2019年10月6日日曜日

まさにコミュニティ性の消失――全過程の総結果


 ついさっき、団地の防災訓練を終えてきました。消防署から来て、119番への連絡の仕方、消火器とAEDの遣い方、地震などのときの避難場所のことなど、1時間ほどレクチャー。自治会の防災用準備品の期限切れが近いものを分けて、新規更新する。60人くらいが参加して、ま、そこそこの関心事というわけ。


 「コミュニティ性」のことをSeminar報告として関係者に送ったら、岡山に住む snmさんから以下のような感想が送られてきました。
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 こんにちは、空き家問題について、田舎に住んでいる私から一言。
 実家の八浜(玉野市)では、若者は結婚しても住むのは岡山のマンション。そこから旦那は(玉野市の)三井造船に通う。八浜はどこも空き家状態です。先日syr君が言うには、そこそこ広くて状態の良い家が家賃一万円位で借りられるとか。田舎はどこもかしこも空き家だらけで、都会はマンションラッシュです。決して安い金額でないのに、こんなおかしな状態がいつまで続くのか? 不思議な世の中になっています。
 みんな若者は金利が安いからと35年ローンを組み、退職金で払い終えます。その時古くなったマンションは(何をするにもみんなの意見がまとまらず)高いお荷物になるというのでは、納得いきませんよね。
 どうも国の方針がおかしいような気がします。一生持ち家を持たないという選択も、あるのでは? と思います。ちなみに、皆様の育った玉野市は、災害も少なく、風光明媚で、食べ物は美味しく、生活費は安い。最近では、スーパーも沢山出来、大変便利になっています。田舎も捨てたものではないと思っています。
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 首都圏の近未来画すでに、岡山で展開されているというわけです。そうそう、もう一つ気づいたこと。日本人は「新しもの好き」ってこと。こればっかりは、「使い捨て文化」かどうかではなく、昔からの国民性のような気がしています。どうしてなんでしょうね。

 さて今日(10/6)のDiamond Onlineに「自治会は必要か? 不人気だけど「有事」には思わぬ威力を発揮」という記事が掲載されていました。筆者は角南丈さん。どういう方か知りません。自治会/町内会は解散するところが続出。加入しているのも住民の3割とある。町内会費は月顎数百円から年額十万円と大きな開きがある。高額なところは、夏祭りなどの行事の出費の負担だ、とも。そしてこう続ける。

 「加入することで得られる生活上の恩典も、団体によっては人員や予算が潤沢でお祭りや子ども会も充実、ゴミ捨て場や街灯の管理・維持などを行うところもあれば、規模が小さく回覧板を回すなど最低限のことしかできない自治会もあり、内容もばらつきがあります」

 ゴミ捨て場の管理については、戸建て住居の場合、町内会が設置や維持管理に心遣いをしなければなりません。掃除を輪番で担当したりするだけでなく、捨てる場所をカラス(やイノシシ)が荒らさないように、居住者から賛助金を集めてしっかりしたものを設置することも行うと、私の友人から話を聞いたこともあります。そうしたとき都会地では、賃貸に住む単身者は素知らぬ顔をして「タダ乗り」する、とはよく耳にする話です。

 Diamond Onlineは、「会長含め役員が何年も代わらず、排他的かつ閉鎖的、一部の人が私物化、既得権益化していたり、いつも同じ人しか参加しないイベントに予算が投じられて、加入のメリットが感じられないような自治会もある」と加えて、しかし、防犯防災に際しては、自治会が力を発揮すると、阪神淡路大震災のときの救助がご近所の間で行われたことを取り上げています。しかし、前者の運営のことはともかく、非常時の相互援助のために自治会/町内会をつくっているとは、(たぶん)人々は考えていないのではないでしょうか。大震災のときのそれも、もちろん知り合いという意味では、気遣いが働くでしょうが、救助に関してまで、「自治会の関係」が顔を出すとは思いませんね。

 Seminar報告で取り上げた「自治会/町内会はいらない」という意見は、日常生活における「ゴミ捨てや街灯」のことを念頭に置いていませんでしたね。これなども、「行政のモンダイでしょ」と言ってしまえば、(たぶん都会地では)そう考えている人が多いと思います。となると、夏祭りをやるとか、子ども会をやるとかいうのは(少子化も影響しているでしょうが)、あまり人々の関心事ではなくなっています。つまり都会地では、日常の暮らしにかかわるたいていのことは、「行政のモンダイ」と考えられていて、もはや自分たちが取り仕切ることではないと考えられているのです。住民の頭から、(居住地区の)コミュニティとしての(人と人との)つながりは消失し、もっと大きな、地方行政的な単位や国の行政サービスが担当する「役割」と決めてかかっているといえます。

 地区の有力者が「自治会/町内会」の役職を私物化しているというのも、ほかの方々は、そんなことに関心がないからです。その関心のなさを非難できるでしょうか。つまり暮らしに必要な様々なサービスを、行政的以外に、商取引的に市場で賄うことができるわけですから、なにもわざわざ地区コミュニティを再構築して面倒を背負い込むことはないではないですか。むろん、サービスが気に食わなければ別のサービスを選べばいいと言えるまでになっているかどうか。そのあたりが、今後、社会移動も減少して少子化が如実になってくるようになれば、都会地でもモンダイになるでしょう。孫が社会の主力になるころには、本気で取り組み体制ができていなければならないと思います。

 それにしても、年寄りというのは、暢気なものですね。昨日、わたしより一つ年上の芸術家の「最後の展覧会」に足を運びました。作品をめぐっていろいろな話を聞かせてくれた後に彼の人が、まとめるように言ったのは、「オレたちはいい時代に生きたねえ」ということばでした。そう深くは踏み込まなかったのですが、私もほぼ全面的に同意していました。「そう、焼け跡闇市から出発して、経済成長を担うように駆け抜けて、バブルまで実現してそれを崩壊させ、その余剰で今もこうやって過ごしているんだからね」と返していました。

 コミュニティの消失というのも、たぶん、その全過程の総結果のひとつだと思います。わたしたち自身は、「いつ死んでもいい」というほど、思い残すことはありません。でも、ねえ。子や孫の世代は、どう受け止めるだろう。

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