2018年10月12日金曜日

道徳は教育できるのか(6)規範の自叙伝的移ろい


 人が成長過程で身につける規範感覚や道徳観というのには、見様見真似で身につける無意識の模倣と意識的な模倣(=真似)とがある。前者は体で覚えたもの。大人の側から言うと「養育」と呼ぶ。後者は生まれながら身に備わった「人間のクセ」だが、大人の側はそれを「教育」と呼んでシステム化してきた。いずれにせよ私たちがモンダイにしているのは、育てた私たちの子どもの世代(以降)の「規範」になる。とすると、私たち自身が生まれ育つ過程で身につけたものが、大人になり社会を担っていく過程の、時代の荒波にもまれているうちに変容し、それを見様見真似で身につけてきた若い人たちのそれがモンダイだと指摘していることになる。


 ということは、私たち自身が、どういう規範を身につけてきたか、それがどう社会的変容にともなって移ろってきたかを俎上に上げて、批判していることにはならないか。つまり私たちの世代の子育てがモンダイだったと言っているのではないか。そう思える。そういう視点から見直してみると、「教育勅語」や「江戸の振舞いの伝統」が(もし私たちの心の習慣として残っていたとすると)どうしてそれが残っていたのか、どうしてそれが変容して忘れられるようになってしまったのかと考える必要がある。

 明治43年とか45年生まれの私の父母の世代は、まさに「教育勅語」で育った世代であった。さすがに戦争に行った父親はそれを口にすることはなかったが、母親は良く「朕思うにわが皇祖皇宗国をはじむること高遠に徳をたつること高邁なり……」と暗唱していたことを覚えている。だからと言ってそれを尊重しようと思ったことはなかったが、私たちの無意識のうちに身に沁みていたのかもしれない。意識的には、親の世代のバカな判断によって無謀な戦争に突入していったと思ってはいたが、と言って自分の親がバカな判断をしたと考えていたわけではない。国の進路を過つほど親が偉かったことはないし、親自身が戦争遂行の賛否を問われて選択したとも考えなかった。漠然と大人の世代を信用できないと感じていたことは間違いない。それが、古い道徳観を根こそぎ否定する感覚に通じていると言われると、イデオロギー的に考える段階ではそういうこともあるかもしれないとは思う。だが、自分の身というものに無意識に受け継がれてきている「文化」があったと考えると、自我が生まれ、わが身の感性や感覚に向き合うようになってからは、自らに(どうしてそう考えるの? 何故そう感じるんだろう)と問う契機が埋め込まれていたのだと思うようになった。

 つまり「道徳教育への提言」を書き落とそうとしたら、私たち自身の生長と高齢化に至る過程で「規範」がどう移ろってきたかの、自叙伝を(超越的な視点で見て)綴ることになる。ちょうど一年前になるが、次のようなことを書き止めていた。長いが、「規範の自叙伝」に関係するので、再掲する。

**** 2017/10/11  せめぎ合う複数の倫理を使いこなす試練

 なんだかよくわからない「国難」に立ち向かうと称して衆議院を解散し、総選挙がはじまった。「三極構造」とメディアは煽り立てているが、対立軸が定まらない。そう思っていたら、鹿島茂が『「悪知恵」の逆襲――毒か薬かラ・フォンテーヌの寓話』(清流出版、2016年)で「超大国の属国か弱小国の集団自衛体制か」と「対立軸」をつくりあげて論評している。

