2018年9月28日金曜日

「気づく、後で知る」から、混沌の〈せかい〉へ


 今日(9/28)の朝日新聞に、鷲田清一が紹介している「折々のことば」。

 《大切なものが近くにあってもそれに気づくのはずっと後、ということが私には往々にしてある。 鴻池朋子》

 そして鷲田はこう続ける。

《美術家は随想「河原にて、また会いましょう」(『司修のえものがたり』所収)にそう綴る。いえいえ、みんなきっとそうなんです。気づいたときはも応取り返しがつかない。その分余計にこたえる。あなたが後で知ったその大切なものは、だから、あとに生きる人たちに確と伝えておかねばならない。……》


 このブログもそうだが、あとで気づくどころか、今だって気づいていないことを記しているように、私は思っている。ブログのプロバイダから送られてくる「一年前の記事」を読み返していて、ときどきそう思う。気づくことってのは、「バカだなあ、オレって」ということもあれば、「へえ、そんなことを言ったっけ」と感心することもある。そうして私は、どうしてそうバカなのか、どうしてそう感心するようなことなのか、と一年の径庭をものともせず、思案する。すると、16年前に始めたこのブログのPC保存版の冒頭に記している歌、「あいみての のちのこころにくらぶれば むかしはものを おもわざりけり」を、思い出す。

 いつだったか、名の知れた大商社で勤め上げた友人が「そんなことを書き置いたって誰も読みゃあしないよ」と、投げつけるように吐いた言葉を思い出す。そのときは、「そうか、こいつは自分で自分を発見するような文法を持っていないんだな」と思っただけであった。だが後で考えてみると、そうだったから彼は、へこたれもせず大商社で勤め上げることができたのかもしれないと、思い返した。それは同時に、私自身の、世間の波風にさほど強く曝されず、出世だの競争だのとほぼ無縁で過ごすことができた「世界」を相対化してみることでもあった。そう考えてみると、人は置かれた境遇というか、環境によって、感性もものの考えかたも大きく規定されてしまって、しかもそのことに気づかない。そうか、それを「鏡の背面」と精神科学者は呼び、「世の初めから隠されたこと」と哲学者は呼んでいるのかと、思いはどんどん広がっていく。それが面白い。

 実際には、どうしてそれが面白いのかと考えないでもない。たぶんそこに踏み込むと、私自身の存在をつくってきた径庭の全境遇が起ち現れ、それは同時に、私が感じてきた「環境」であり、私が見てきた「世界」の歴史であり、私の観念の世界がかすってきた、ありとあらゆること――わかることもわからないことも、一知半解のことも誤解していること――をふくめて、全てが立ち現れる。あとから知るとか、気づくという次元でもなく、当人、当事者には決してわからないことまで、混沌とひとつになってわが身の根柢の方に揺蕩っている〈せかい〉。その深淵がある感触を、ほのかに感じさせる。それが、堪らないのだ。

 鷲田はそれを「あとに生きる人たちに確と伝えておかねばならない」というが、それは彼が、知識人として大学の総長までつとめ、生きてきたことがかたちづくった「癖」であろう。それはそれで構わない。私は、もっとエゴイスティックだ。「あとに生きる人たち」に伝えても、結局後に生きる人たちが自ら「知る」か「気づく」かしなければ、混沌の〈せかい〉にふれる感触すら感じられないであろう。ま、せいぜいわが子どもや孫たちが、こんなご先祖さんがいたんだと、一知半解したり誤解したりして、じつは私の知らない〈わたし〉を抱懐しつつ、違和感を感じてくれたら、面白いかなと思っているばかりである。

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