2018年9月4日火曜日

素敵な雲中の3000m峰――立山連峰縦走(3)


 第三日目、室堂は相変わらず雲の中。朝食のとき小学生に説明するリーダーは「何時でも声が掛かったら出発できる態勢にして、待機していてください」という。朝食は5時半。私たちは6時に出発するように準備をしている。雨着上下も着て完全装備。昨日、風もあって冷え込みを感じたので、私は長袖のシャツに羽毛のベストを一枚着こんだ。


 6時10分出発。霧はでているが雨は落ちていない。視界200mくらいはすっきりと見える。昨日の雪渓がよく見渡せる。一の越山荘の霧は深く、視界は30mあるかないか。風はそれほど強くない。40分できている。コースタイムより10分も早い。ここから雄山山頂までが標高差300mの急登になる。大岩を縫うように歩く。岩に着いた案内ペンキは剥げかけて、見えたり見えなかったりする。かと思うと、上りと下りのルートが違えているようだ。先頭のkwrさんは上り易そうなところを探すが、結果としてむつかしいところを選ぶようにして、でも難なく通過している。緊張しているからくたびれない。登り口で道を譲った若いペアが、上方の霧の中に消えていく。さらに上へ行くと、ペアルックの一組が座って休んでいる。雄山まで往復するそうだ。上ること1時間足らず、社殿がふわあっと雲の中に現れ、「雄山神社山頂社務所」に着く。なかには御朱印受付所があり巫女さんが売り子を務めている。「立山牛王って何?」と並べているお札のひとつを指さして尋ねる。「魔よけのお守り。家の入口に貼って使います」というので、今日の安全登山を祈願して、ひとつ手に入れる。私たちを追い越して登ったペアが休んでいる。彼らもここから引き返すそうだ。

 社務所の先に「立山神社本宮」と記した石柱があり、その脇に、大きく「登山」と彫り込んだ石碑が建っている。ここが3003m。kwrさんたちの登頂証拠写真を撮り、回り込んで岩を縫い、大汝山の方へすすむ。ごつごつした岩の山嶺だが、全体像は霧に閉ざされて見えない。大汝山の方からやってくる人たちがいる。「ずいぶん早いですね。剣御前から?」
 と聞くと、
「いや、大汝山へ行って引き返すところ」
 と応える。風が強く縦走を諦めたというが、ここまでくれば、もう半ばではないのかと、雄山の登りのきつさを思う。20分ほどで大汝山休憩所に着く。3015m、この連峰の最高点だ。8時19分。一人アラサーの女性が休んでいる。
「どちらまで?」
「別山乗越から雷鳥沢へ」
「ああ、じゃあ僕たちと一緒だ。気を付けて」
 とことばを交わす。このコースは初めてだという。
「一人で来るなんて、勇気あるよなあ」
 とkwrさんは感心している。彼女が先行する。休憩所の裏側へ回り込んで、岩を降るところで、向こうから8人くらいの若いパーティがやってくるのに出くわす。道を譲る。
「大汝山は、まだ(距離が)ありますか?」
 とくたびれたような声を出す。
「いや、すぐそこよ」
 とkwrさんが応じる。この人たちは剣御前から来たらしい。この辺りがちょうど中ほどか。とすると、その先の下りまで考えると、ちょっとあるなあと、何を考えているのかわからないけど、歩程の算段をする。

 「富士の折立」と名づけられた地点に来る。2999m。8時36分。kwrさんは行程を全部自分でメモしてもち、その地点通過の時刻を書き込んでいる。コースタイムを記入しているから、早い遅いと気にしているのかもしれないが、コースタイムに縛られることはないよと、私はできるだけ、それを見ないようにしている。おおよその見当をつけて、いいペースだとか、少しくたびれてきていると見立てをするくらいだ。むろんそれが大幅に遅れたりすると、どこかでビバークする算段をしなくてはならないが、それは歩いているときの調子を読めばわかる。1時間、2時間というほどの通過地点をぼんやり頭に入れておけば、ペースを過つこともないと思っている。ここで、先ほど先行したアラサーの姿をみた。貧相な標識が立っている。中央部に「クラノスケカール」と手書き。そうか、この東側がクラノスケカールか。とすると、いわゆる「内蔵助氷河」があるのだろうが、尾根の向こうは雲がいっぱいで、まったく見えない。アラサーの女性をこの辺りで追い抜く。広い稜線になり、先頭を歩いていたkwrさんが突然ぐらりと身体を傾けて膝をつく。
「おいおい、どうした?」
「いやね、この下(と右のカールの方を指さして)にね、あっ、雪渓があるって気づいて首を回したらさ、身体が傾いて倒れちゃったよ」
 と笑う。慥かに、右をみると、クラノスケカールに「氷河」がある。下の方は雲に隠れて見えないほど大きい。でも、広い尾根で良かった。

