2018年10月6日土曜日
道徳は教育できるのか(4)文化をどう継承するか
10/2の(2)につづける。若い人の振る舞いが年寄りの癇に障るというのは、今に始まったことではない。謂うならば世代間の文化落差だ。前回の冒頭に掲げた「廃れた道徳」の指摘の《(2)困っている人に電車の席を譲るのは、車両のどこでも同じ。「優先席」は本来無くていい》というのも、若い人の振る舞いというよりも、電車経営側の「配慮」。言葉を変えて言うと、社会の側の「道徳観」の反映ではないか。困っている人を扶けたいというのは電鉄経営側としては、褒められる配慮だろう。だが、それを車内アナウンスで繰り返しても、そうはいかないのを目にすると、「優先席」を設けて困った人の援けにでもなればと考えるのは、一つの策だ。乗客のもめごとは避けたい。《「優先席」は本来はなくていい》という人は、「困った人に席を譲る」ことが自然に行われる風潮を良しとしているのがわかる。
じっさい歳をとって電車に乗ると、席を譲られることが多い。高校生が黙って席を立つ。若い女性が「どうぞ」と言って立とうとするのを、前に立つ私が「いい、いい。座ってなさい」とおさえるのは、私がリュックを背負ってこれから山歩きをしようとしているからだ。もっとも香港の地下鉄に乗ったとき、ほぼ間違いなく若い人が席を譲る。ときには、傍らの中年女性が、「ほらっ、そこへ座りなさい」と私の腰を押すこともあった。長幼の序が生きているんだなと思いながら、悪い気はしない。つまり私などの規範感覚と見合っているのだ。
それに比べたら日本は、確かに席を譲る動きは鈍い。だが、勤めにすっかり疲れて帰る途次のオジサンやオバサン、スマホに夢中の学生さんたちが座っているのも、無理もないなと私の裡のどこかがつぶやいている。席を譲るかどうかよりも、混んだ電車のなかで、乗ってくる人降りる人同士が無言で体で押し分けてぶつかりながら通ることの方が気になる。一言声を掛ければいいのにと、いつも私は思い、私は「ハイ。ごめんよ、降ります」と何度か繰り返して、動いた隙間に身体を入れるようにしている。先日も、乗ってきた若い男に後から身体を押された中年の男が「おいおい、声を掛けろよ」というと、その若い男は「うるせえ、乗って来たんだ。ごちゃごちゃ言うな」と言い返した。思わず私は「そりゃあ、あんたがいけないよ。ハイごめんよっていうもんだよ」と中年男に加勢したくなった。中年男が「うるせえはないだろ」と切り返したので、若い男はそそくさとさらに奥へ行ってしまったが、皆さん殺気立っている。日本の勤め人は、お疲れなのだ。衣食足って礼節を知るじゃないが、このお疲れ具合では、「モラル」を説いても、「へっ」と虚仮にされるだけだね。
昔の良きモラルがあったかどうかも、議論はあろう。だが、感触として私たち戦中生まれ戦後育ちの世代には、長幼の序という感覚が残っている。相手が年上と聞くだけで、私は一歩下がって言葉を交わす。もちろん相手が若いからと言って大きく身を迫り出すほど世間知らずではない。夜の学校の教師をしていたあるときから、私は生徒に対しても丁寧語で接するようにしてきた。彼らが私より早くから働いていていることもあったが、のちに「金の卵」がいなくなり、いわゆる中学の落ちこぼれや全日制から追い出された転校生たちがわんさとやってきたころ、彼らの遣う言葉が乱暴になり、振る舞いが雑になった。私は、服装も背広にネクタイを締めるようにし、時間を厳守する。ことばも丁寧語をいつも使うようにして、彼らに対するようにした。そのことによって彼らも、私に対するときは、敬語を使うようになり、いくぶんかでも教師に対しているという気配を身にまとうようになっていった。つまり、彼らに真っ当な大人ってこういうものよと示してやることによって、彼らが真っ当な大人として振る舞うことを期待した、といえようか。「ああしろ」「こうしろ」と教師が口にすることは、彼らからすると「お説教」である。だが、だまって、ネクタイ背広で、時間を厳守して教壇に立ち、丁寧語で話しかけるというのは、向き合い方だ。人が人に向き合うというのは、こうすることだと身をもってしめす。それが返ってくる。それが私にできる精一杯の「教育」であったように、いま振り返って思う。
いうまでもないが、それが効果を発揮したかどうかは、生徒個々人についてはわからない。また私の振る舞いが職員室で波風を立て、教師たちに影響を及ぼしたことは確かである。そうして七年ほど経ったとき、荒れていた夜の学校は、周辺地域でも落ち着いた定時制として中学校の教師たちがすすめる学校になっていたのだった。教師の仕事というのは、そういうものだと思う。当時よく私は、「教師は学校をつくる。生徒は学校が育てる」と言っていたことがある。それは、教師が意図したように生徒を操作するような教育方針を嗤い、むしろ教師が学校における「存在」としてどれほどインパクトをもてるかを狙っていたからであった。そういう教育論をもつに至ったのは、夜の学校の生徒たちに出逢って、鍛えられたからでもあった。
そういうわけで、「道徳教育」ということは考えたこともないし、いまでもそういう言葉を遣う使い方を私は知らない。道徳とは文化である。むろん文化は言葉にしなければ伝わらないこともあるから、言葉で伝えようという教育論を無碍にはあつかわない。むしろ問題は、ことばで伝えれば須らく伝わると考えている理知的な教育論には辟易している。ある程度以上の知的訓練を受けた人なら、それなりに効果はあるであろうが、たいていは、言葉と振舞いを通じて、身をもって身につけていく過程を通る。体で覚えるともいうが、それ以上に、人と人との関係を感知する能力、それを私は「心」と呼んでいるのだが、その次元で受け止めなければ、なにをやっても意図通りには伝わらない。道徳というのを「心の習慣」と呼ぶのは、そういうわけだ。
社会的に認知された「道徳」は、社会的な「心の習慣」として培われたものにほかならない。それはどのように培われるのか。国家をコントロールしている人たちは、それを学校システムを通じて「道徳教育」という回路を通して流し込むことと考えているかもしれない。だが私は、大人一人一人が「心の習慣」を鍛えて、穏やかに社会関係が保てるように振る舞い、言葉を交わすことだ。一般的な「それ」をもとめると、どうしても画一的に縛りをかけるようになる。そうすると自ずから、人は自分の頭を通さずに、「決まっているからそうする」とか「指示されたからそうした」という自己喪失の様相を呈するようになる。日大の非道タックル問題を起こした学生も、そういう心的状態だったのではないか。それは私にとっては、私の親たち世代の苦い経験をくり返す道へ向かっているように思えてならないのだ。
道徳を一般的に語るな。もしあなたが「道徳」を次の世代に伝えたいと願うのなら、あなたの日常の立ち居振る舞いと言葉をつねに、それにふさわしいようにしていくことを心掛けることしかない。そうしてふと、身の周りを見回してみたら、穏やかの暮らしに向いた「心の習慣」が身についている人たちに囲まれていることに気づくに違いない。それこそが、「道徳教育」という文化を伝承する「徳のある人」のありようだと思う。(つづく)
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