2018年10月25日木曜日

身を包むもの


 衣替え。十月一日になると、そう思って来た。でもそれは「昔の話」。彼岸までと言われた寒暖の区切りが、どんどん後に延びている。やっと十月の後半になって、秋らしい気配が街に漂う。気温が二十度を切るようになると、衣替えの気分になる。


 じつは衣類だけでなく、子どものころからのわが身を振り返ると、身を包んでいたものがたくさんあったと思い当たる。親も兄弟姉妹も、それが保護的かそうでないかは分からないが、さまざまに身を包んできた。それが厚着にすぎたり薄着であったりと気づくのは、外気温が変わったのかわが身が変わったのか分からないが、「(何かの)関係が変わった」とわが身が反応したときであった。親の干渉がうるさい、兄弟姉妹の世話が煩わしい、あるいはトモダチにいじめられた、と。気づいたとき、じぶんで一枚脱いだり着こんだりする術を覚える。こうして、わが身を包んできたものを、薄皮をはがすように少しずつ、自ら着るものへと変える。自律である。

 しかし自律の着替えは、わが思う儘になるわけではない。親や兄弟姉妹ばかりでなく、トモダチや社会的な仕組みや規範、法的な制約が着替えを抑えつける。それを子どもは、ゆっくりと、おおよそ十五年程をかけて身につけていくと、考えられていた。元服である。のちに義務教育という年限に制度化されていたが、こうした時代の子どもたちは、親の仕事と地域が一体になった暮らしのただなかにいて、見様見真似で手伝ったり弟妹の面倒をみたりして育ったから、いわば社会関係が幼いころから身に伝えることが多かったとも言えよう。

 しかしそれも1970年代の半ばころ、高度消費社会へ移行する時期になってみると、親との場も社会関係もすっかり様子を変え、子どもたちの暮らしは一般社会の労働現場から切り離されて保育園や学校、あるいは家庭だけに限られるようになった。「高校を卒業するのは当たり前」と社会的な規範も変わってきた。豊かな社会の少子化のせいで、外部からの着替え圧力が強まったのであろうか。高度消費社会ゆえに、身につけるべき事柄が多くなったからであろうか。「学校化社会」と批判されるようになり、身につけることごとが親と学校教師とトモダチとの関係だけに限定されるようになった。薄皮をはがすように身に備える規範が、善し悪しのはっきりした価値になり、いつしか身にしむように身につける、関係的な善悪の判断もマニュアル化した教条になった。規範(の判断基準)はいつも外部にあり、わが身はそれを覚え、利用するだけ。自分の内心に問うて判断する、自律の着替えがむつかしくなった。つまり、自画像が描けなくなってきたのだ。

 学校化社会以前の自画像とは、こうであった。自分が身の裡に抱く善し悪しの感覚も、好き嫌いの感性も、自らの生育歴に問うことができた。はて、誰の真似をして、どう身につけてきたか、と。つまり、自分の感性や感覚、価値意識も、多数の人との関係を辿り返すことで、ある程度わがコトとしてとりだすことができた。もちろんはっきりとコレがソレというふうに明確になるのではない。そう言えば、兄弟のやりとりの中で思い当たるコトに行き着くとか、小学校の同級生とのやりとりに思いが及ぶような感じだ。学校で何を教わったとか、教師からどういう言葉を教えられたということは、ほとんど記憶に残っていない。ただ、学校におけるトモダチの振る舞い、教師の言動をみて感じたことが思い起こされる。つまり、自分が主体であることへのほのかな自律の芽生えとともに身に備わって来たことが、自画像を描き出そうとするときに想起されて輪郭をとり始めるのだと思う。

 ところが、知識として教わったことは、いわばデータに過ぎない。自画像を描く扶けにならない。それに行きつかない限り、わが物語はいつまでも外部との角逐にとどまって、外からの悪辣な攻撃にさらされてきた可哀想な自分、あるいはそれを潜り抜けた優秀な自分のままになる。その、可哀想な自分や優秀な自分の「身」がまとってきたものは何かと、さらに踏み込まないと自画像にはならない。いつまでも、学校がお仕着せた「成績優秀」という衣装であったり、出身大学のブランド名であったり、メジャーなメディアに載った社会的な名声であったり、あるいはお金持ちという幻想の価値に酔っていたりするだけだ。

 そういう外から着せられた衣装が、身を保護することは間違いなくある。それは親兄弟や社会や国家やシステムや国際関係という外部が着せてくれたものかそうでないかは、それほどはっきりと区別がつかないからだ。それを自律的に着替えた衣装と錯覚することがあっても不思議ではない。とすると、自画像を描くとはどういうことか、もう少し子細に話さなければならない。それを考えると私は、わが身は器だと、どなたかが言っていた言葉を思い出す。親や社会から受け継いだ文化がわが身に注がれ、人との関係の中で変容し、いつしかわがものとして意識され、それを「わたし」と呼んでいる、と。自律的かどうかも、その時にはモンダイではない。

 そういう次元を異にする「わたし」たちが、それぞれの持ってきている概念を言葉にしてやりとりをすることから、「せかい」が広がる。自画像を描くというのは、「わたし」を通じて「せかい」の輪郭へ手を伸ばすこと。その先は、ほかの「わたし」と取り結ぶ「かんけい」になる。その「かんけい」の集合が重なり合う部分と重ならない部分とをもちながら、「世界」をなしていると私は考えている。

 いうまでもないが、で、それをつかんだからといって、何になる?
 う~ん、何にもならない、というか、わからない。

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