 真砂岳の頂上2861mに着いた。9時10分。稜線を直進すると、内蔵助山荘への分岐に出る。それを右にみて、別山へのルートをたどる。大きな下り。下っていると、下の方は霧が晴れ、雷鳥沢の流れが目に入る。と、別山の山頂も一瞬だが、姿を見せ、すぐに霧に隠れる。細い稜線を下ると、その向こうにググっと上がる尾根筋が緑の衣をまとっていた。その一番低い地点に来たとき、目の高さより低いところの雲が取れて、東側が一望できる。その右端に見えるを指してkwrさんが「あれ、剣岳じゃないか」という。たしかに。とすると、そのう~んと向こうに離れて見えるのは、後立山連峰ではないか。鹿島槍ヶ岳から五竜岳、白馬岳が見えていたはずだが、そのときはそうは思っていない。すぐに雲が張り出し、視界のサービスは終わってしまった。頻繁に大きい雪田が目に入るようになった。別山の登りは、やはり岩だらけ。山頂らしきところに、岩に囲まれた祠が祀られている。屋根にも石が載せられ、瓦が風に飛ばされないようにしている。その少し離れたところに、小さく「別山」と山名を記した標識があった。2874m。10時5分。

 20分ほどで剣御前小屋に着く。10時半前だが、お腹が空いた。小屋で食事をさせてもらおうと中に入る。「ザックは外においてください」というので、弁当をもって入り、コーヒーを頼んで昼食にする。私たちが座る前に、すでに休憩してカップラーメンを食べていた一組が立ち去る。食事をしていると、途中で追い越したアラサーの単独行者が到着して、食事をとる。kwmさんが言葉を交わす。アラサーは、飴と昆布を組み合わせて、私たち全員に「どうぞ」とくれる。ホッとしたような顔をしている。ちょうどkwrさんが蜜柑を出していたので、その一つをお返しに差し上げる。

 そして私たちが出発しようと外に出るころ、本格的な雨になった。上から降りてきた二十代の女性が「な~んにも見えない。おもろしろないねえ」と関西弁だ。今日雷鳥沢から上がってきて、剣御前まで上って来た。でも剣岳は見えない。何にも見えない、そちら何か見えました? と聞く。ハハハ、いろいろ見たよと言おうかと思ったが、こんなところで、せっかっく関西から来たばかりの人をがっかりさせてもしょうがない。
「剣岳へ登ればいいじゃない。霧が深いと、下が見えなくて、怖くないよ」
 とからかうと、
「誰か一緒なら、キャーとかこわ~いとか言って楽しめるけど、ひとりじゃねえ」
 とさらりと流して、
「明日帰りますわ」
 と、二泊三日で来ていることを明かす。これにもkwrさんは、すごいねえ、近ごろの若い女の人はと、感心している。kwmさんはここにも山ガールがいたと、若い人たちのブームを指摘している。

 11時、下山開始。2750mの剣御前小屋から2260mの雷鳥沢まで500mほどの下りだ。ガイドブックには「滑りやすいので注意」とあったらしい。上ってくる何人もの人たちとすれ違う。この人たちは午前小屋に宿泊して、明日、剣岳に挑戦するのかもしれない。雨のせいか、下の方の視界が晴れてきた。これから向かう雷鳥沢の最下部がよく見える。キャンプ場の管理事務所も、地獄谷も、その付近のホテルもみてとれる。でも室堂平はどこだ? とkwrさんは訊くが、雲が張り出してみてとれない。それにしても、雷鳥沢と室堂平があんなに高度差があったろうか。

