2019年10月31日木曜日
五里霧中、街中で迷子になる快適な鳴神山
昨日(10/30)の濃霧はすさまじかった。100m先がぼんやりと見えるだけ。車の速度も控えめである。今日の山の会一行の半数は、浦和駅で落ち合って車で向かい、登山口で落ち合うアクセス行程。ところが出発してすぐに、車のnaviは何度も「左へ曲がります」と声をあげて、あらぬ方向を指し示す。「おいおい、東北道はそっちじゃないよ」と嗤いながら、勝手知ったる浦和ICへ踏み込む。
2019年10月30日水曜日
親の歩みを記す自伝
今日(10/29)雨のなか、神保町まで出かけてアニメ映画を見てきた。ちょっとした自己の精神の成育史を辿るような気分であった。このアニメ映画『エセルとアーネスト――ふたりの物語』は、レイモンド・ブリックスの原作。絵本「スノーマン」の作者が、自分の両親の半生を絵にして物語った。
2019年10月29日火曜日
際だったデータ分析の手法
先月来、「コミュニティの消失」を考えてきた。また10/9の本欄で、「原点に還れない「惧れ」」と題して、少子化のモンダイや団塊世代と若者世代の格差の拡大にふれてきた。目に止まったので手に取って読んだのが、吉川徹『日本の分断――切り離される非大卒の若者たち』(光文社新書、2018年)。驚いたのは、データ分析の手法。なるほど、社会学者は、こうやって時代の特徴を浮かび上がらせるんだと感嘆している。
2019年10月28日月曜日
地道に探索する関係に生まれるスクープ
人と人との関係がものごとを新たな局面へ導いていくものの見方を動態的という。「あの人はこんな人」「この方はこういう人」と思い込むのは人の常だが、そういう概念的なものの見方が固着すると「偏見」になり、固定観念となる。それはとても息苦しい(と私は思う)。でも最近、「ワタシって、これこれこういうヒトだから」という自己表現が、若い人たちの間で流行っている。それはつまり、その若い人がとらえがたい「自分」というものをどこかにつなぎとめておきたいという願望の現れと感じる。どこにつなぎとめているのかって? ほかの人々の観念に滑りこませたいとでも言おうか。私のような年寄りは、もはや人にどのように思われているかはどうでもいいし、自分がどういう人間であるかは、呆れるほど感じさせてもらっているから、いまさら「自分」の正体をつかみたいという不安も湧き起らない。でも、動態的に人の関係を見るという視点は、大切にしたいと思っている。
2019年10月27日日曜日
つれづれなるままに
☆ 洗脳とプロパガンダと規範の伝承をどう区別するか
今野敏『マインド』を読む。この作家らしく、犯罪モノ。物語は単純明快で、精神分析医や心理療法士がかかわって、クライアントの抑圧している蓋を取り去って出来する事件を素材にしていて、意外性がない。あまりに簡単に他人の内面を解放する名人芸的催眠療法によって……というのが、いかにも作り物臭い。だが読みながら、洗脳とプロパガンダと規範の伝承をどう区別してとらえることができるだろうかと考えていた。
2019年10月24日木曜日
鍛えられたのか鈍くなったのか
今日の昼間の最高気温は20℃。最低気温は16℃ほど。涼しくなったが、まだ半袖で通せる。
「寒くないの?」と聞かれ、そう言えば、以前は20℃以下だと長袖を来たかなと思う。
「寒くないね。強くなったのかな」と応じたら、
「鈍くなったんじゃない?」と返されて、そうかもしれないと思っている私がいた。
2019年10月23日水曜日
ないみたいな一日
《今日一日がないみたいというのは、こんなにも楽なのか》と、角田光代が短編の中で書いているそうな。「家族のために作った料理の写真とレシピをブログに載せる」主人公が、「こんなに幸せな毎日です」と自己確認する所業なのではないかと気づいて、「その日はブログを更新しなかった」日の感懐。
2019年10月21日月曜日
賑わいと静謐の里山
先日(10/16)に「台風の傷跡に意気が挫かれる」と書いたら、山の会の方から「吾妻山は大丈夫でしょうか」とメールが来た。鳴神山から吾妻山への縦走を、山の会の月例山行として来週に予定している。そう言われてみて、下見しなくちゃなるまいと思った。鳴神山と吾妻山は、関東平野の最北端、桐生の街の北側にある。鳴神山はカッコソウの自生地があり、それを見るために何度か足を運んだが、いずれも自生地が近い大滝からのルートであったように思う。来週の縦走は、駒形登山口から沢を詰めるように鳴神山に登って、そこから南の吾妻山までの稜線を縦走する。吾妻山の麓には吾妻公園があり、ほんの2kmほどで桐生の駅に行ける。
2019年10月19日土曜日
イデオロギー論戦の「殻」は破れないのか