 いうまでもなく日本は、「属国」になっている。《属国になった割には、なかなかうまく立ち回った》と鹿島は評価する。憲法九条を「押し付けられた」結果、軍事的な領域はすべてアメリカに預けてしまい、我関せず焉と惚けていたというわけだ。日本に憲法九条を押し付けたのを「アメリカの失政」とまで言って、今のアメリカの立場から同盟国として日本を動員できない点を、日本政府は最大限利用してきたとみている。
 目下の衆院選の対立構図から描きだせば、九条に自衛隊を書き加えて改憲する安倍案と立憲民主党や共産党の「九条守れ」という案の二つしかない。希望の党が「改憲」を掲げてはいるが、何をどう改憲するかいっこうに明快にならないし、明快にすれば、たぶん政党として成り立たなくなる可能性がある。安倍案にしてからが、「九条の戦争放棄」を無視しがたく、自衛隊の明文化という、合法化を図る趣旨のもの。つまり、「押しつけ憲法」の狙いのひとつであった「日本の無力化」の延長上に「改憲」をおいてそろそろと「民意」を問おうとしている。だが、そういうことだろうか。
 いつだったか(2017/9/3)、このブログで亀田達也が紹介していたジェイン・ジェイコブズの仮説に触れたことがある。アメリカのジャーナリストであるジェイコブズが、これまでの倫理にまつわる諸説は大きく二つの倫理に分けることができると建てた「仮説」である。〈市場の倫理〉と〈統治の倫理〉に分け、それぞれ15の特徴を書きだしていた。たとえば、〈市場の倫理〉では「他人や外国人とも気安く協力せよ」「暴力を締め出せ」「正直たれ」などなど、〈統治の倫理〉では「排他的であれ」「復讐せよ」「目的のためには欺け」などなど、対立的な項目が並ぶ。そのうえで亀田は、ジェイコブズの「仮説」を採用して日本人経済学者と生物学者の行った「進化ゲームと呼ばれる数理モデル」の結果を引用して、「倫理がそれぞれ一つだけであれば協力的な社会が実現できるのに、二つの倫理が拮抗すると互いにいがみ合って社会の協力が壊れてしまう、という結果はとても示唆的です」と結論的に記している。この亀田の言説が、戦後日本の「憲法九条」がもたらした日本社会の安定的な(平和ボケと言われる)状況を説明していると思われた。
 つまりこういうことだ。戦後の日本は、アメリカに禁じられたことによって「無力化」した。それは、いわば(対外的な政治状況において必要とされる)暴力的な側面を骨抜きにした。ジェイコブズに引き寄せて言えば、〈統治の倫理〉はすっかりアメリカに預けて、〈市場の倫理〉だけに専念するように「場」が設定されたのであった。そうして亀田が言うように、「倫理がそれぞれ一つだけであれば協力的な社会が実現できる」社会を実現したのであった。言葉を換えて言えば、ほぼ実験室的な環境におかれて、然るべく、日本の戦後の「平和」は達成された。成立当時、「押しつけ憲法」を批判してアメリカからの独立と自主防衛をはっきりと主張していたのは、共産党だけであった。
 この戦後の「平和」が骨の髄まで浸透している。私もそうだし、日本人のほとんどが(「属国」と呼ばれるのは良しとしなくとも)「九条の精神」を今後も維持すべきだと考えるのは、いわば当然である。だから「自衛隊を合法化する」という苦肉の策を安倍案も採用せざるを得なかったのだが、それは鹿島茂に言わせれば、「超大国の属国」路線を意味する。
 どうしてこういう状況が生まれているのか。
(1)トランプのアメリカが、(負担を求めるな)日本は自分のことは自分で守れと迫っている。「敗戦」を認めたくない日本の右翼保守層は、核武装も含めて独自防衛を望んでいる。
(2)他方でアメリカは、日本の武装自衛路線に対する警戒を(安保体制は日本の暴走を抑える瓶の蓋として)もっている。日本の民衆は〈市場の倫理〉から(結果として)これを支持している。
(3)上記の相矛盾する二つの狙いをとりあえず収める方法として「日米同盟」路線を保持すること。
(4)だがアメリカにとっては中国との「力関係」が主たる戦略眼目であるから、日本は袖にされるかもしれない。そのために「日米同盟」を強調し、アメリカに過剰に協力的になり、アメリカの保護を求めている。
 上記四点のいずれも、日本の内的な要請とアメリカの思惑という双方のモメントが作用している。だから「属国」という侮蔑的な表現を忌避するのであれば、〈市場の倫理〉の延長上に「国際関係の主導権を握る」方策を提案しなければならない。今の「立憲民主党、共産党など」の極からその提案がなされてはいないことが、いっそう事態を五里霧中にしている。それらの人たちが雑居していた民進党の時代にはとても適わないことであったが、希望の党に行くべき人たちが行ってしまったことによって選挙における構図は極めて分かりやすくなった。今こそ、一つの極として、「戦後市場倫理にどっぷりつかってきた私たち」を惹きつけるにたる「提案」を聞きたいと思う。
 亀田達也の言い方を借りれば、〈統治の倫理〉は安倍自民党(やそれと似ているであろう希望の党)に任せて、自分たちは平和を守れという〈市場の倫理〉だけを主張しているのでは、あまりにご都合主義が過ぎる。鹿島茂は「弱小国による集団的自衛体制」というのを、中国や韓国、北朝鮮と手を組むことだと想定しているように見える。「超大国の属国」ではなく、自主防衛路線をとるには、自在な外交的ポジションをとらなければならない。となると、東アジアの相互安全保障体制を構築していくしか選択肢はないではないか。
 それが可能かどうかを説明する力量は、私にはない。だが、大きな構図が描ければ、〈市場の倫理〉を変容させて〈統治の倫理〉を組み込んだ戦略をあらためて考える道が開ける。そのようにして、私たちは自らの実存を希望として思い描けるようになると思うのだが、さてこれは、選挙ではどうにもなるまい。まず、そう思いますよね。 

