低山歩き」は、さらに低い、標高300m前後の散歩道とあって、しばらく休んでいた人たちもリハビリ・ハイキングと軽く構えて顔を出した。

2018年9月9日日曜日

わが身が知らせる「自然」の屈曲点


 今日は、菊の節句。でも、このところの、中四国大洪水、台風21号被害、北海道胆振地震の報道が相次ぎ、二十四節季の感覚も節句を祝う心もちも、すっかり消え失せている。気候、気象の変動は、報道があるかないかにかかわらず私たちの季節感覚に作用し、「何百年に一回」とか「過去に経験したことのない」という表現が、毎年、毎月起こるような出来事として私たちの身体に刻まれていっているような気がする。その受けとめている身体感覚を身の裡の方へ探索してみると、異常が常態化する転換点を超えたのではないか。そう思えてくる。

2018年9月8日土曜日

「世界」に認知してもらいたい「わたし」の怖さ


 「ささらほうさら」の夏合宿で用意されていたが、(時間がなかったために)それをめぐって言葉の交わされることのなかった「資料」のひとつに、《「ファシズム」学生ら体験》という新聞記事があった。神戸・甲南大学の歴史社会学の田野教授が行った「特別授業」のドキュメント記事だ。2週にわたって行われた2回目、白シャツとジーンズという「制服」が指定され、笛に合わせて床を踏み鳴らし、教室での行進、敬礼して「ハイル、タノ!」と声を出す。キャンパス内に繰り出し、(演出のためにそこにいた)疑似カップルに、授業参加の学生たちがどう対応したか、その自身の行動をどう感じたか、などを取材して報道している。場を踏まえるごとに(疑似カップルを糾弾する)声は次第に大きくなり、逃げるカップルを追いかけるように、振る舞いも「本気度」を増している。参加した学生のリポート。

2018年9月7日金曜日

わがコトとして受け止める現実


 先月下旬、「ささらほうさら」の夏合宿がありました。現役の(管理職)仕事をしている若手が、日ごろ向き合っている事象を、すでに退職した年寄り向きに組み立て直して話して、「それってどういうこと?」と質問が相次ぎ、そこへもう一人の現役(管理職)仕事をしている若手が、そちらの現場の話とそれに対する感懐を投げ込むものですから、論題は錯綜しながら展開して、収まりがつかない広がりを見せる、面白いものでした。

2018年9月6日木曜日

良心は自死し、救済への道は閉ざされている


 テンギズ・アブラゼ監督『懺悔』(グルジア、1984年)を観た。人間が群れをつくって生きていくことの中に、さまざまなことが呼び寄せられ、どちらともつかないことが善悪に裁断され、習わしや制度や統治の枠組みにとらわれて人びとの心は揺り動かされ、熱狂しあるいは平安を手に入れ、ご当人はそのことに気づかないままに、善悪に手を貸して過ごしている。

2018年9月5日水曜日

「隠れ疲労」だって?


 五日間もつづけて、合宿や山歩きで遊び歩いた帰宅したら、やらねばならないことが溜まっていた。山行記録を書くよりも、メールの返信をし、そちらの「会議資料」をつくり、帰宅三日目の午前中いっぱいの「会議」をこなす。先々の日程を読みこんで、ひと月分の「お役目」を見落とすことなく采配し、滞りなく済ませる。

 やれやれ、ひとまず乗り越えたという安堵もあろう。お昼を食べながらTVを観て、ボーっとしていると、張っていた気がほぐれて身の裡に溶け込んでいく気配を感じる。心地が良い。三日遅れの山の疲れも一緒になって、どんよりとわが身によどむ。それに身を任せている佇まいが心地よいのかもしれない。

2018年9月4日火曜日

素敵な雲中の3000m峰――立山連峰縦走(3)


 第三日目、室堂は相変わらず雲の中。朝食のとき小学生に説明するリーダーは「何時でも声が掛かったら出発できる態勢にして、待機していてください」という。朝食は5時半。私たちは6時に出発するように準備をしている。雨着上下も着て完全装備。昨日、風もあって冷え込みを感じたので、私は長袖のシャツに羽毛のベストを一枚着こんだ。

2018年9月3日月曜日

雨と風の浄土山――立山連峰縦走(2)


 二日目の朝食は6時から。バイキング形式。雨模様の深い霧。今日の宿泊所は、室堂山荘。一応荷物を全部持って室堂山荘に行き、荷物を預けてハイキングに出発することにした。乾燥室の衣類はきれいに乾いている。靴も登山靴に履き替えて、万全の装備をして表に出る。みくりが池の東側を回り、室堂山荘へ行く。20mも離れていない池の水面も霧に閉ざされて見えない。

2018年9月2日日曜日

天空の楽園は雲の中だった……立山連峰縦走(1)


 山の会の月例登山で、立山へ行って来た。当初は1泊2日を立案したが、参加者が「せっかく室堂まで行くのだから、もう1泊しませんか」と要望があり、2泊3日とした。だが宿を予約した一月前、室堂の温泉宿は「二段ベッドの部屋2室に別れますが、いいですか」と返答があり、お盆過ぎとは言え、盛況なんだと思った。結局今回は違う宿に1泊ずつすることになったが、室堂の山荘がずいぶんと顧客に心遣いをし、山歩きをしている人たち向けにも行き届いたサービスをしていると、半世紀以上も前に室堂で登山訓練を受けたころのことを思い出していた。もう、いわゆる山小屋ではない。観光客が押し寄せるリゾート地の宿に近い心遣いがある。室堂がそうなってしまったということか。

2018年9月1日土曜日

はや九月、秋風の吹く私たちの暮らし


 もう九月。暑さは酷暑のまんま、昨日の夕方は激烈な雷雨。駐車場に車を置いて家に戻るまでの間に、傘を差していたのにすっかりびしょぬれになった。土砂降りである。今朝方も雨が落ち、地上の雲気が抜けないで絡まりついてくる感じだ。