山崎雅弘『歴史戦と思想戦――歴史問題の読み解き方』(集英社新書、2019年)が図書館から届き読んでいた。「歴史戦」という言葉は産経新聞が使い始めた用語らしい。「思想戦」というのは、日中戦争と太平洋戦争期に日本政府の内閣情報部が中心になって展開した戦いであったそうだ。山崎は、産経新聞や日本会議を中心にしてなされている「歴史戦」は、戦前の「思想戦」の考え方を受け継ぎ、「大日本帝国」を擁護すべく、歴史のファクトに基づかない問題のすり替えをしていると批判する。
2019年10月18日金曜日
「能ある鷹」恐るべし――遊びの新境地
昨日(10/17)は「ささらほうさら」の月例会。今日の講師はnkjさん。演題は、「文字で聴く中島みゆきの世界Ⅱ」。 昨年12月に「文字で聴く中島みゆきの世界」を披露し、「中島みゆき」は私に鮮烈な印象を残した。2018年12月14日のこの欄で「世の中とアレルギー」と題して、そのことを綴った。長いが、再掲する。
2019年10月16日水曜日
台風の傷跡に意気が挫かれる
今日(10/16)予定されていた山の会の山行が中止になった。台風19号の影響で中央線が高尾から向こうへ行かない。じつは私は、別の予定があったのだが、そちらも台風のために中止となった。今日の天気は悪くない。山へ行かない手はない。
2019年10月15日火曜日
コミュニティ性は広く薄まり、人々は不安になって殻をつくる
コミュニティが消えたと言ってきたが、人びとの意識から消えたのであった。人びとの側からみると、市場とか商取引とかグローバリズムとかヒト・モノ・カネの自在な交通にともない、「せかい」のどこにおいても「わたし個人」として振る舞えるようになった。むろん、その「せかい」に必要なカネやコトバやコネクションが、それなりにあることが条件になる。その人たちは、文字通り世界のどこにおいても、できないことはなく、不都合もない。
2019年10月14日月曜日
消える踏み跡を踏んだ気配
つい先ごろ喜寿を迎えたわたしの中学高校の同期生たちが「36会」というのをつくっている。卒業年次の昭和36年から取り、「さぼろー会」と命名して、ちょっと時代的な姿勢に反旗を翻す気分を込めている。いつごろできたか。おおむね17年程前。還暦のころだが、子細は忘れた。
2019年10月13日日曜日
芝川の氾濫はつづきそう
昨日は台風19号で一日家に閉じ込められた。と言っても、ふだん、山へ行く以外は家に籠りっきりだから、引きこもりになったといったところ。本を読み、PCに向かって過ごした。そして今日、雲が空にぽっかりとひとつしかない晴天。見沼田んぼへ「河川氾濫」の様子を見に行った。
2019年10月12日土曜日
ロゴスではなく直感を介在させる思索
山際寿一×小原克博『人類の起源、宗教の誕生』(平凡社、2019年)を読む。「ホモ・サピエンスの「信じる心」が生まれたとき」という副題。山際はゴリラの研究者。小原はキリスト教の宗教学者。同じ京都にある大学の教授ということもあって、縁があったのだろう。対談と、それぞれの記した「補論」とで構成されている新書本。面白かった。
2019年10月11日金曜日
奥深い山の入口、熊倉山
台風が来る前の最後の晴天とあって、昨日(10/10)、秩父の熊倉山に足を延ばした。いや、話しは逆。じつはこの日をふくめて、kwrさんの立案で八ヶ岳を縦走する予定を組んでいた。ところが8月、9月のハードな山行が影響してkwrさんが調子を崩し、もう一度(山歩きの)初めから身体づくりをやり直していた。だから私は、会津駒ケ岳や鹿沼・岩山にも一人で行ったというわけだった。だから今回も、11月末の熊倉山の下見として、1人で行くことを考えていたのに、kwmさん・kwrさん夫妻がつきあってくれたというわけ。
武州日野駅で待ち合わせた。このところ気温は秋らしくなり、長袖一枚ではどうかなと思わせるほどだったが、歩きはじめると、さして汗もかかず快適であった。舗装林道を45分ほど詰める。途中バイクで上から降りてきた地元作業員風のベストを着たお年寄りが「熊倉山に登るんかね。深いよ。気を付けて頑張ってな」と声をかけてくれた。年寄りが3人歩いているのを気にかけてくれたようだ。
2019年10月9日水曜日
原点に還れない「惧れ」
「コミュニティの消失」と呼んだのは、「コミュニティ性」がそこに暮らす人々の意識から消えたということであって、無用になったということではありません。実際には、市場原理とかナショナリティ(国民性)とかネーション(国)などの社会的作用に代替されて、そこにいる「わたしたち」がその関係性を「自然(じねん)」と受け止めているのです。
そう考えてみると、私たちの「関係の原基」がどこにあるかへ思いが及びます。「関係の原基」というのは、「わたしたちの暮らしの根底に具えている形」です。一昨日(10/6)のこのブログで「まさにコミュニティ性の消失――全過程の総結果」と表題をつけたのは、「関係の原基」の上に次々と制度や作法や儀礼を積み重ねてつくりあげた社会システムが「わたしたち」の暮らしのかたちを作り替え、「わたしたち」はその仕組みに適応してわが身を変容させ、現在のような感性や感覚、観念をもつに至ったことを示したかったからです。
