2018年10月5日金曜日

ドキュメンタリーとは何か


 今にも降りそうな曇り空のなか映画を観に行った。ロバート・フラハティ監督(映像)+モニカ・フラハティ監督(音声)『モアナ――南海の歓喜』(1925年+1980年音声+2014年デジタル処理)という、ややこしいつくりの映画だ。無声映画としてつくられた映像に、娘の監督が半世紀後に音声をつけ、さらに34年後にデジタル処理されて今の映画になったと、チラシは紹介する。


 「100年前の南の島、ある家族の物語」と銘打つ。20世紀の初めのころ英領サモアに取材したドキュメンタリー映画。チラシによると、ドキュメンタリーという言葉は、この映画批評に使われてから広まったと記している。なるほど、当時のサモアの人々がこういう暮らしをしていたのかという興味は、しかし、誰がもつだろう。今や世界の隅々にまでカメラが入り、タレントが言葉を交わして現地の人とともに何日間かを過ごしている。ときにはそれをリゾートと名づけて、観光地にしてしまう勢いである。ほんとうに人跡未踏の地はなくなり、危険を冒してカメラが入る「秘境」はアマゾンの奥地くらいにしか残されていないのではなかろうか。

 つまり、百年前のサモアの様子を(半世紀後の音をかぶせて)いま見せるのには、どんな意味があるのだろう。
 「大自然のなかで、踊りと音楽に溢れた人々の暮らしがそこにあった」と岩波映画の宣伝部は「感動的に」コピーを書いているが、いまどきTV番組でも、大枚をつぎ込み、現地に何年も入り込んでいる研究者を動員して、面白い番組をつくっている。それが毎日のように消費されている時代に、どうしてこの「百年前」が「感動的に」みえるのか、私にはわからない。

 まあ、上映される映画には当たりはずれもあるが、上映者の時代を読む選択眼が鈍っているとしか思えない。もし、世界初のドキュメンタリー映画といいうのであれば、この映画を軸にしてもいいから、ロバート・フラハティがどのようにこの取材をしたか、父親と同じ映画監督になった娘がどういう思いで、半世紀後に、この無声映画に音を入れようと思ったのか、どのようにして音を拾い、かぶせていったか。また、その音入れから34年も経ってデジタル加工がなされて「公開」されるに至ったのか。その航跡を追う方がはるかに、監督の所属する先進国と「未開」と言われたサモアのたどった時代の変遷が、人間の歩みが明らかになる。それは、観ている先進国の私たちのたどった功績を振り返ることであり、また、いまでもそうした「未開」や「大自然」や「秘境」を懐かしい思いとともに観ているわが身の裡側へ視線を向けることにもつながる。NHKスペシャルならそういう番組構成をするだろう。それこそが、今のドキュメンタリーじゃないか。

 いや、他の用があったついでに観に行ったのではなく、わざわざ足を運んだという自分に腹を立てているのかもしれない。これじゃあ、映画よりもTVの方がはるかに立派だ。ぼちぼち岩波映画とも縁が切れる地点に来ているように思う。

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