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 ひとつ訂正がある。上記「こういう状況が生まれた理由」の(1)から(4)は、去年という立ち位置で考えたもの。じつは、1989年の東西冷戦の終結前後から「状況は生まれ」ていた。それが露わになるには、アメリカのトランプ大統領という「状況」が「日本」に突き付けられなければならなかったのだ。

 ジェイン・ジェイコブズの説――市場の倫理か統治の倫理か、「場」を取り仕切る倫理がいずれか一つであれば、構成員の統一は見事に進むが、その双方が対立的に絡み合う状況だと、その「場」を構成する人たちは自己利益の追求に走りタダ乗り的に振る舞うようになる――というのは、戦前の日本の社会がそうであったと同時に、じつは、戦後の日本の社会も同じだったと言える。戦前は統治の倫理が唯一の日本社会の共有言語であった。そして敗戦後は、逆に、アメリカによる戦力の無力化によって市場の倫理だけが許容されたから、もっぱらそちらの方で一丸となって邁進したと言える。

 ところが、日本の政治状況を考えると、戦前的な統治の倫理が身に沁みこんで奥底に残り、表面的には戦後的な市場の倫理が席巻して、それはそれでいい思いをしてきた。重宝してきたのだ。日本の社会は、その二つの倫理が個々人の内面でせめぎ合う時代を過ごしてきたが、東西の冷戦が終わるまでは、そのせめぎあいも表面化することなく市場の倫理の力に身を任せるように一本化していた。国民的には「エコノミック・アニマル」と言われようと、その平和主義で一本化してきたのであった。しかし、東西冷戦が終わるや否や、二つの倫理の葛藤が表面化し、人々の振る舞いは迷うことなく身勝手になり、自己利益の追求を「公共の福祉」に配慮することなく、追及する方向へと突き進んでいっている。ジェイコブズの指摘するように、社会的な混沌が覆っているのである。

 つまり、次のように言えようか。平和な市場の倫理が覆っていた時代に育まれた個人主義の要素も、東西冷戦がつづいている間は「公共の福祉」をないがしろにすることなく、社会性を保っていた。東西冷戦はイデオロギー的な対立であったが、このどちらの陣営に好感を持つかは(庶民にとっては)イデオロギー的な次元ではなかった。「公共の福祉」というのはキケロの定義に謂う「人々が安寧に暮らすこと」を意味するが、庶民からすると、どちらが「安寧に暮らせるか」を(機会あるごとに)選択していたのであった。両陣営を支持する政治勢力はそのことに配慮した結果、「経済中心主義」だけが大手を振ってまかり通っていたと言える。

 ところが冷戦が終わりアメリカ一極主義的なグローバリズムの時代に入ると、日本経済のバブルが弾けたことと相まって、国内的には統治の倫理が表立ってくるようになった。国際社会で劣勢を盛り返すには、国際競争力を強化・支援する大企業優遇の諸策へ傾き、国内的な中流階層の解体には目を向けなくなった。「安寧に暮らす」という「公共の福祉」は、いつしか片隅に追いやられ、もはや人々は、弱者に配慮することも(中央、地方の政府の仕事と人任せにして)振り返らなくなった。結果的に、人々は自力でやっていくように、政府からも社会からも見放されたわけであり、勝手がってに振る舞うほか、時代に適応するしようがなくなったのであった。

 これが大雑把に描いた「自叙伝的規範の移ろい」である。人間て変わらないんだと、敗戦までのことと戦後のこととを比定して、嘆息している。(つづく)

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