2019年10月8日火曜日
基底に立つ
今野敏の「隠蔽捜査」シリーズの『3疑心』(2009年)『3・5初陣』(2010年)『5・5自覚』(2014年)を図書館から借り出して読んだ。この作家には、私は好感を懐いている。これまで読んだ記録を拾ってみると、(「 」内はブログ記事の標題)2019/2/5「なぜ武術を鍛えるのか」『武士マチムラ』(2017年)、2015/7/4「いま日本のナイファンチはどうなっているか」、『チャン ミーグヮー』(2014年)、2015/2/17「パターン認識」、『転迷』(2014年)、『隠蔽捜査』(2005年)、『隠蔽捜査2 果断』(2007年)、『隠蔽捜査3 疑心』(2009年)、『隠蔽捜査3.5 初陣』(2010年)、『パラレル』(中央公論新社、2004年)とある。「疑心」と「初陣」は二度目だ。そうして、2015年のブログ末尾で「面白いと同時に、はて、なんでこんな読み物に興味をひかれているのであろうかと、鏡を見ているような、妙な気分になっている」と記述している。
2019年10月7日月曜日
新し物好き・清潔好きって、国民性?
先月の台風ですっかり汚れた窓ガラスを拭いた。拭きながら、こうした掃除を毎日コツコツとやるのが「暮らし」だと思った。今の私は横着になって、汚れが目立つときとか、どなたか来客があるときにしか、掃除をしない。したがってカミサンがやってくれている分には、私は「暮らし」から遠ざかっている。男社会の積年の弊に乗っかり、老年という社会的な良識に依りかかって、「暮らし」を人に預けて暢気に振る舞う。申し訳ない年寄りになってきた。
2019年10月6日日曜日
まさにコミュニティ性の消失――全過程の総結果
ついさっき、団地の防災訓練を終えてきました。消防署から来て、119番への連絡の仕方、消火器とAEDの遣い方、地震などのときの避難場所のことなど、1時間ほどレクチャー。自治会の防災用準備品の期限切れが近いものを分けて、新規更新する。60人くらいが参加して、ま、そこそこの関心事というわけ。
2019年10月5日土曜日
記憶を甦らせる歩き
先日水曜日に、鹿沼岩山に登った。わずか3時間の山なのに、意外と身に堪えたと木曜日に記した。そして昨日金曜日、来週の天気予報を見ていたら「女心と秋の空」らしく、雨がつづく。8日から予定していた八ヶ岳も見合わせることになった。となると日帰りでもいいから好天を狙おうと「予報」をみる。今日土曜日がいい、と思っていた。山へ行きたくてうずうずしているのだ。
2019年10月4日金曜日
わたしは心配ですぞい
★ システムの軋み
先月末の朝日新聞「生活」版に「希望退職 許されざる勧奨」という記事が載った。「断ってもまた面談「辞めろ」とは言われないが…」とサブタイトルがつく。東芝の子会社などで《「まかせたい仕事がないと退職を促される」「希望退職」とは名ばかりの退職勧奨が、大企業で広がっています。》と、半年間で、富士通、コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス、アステラス製薬など上場企業17社を数え、昨年の一年分を上回っていると、ある。
2019年10月3日木曜日
忽然と現れた魁偉
10月になったというのに真夏日を記録した昨日(10/2)、ちょっとひと山と考えて、3時間ほどの山歩きに出かけた。東武線新鹿沼駅からあるいて30分ほどのところにある岩の山。その名も、鹿沼・岩山328m。東武日光線は、佐野を過ぎたあたりから、前日光とか阿蘇山塊と呼ばれる関東平野北辺の山並みに寄り添うように走っていく。その新鹿沼駅周辺の平野部に突然立ち現れて南北に2キロ足らず、標高300メートルほどの岩山が姿を見せる。
2019年10月1日火曜日
(3)「空き家」問題と日本社会の空洞化
次々と新しい高層住宅が建てられ販売されているが、そう遠くない将来、それらは「空き家」になる。いや実際、管理組合理事長になってから耳に入るようになったが、1960年代につくられた団地はぼちぼち寿命を迎え、解体されて建て替えがすすんだり、あるいは耐震補強をして延命策を講じたり、資金不足で手が付けられなくなったりして、都市問題になっている。賃貸の戸建て住宅「ニュータウン」も、(居住区の高さ制限にしたがって)中低層住宅に建替え、新規発売も組み込んで建替え費用を賄う方策をとっている。しかしこれは、まだ社会移動によって人口の増加が見込まれている首都圏に限られた話だ。
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