 kwrさんが、あ、あ、みえる! と叫ぶ。彼の見る方向へ振り返って目をやると、今日歩いてきた一の越から雄山、大汝山、真砂岳、別山と剣御前小屋までの稜線が、雲が取れてすっきりと一望できる。雲が雨になって落ちてしまったんだと誰かが言う。上っている人も足を止めて、立山連峰を眺める。昨日登った室堂山や浄土山も、峰を連ねている。すぐにまた、眺望は閉じられてしまったが、いやよかったねえとご褒美に感嘆しながら、どんどん下る。雷鳥沢の水量が、けっこう多い。川上の方に木橋が架かっている。12時。そこを渡ると雷鳥沢キャンプ場。そのなかを貫く石畳みを歩いて地獄谷に近づき、一気に石組みの階段を上る。この標高差が、約200m。一休みしようと言うが、雨が落ちている。野営場の管理事務所は、私たちの進む方向とは逆になる。上の雷鳥荘まで行こうと言ったのが作用したのか、kwrさんは上へ上へと休まずに登る。kwmさんもついていく。私はストックがこんなに助けになるとは思いもしなかったと、手と足と腰の動きを感じながらついていく。当初登山計画を立てるとき私は、この雷鳥沢に降りたつまでの時間を「行程」として記していた。5時間半。今日もお昼の時間を除くとちょうどコースタイムで行動している。ところがここから室堂平まで1時間10分のコースタイムが組まれている。なんだ7時間を超えるではないか。

 雷鳥沢から25分で雷鳥荘に着いた。その裏の方の地獄谷から硫黄の臭いが漂ってくる。ずいぶん立派な山荘だ。中に入ると広い土間がありベンチも置いてある。だが雨に濡れた荷を置くわけにはいかない。宿泊者がやってくる。フロントの人に話を聞くと、4月半ばに6メートルほどの雪かきをして、3メートルほど雪が積もる11月まで営業しているという。冬の多いときは17メートル積もったと、あの雪壁の伝説を話してくれる。話していると、入館してきた若い人が風呂に入っていいかと聞いて財布を出す。フロントマンは「宿泊していた方は料金は要りません」とシャンプーなどの入った小さい籠を手渡していた。みくりが池温泉と同じだ。「そんな積雪で(この館は)潰れないのか」と口にすると、ハハハと笑っている。

 大きな地獄谷が一望できる。噴気が吹きあがる。有毒ガスで通行禁止になっている散策の木道が谷の中央を貫き、背に奥大日岳をおいて、室堂の名所のひとつであることを思わせる。リンドウ池を回り込んで台地に上がって振り返ると、一の越から剣御前までの雲が取れて、きっぱりと稜線が見てとれる。あんなにギザギザに尖ってたんだ。雄山から大汝山の稜線の凸凹が見事に岩稜をみせる。おい、あの向こうのはツルギじゃないか!  とkwrさんが声を上げる。剣岳の南側のガチガチと尖った南の稜線が山頂まで姿を現している。パノラマで撮っておいてよとkwrさんがkwmさんに声をかけている。

 1時5分、室堂山荘に着く。今日の行動時間は6時間55分。フロントマンに
「小学生は雄山に上れたろうか」
 と尋ねる。
「ええ、登りましたよ、全員」
 と声がはじける。良かったねえ。
「でも、あの岩場の下りはたいへんだったろうね」
 とkwrさん。

 預けた荷をザックにまとめ、バスターミナルに行く。ターミナルは人で溢れている。韓国語や中国語が飛び交う。15分ほどで美女平行が出る。このバスが天狗平を通るとき、剣岳が、その全貌を現した。雨は上がっている。あの山は? とkwrさんが指さして聞く。薬師岳だ。いい山だねと、その姿の良さをほめる。大きな単独峰のようにみえるが、奥深い山だ。去年、四泊五日で縦走した快感が甦る。弥陀ヶ原も、上から見下ろすとなかなか壮大な草原にみえる。でも、湿原であった。落差300mの滝とか、千年を超えるスギの巨樹というのもあって、バスは徐行して一つひとつ案内して走る。でもこれは、みるだけ。

 ケーブルカーで立山駅に降り立ち、ほんの10分ほどで特急が出る。暑い夏の日に戻ってきた。電車の中で雨着を採り、装いも夏に戻る。途中の岩峅寺で乗り換えて、不二越で降りる。ここの日帰り温泉に立ち寄る。まさに文字通り(あっ、字が違うか)、満天の湯。広くいい湯であった。付設の食堂でビールで乾杯し、少し小腹に入れて、富山駅へ向かい、全車指定席のかがやきに乗って大宮へ向かった。雲と霧に包まれてはいたが、素敵な天空の縦走路であった。

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