2018年9月16日日曜日
環境に生かされる
北海道胆振東部地震からはや十日。停電がなくなったとはいえ、余震も続く落ち着かない日々に身を置く、古い友人に思いを馳せる。地震の後「見舞いメール」を送った。その後に、千葉在住の同窓のMさんから、次のようなメールが届いた。
9/10***from M
先週、Tさんと私がS君に電話を入れてみたところ特に被害は無く無事だとのことでした。彼のところは震度4だったと。落ち着いたら地震の顛末について皆にメールをすると云ってました。昨日彼に頼まれていたのに遅くなってしまいましたが、彼のメールを以下転送します。メールを送ってもしばらくは返信を期待できないと理解しておいたほうがよさそうです。
9/9***from S
お見舞いありがとう。一応無事です。ただ衣服を着たまま床に入り、揺れの度に飛び起きる緊張生活が続いており、心身ともクタクタ。電気が復旧したが、早くも計画停電の予告も。1週間は(それ以上かも)これが続くと覚悟しています。メールで近況を打つのもままならないので、当分は静かに見守っていただけるようお願いします。
一コマだけ。昨日深夜、玄関にタバコを吸いに出る孫(二男の長男、大学3年)に玄関のカギは締めないで置くよう言うと、「えー、まだ開けとくの。もう(大地震は)来ないよー」。孫はバイトで貯めた金で11日から友人と初の海外旅行でインドへ。私は「CK(クレアチニン・キナーゼ)」値の高い原因を検査するため、二男に送ってもらい明日10日、札幌医大に行く予定。本で見たかぎり膠原病の可能性もあるのではと思っています。
9/15***from S
地震は家族とも無事。家も被害はでませんでした。ところが、地震に前後して、以前からの体の不調が顕在化。足が上がらず、歩行がもつれるようになりました。一瞬先は何が起こるか分からない世界。この機会にとりあえず報告します。
*8月30日付けで、思いがけず介護保険の要支援1に認定。体が疲れやすく、家事が大変になってきたので、地域包括支援センターに相談したところ、ダメもとで申請を勧められた。週1回の家事援助が得られれば、散歩にも出られるのではと期待。ところが事態は予想を超え急進展する。
*今月10日、息子に付き添ってもらい札医大第一内科。筋肉、脳が傷害を受けると血液中に多く出る酵素CK(クレアチンキナーゼ)の高値が数年前から続く原因を探るため、地元主治医の指示で数か所目の検査。医師は膠原病の可能性を中心に調べるが、筋力低下、立ちくらみ、飲み込み困難などは、脳神経とも関わりが深いとして、次回から併せて脳神経内科の検査も受ける。脳神経経路に異常が起こると、筋肉に運動せよとの指令が伝わらなくなり筋肉が退化する。神経難病の一つALS(筋萎縮性側索硬化症)だった家内が入院していたのが脳神経内科。難しそうな病名が並ぶ。
*翌日11日、地元主治医の北の台クリニック。体重測定で67・4キロ。ここ数年、70キロ超を維持してきたが、7月から一気に4キロ減。最近、足が急に上がらなくなり、ペタペタ歩きに。筋肉がこれだけ落ちれば歩くのも大変になるはず。喉の渇き、喉つまりに加え、ついに声のかすれも。ただの運動不足でなく、何らかの病気によるものと、ようやく悟った。
*薬が多いことによる「薬害」が不調の引き金と薄々感じてきた。体へのストレスを減らすため、ひと月前、酒をやめた。続いて薬害のにわか勉強。頻尿、痛風、花粉症などの薬も医師に無断で休止。首の頸動脈にステントを入れているため、血液さらさらの薬は止められないが、高血圧の薬も合剤を以前の二つの薬に戻した。震災ショックが収まれば胃腸薬も減らす。(寝たきり、呼吸不全などの怖れが震災ボケの悪夢に終わることを祈りつつ。乱文多謝。ご判読を)
9/16***to S
地震の「被害」がそれほどでもなかったとのこと、メールも書けるようになって、とりあえず、良かったですね。
でも、あなたにとっては、コレこそ地震の被害といえそうなコトゴトがどっと押し寄せているようで、読んでいて胸が詰まります。Mさんからのメールで、余震が続き心落ち着かない様子がふつふつと思い浮かび、たいへんだなあとぼんやり思っていたことが、そんなかたちで現れていたのかと、息苦しくなります。
チコちゃんじゃありませんが、「ボーっと生きてんじゃねえよ」と叱られても仕方のないほど、私たちはいつのまにか環境に同化適応して、わが身をつくってきました。ときどきには、ほんのわずかの選択肢を、自ら選び取って、あたかも我が意思で自在に生きてきたように思いこんでいましたが、あなたの様子を聞いてみると、いまはまだそれほど揺れない大地という幸運な「環境」が、わが身の子細をも支えているのだと感じます。
何かと不自由、不都合が多いと思いますが、挫けずに乗り切っていただきたいと思います。あなたの幸運を祈ります。
こんなやり取りしかできないもどかしさを思いつつ、歳をとるということがこれほど「環境」と切り離せない「関係」にあることを痛感している。
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